第五十二話「主人公の条件」
クリス、お前は物語の主人公になれ――。
事務室を無言で立ち去ると、クリスは握りしめた右の拳を通路の壁に叩きつけた。
「ふざけるな! 何が主人公だ! バカにしているのか?」
『……荒れておるのぉ』
マレーネが現れ、やや呆れ気味に嘆息を漏らす。
「当たり前だ!」
クリスはマレーネに向かって怒鳴っていた。
『な……何じゃ? 妾に当たり散らすでない』
マレーネは一瞬たじろぐが、すぐさま頬を膨らませて抗議する。
「わ、悪い……」
クリスはすまなそうに謝罪する。
だが、苛立ちを隠せないでいるのが、容易に見て取れる。
『……主よ。何をその様に苛立っておる?』
クリスはマレーネから視線を外し、押し黙ってしまう。
その姿に、マレーネはため息を吐く。
『主はわかりやすいのぉ。監獄王とやらに利用されたことが、そんなに腹立たしいのか?』
「ああ……。そうだよ」
クリスは渋々ではあったが、内心を吐露していた。
「監獄王に、いいように操られているのが――悔しいんだよ」
『ふむ、確かに……。見事な誘導――いや未来予知と言うべきか?』
マレーネは感心するように、ふむふむと唸り考え込んだ。
『妾は、以前から気にはなっておったのじゃが――監獄王とやらは何者なのじゃ?』
「何者……?」
クリスは首を傾げる。
「そう言われると――答えに困る」
『なんじゃ、それは――?』
「いや……いま思い返してみると――」
クリスは少し考え込む。
「直接、監獄王の姿を見たことがないんだ」
『見ていない?』
訝る眼差しでクリスを見つめる。
『主よ、何を……言っておる?』
クリスはマレーネの表情を見て、説明が足りないことに気がついた。
「そうだったな……。ちゃんと話していなかったな……」
躊躇いがちにそう言うと、マレーネを横目にちらちらと見つめながら、俯きがちにポツリと呟いた。
「俺は――その……囚人だったんだよ」
しばしの沈黙——。
『それがどうしたのじゃ?』
マレーネはきょとんとした表情でクリスを見つめた。
『話の流れからそれくらいはわかっておる。獄中で知り合ったわけじゃろ? 其奴は、監獄の王を自称しておるのじゃからのぉ』
「い、いや……そう言うことじゃなくて――」
『ん……なんじゃ? ああ……もしや――』
何かを察したように、マレーネはニンマリとした笑みを浮かべた。
『妾に嫌われると思ったのか? 妾が出自を気にすると思ったのか?』
「……」
クリスは顔を赤らめて視線を逸らしていた。
『主は可愛いのぉ』
クリスは気恥ずかしさから、マレーネを置いて無言で歩き出していた。
『あ……待て――妾を置いていくでない』
「お前が揶揄うからだろ?」
『揶揄ってはおらぬ。で――主は何をやらかして収監されておったのじゃ?』
後ろから駆け寄ってきたマレーネが、クリスに訊ねる。
「さあな……。知らない」
『ん? 主、罪状を知らぬのか?』
「ああ、知らない。監獄王が言うには、俺は生まれてきたことが大罪らしい」
クリスは鼻を鳴らす。
『何を莫迦げたことを……。妾を謀るつもりか?』
呆れた表情で、クリスの横顔を見つめる。
クリスはエレベーターホールに着くと、エレベーターの昇降ボタンを押した。
「謀るつもりなんてないさ」
扉上の表示ランプを見つめるが、エレベーターが降りてくる気配はなかった。
『ならば、何故、この世に生を受けたことが罪になるというのじゃ?』
クリスは辺りを見回すと、左手に非常口の表示ランプが灯っているのが見える。
それでも、クリスはエレベーターが降りてくるのを待つことにした。
待っている間――気分は乗らなかったが、マレーネの会話に付き合うことにした。
「俺に訊かれても困る。俺は——物心ついたときには、すでに独房に閉じ込められていたんだ。真っ白い独房の中で、俺は育ったんだよ」
クリスはふと思い返していた。
一ヶ月前まで生活していたあの独房の事を――。
室内は白色で統一された、完全なる密室だった。
設備はベッドとトイレ、それに洗面台だけのシンプルな空間だった。
『ならば、どうやって監獄王と出会ったのじゃ?』
当然といえば当然の質問だった。
クリスは思い出す。
「何年前かは定かじゃないけど……部屋の扉がノックされたんだ」
クリスはマレーネを横目で見つめる。
「扉越しに監獄王を名乗る男が、話しかけてきたんだ。それが出会い——。確かに……出会ったとは言えないのか?」
クリスは自分の言葉に、笑いかけた。
「姿は見えなかったが、それからは毎日のように、扉の前まで監獄王は来てくれたのさ」
『ふむ……。主の話からすると悪い奴ではなさそうじゃのぉ』
「まあ、悪い奴ではないと思うよ」
クリスは肩を竦める。
「俺にとっては――なんというか……父親とか先生に近い存在なのかな……。色々なことを学んだ」
思い出し笑いをしながら話すクリスをみて、マレーネは嘆息を漏らしてしまう。
『そうじゃろうな。主のその話しぶりを見るに、監獄王の事を慕っておるように見受けられるわ……。妾が嫉妬してしまう』
マレーネはそう言って、首を横に振った。
「な?! 別に……慕っていない」
『見え透いた嘘を言うでない。ならば――」
マレーネはクリスが手にしている封書を指さす。
「何故、今も大事そうにそれを手に持っておるのじゃ? 嫌いなら破り捨てておるはずじゃ』
「こ……これは――」
『開けぬのか? 重要なことが書かれておるやも知れぬぞ』
そう問われて、クリスはふんと鼻を鳴らす。
「開けない。監獄王とは――訣別したんだ」
封書を、ポケットに無理やり押し込んだ。
「今さら彼奴(監獄王)の言葉に耳を傾ける義理はない」
到着のベルが鳴る。
エレベーターの両扉が開き、クリスとマレーネはそれに乗り込んだ。
『やれやれ……男の意地というヤツか?』
「そうかもな……」
素っ気ない口調で答える。
『その男の意地の張り合いの大本は何であったのじゃ?』
クリスは銃士の三人が向かった2階のボタンを押した。
「ほんの些細な、意見の食い違いってやつだよ。それで仲違いになったのさ」
『まったく……男子どもは――』
マレーネの呆れた物言いに呼応するように、エレベーターの扉は閉まっていく。
『で……仲違いになるほどの白熱した議題とは何じゃったのじゃ? すこし興味があるのぉ』
すると、クリスはバッと両腕を左右に広げた。
『な、なんじゃ?! 急に何をする?』
マレーネがぎょっとした眼差しで隣にいるクリスを見つめる。
「人には限界がある。だから両腕を広げたこの範囲に入った者を救うために全身全霊を尽くせ――そう言われたんだよ」
『なんじゃ……そう言うことか? 突然のことに妾は驚いたぞ』
「マレーネはどう思う?」
『ん? どう思うも何も……人助けとしては、立派な心がけじゃと思うが?』
クリスはマレーネの言葉に嘆息を漏らしてしまう。
「やっぱり……監獄王が正しいのか」
『なんじゃ? 主はそう思わなんだか?』
「ああ――俺は疑問に思ったんだよ」
クリスはマレーネを一瞥する。
「だから……異を唱えたんだ」
『ほう……。で、主は、どのような異論を唱えたのじゃ?』
クリスはわずかに逡巡したが、口を開いた。
「脚があるじゃないか――って」
『脚がある?』
マレーネは小首を傾げて、クリスの横顔を見つめた。
「たとえば――三メートル先に助けを求める人がいたとしても、監獄王の考えでは、助けに向かわないんだぜ?」
『そう言われればそうじゃのぉ。監獄王の考えは、すこし受動的じゃのぉ』
マレーネにそう言われて、クリスは顔を少し綻ばす。
「な、そう思うだろ? 走って行けば、助けることが出来るのに、どうして走らないんだって俺は反論したんだよ。そうしたら――」
クリスは頭を振る。
「それが監獄王には気に入らなかったみたいでね……。監獄王と俺は袂を分かつことになったんだよ」
ふむふむと目を閉じて頷いていたマレーネだったが、目を見開くと冷笑を浮かべた。
『なるほどのぉ……よくわかった』
「ん? 何がわかったんだよ?」
『主の主張はのぉ――もっともらしいだけなのじゃよ。もっともらしい――ただ、それだけと言うことが、よくわかった』
思いも寄らないマレーネの言葉に、クリスは憤る。
「言ってくれるじゃないか! らしいって何だよ?」
クリスはマレーネに突っかかった。
すると、マレーネから険しい眼差しを向けられる。
『主は、わからぬのか?』
マレーネの眼光に気圧されて、クリスはたじろいだ。
その姿を見て、マレーネは小さくため息を吐く。
『主はのぉ……行動が伴っていないのじゃ。言と動が乖離しておる』
「……乖離? 俺が――」
『ならば訊くが――何故、主はいまエレベーターに乗っておる?』
切れ味の鋭い一言に、クリスは返す言葉を失った。
『主は、あの三人を助けに向かおうとしておるのではないのか?』
クリスは気まずさから、視線を逸らしていた。
『エレベーターホールでも、主は悠々と待っておったのぉ……。左手に非常口が見えていたはずじゃがのぉ。あの先に――階段があったのではないのか?』
クリスは何も言えなかった。
『何故、階段を使わなかった? 主には――脚があるのじゃろ?』
「もう……いい――やめてくれ」
クリスはかぶりを振った。
エレベーターが目的の階に到着したベルの音が響く。
「あの三人は強い。俺が駆けつけなくても――」
言いかけたあたりでエレベーターの扉が開いた。
すると――血なまぐさい匂いが室内に入り込んできた。
そのニオイに、鼻腔が反応する。
咄嗟に、その場でしゃがみ込み、警戒をするように駐車場内を見つめる。
緊張感がクリスの身体を走り抜けた。
(硝煙の匂いが漂うのはわかる。だが……ここまでの血の匂いは——何だ?)
辺りは静けさに覆われていた。
だが、殺気を纏った気配は、わずかに感じる。
『何が……あったのじゃ?』
マレーネも緊張した声で訊ねるが、クリスは無言で首を横に振った。
(三人は……何処にいる?)
エレベーターを降りると、身をかがめながら移動していく。
すると、少し先のコンクリートの支柱の陰に、大量の血だまりが見えてくる。
クリスは心臓の鼓動が高鳴った。
致死量に相当する血だまりが広がっていた。
その血だまりから、駐車場の奥へと引き摺られた血痕が伸びていた。
(まさか……この先に?)
全身に震えが走る。
(俺が……遅れたから?)
かぶりを振る。
クリスは血痕を辿っていく。
血痕は十字路を右へと曲がって、さらに続いていた。
コンクリートの柱越しに覗き込む。
すると――あの三人が、血だまりの中に倒れ込んでいた。
動く気配はない。
遠目からでは生きているかの判断は出来なかった。
「お、おい!」
クリスはおもむろに立ち上がり、駆け寄ろうとした。
『主よ! それは罠じゃ!』
マレーネの言葉はクリスに届いていなかった。
ダァァァン!
一発の銃声が、クリスの背後から轟いた。
右腕に衝撃が走る。
(――くっ!)
右腕が思うように動かない。
振り返りざまに左手で銃を構えるが――遅かった。
もう一発、銃声が駐車場に轟いた――。
(……え?)
今度は正面から左胸に、衝撃が走った。
痛みは……感じなかった。
(あれ……?)
けれども、膝に力が入らなかった。
がくり——と、膝が落ちる。
さらに両膝が地面に着いてしまい、離れない。
かろうじて、そのまま倒れずに座り込んでしまった。
だが、立ち上がろうとしても、両脚が重くて持ち上がらない。
『主よ!』
マレーネの声が、かすかに聞こえてくる。
「ごめ……ん。マレーネ……」
こふっ……と、肺にたまった血液がこみ上げ、口からあふれ出した。
『謝……るな……。懐中……計……じゃ! ……ディの至宝……に手を……ばせ!』
かすんで見えるマレーネは怒っていた。
涙を流しながら、怒った表情で睨み付けてくる。
(そんなに……怒るなよ……)
マレーネは地面に転がる物体を指さしている。
(なんだよ……? 聞き取れ……ない……)
遠のく意識の中、クリスは閉じかけた瞼を開けて、マレーネが指さす方向を見つめた。
そこには金色に輝く物体が、数メートル先の地面に転がっていた。
(あれか……? 届く……か……?)
手を伸ばしてみるが、届く距離ではなかった。
(ああ……そうだった。俺には……脚が……あったな……)
クリスは力を振り絞り……立ち上がる。
一歩……二歩……けれども、それが限界だった――。
膝から前のめりに――倒れ込んでしまった。
(あと……少し……)
クリスは、最後の力を振り絞った。
左手を……伸ばし――。




