第四十四話「クレールヴァルへ」
「特定の人物に対してのみ、顔認証よりも指紋認証の方が突破率は低くなるんだ。つまり――」
ジャスティンは嘆息を漏らす。
「侯爵は犯人を知っていたことになる」
「特定の人物?」
マルセイユは聞き返す。
「……誰ですか?」
「……もう一人のフェルナンだよ」
「ジャスティン様は……侯爵が、双子だったとお考えなのですか?」
マルセイユはにわかには信じられないと言いたげな表情をする。
「そう考えるのが自然だとは思わないか?」
ジャスティンは肩を竦めた。
「もう一人のフェルナンを名乗る人物から、手紙が送られてきて、侯爵本人も顔認証から指紋認証へ端末を変更しようとしていた」
ジャスティンは顔認証端末を、コツコツと指で叩く。
「ちなみに双子の顔認証の突破率は高いんだよ。逆に双子であっても指紋が一致することはまずないから、突破率は低くなる傾向にある」
「あの……それが事実だとすると、もしかして……なんですが――」
マルセイユは言い淀む。
「事件当日に、すでに入れ替わっていた――」
ジャスティンは横目でマルセイユを見つめる。
「そう言いたいのか?」
ジャスティンが代わりに口にすると、マルセイユは頷いた。
「そうです……。10月9日の事件当日、侯爵の帰宅時間は22時で、予定より2時間ほど遅れました。さらに先ほどのジャイルズさんの証言から侯爵は右足を引き摺るような仕草が見受けられたと仰っておりました」
「ああ、確証はまったくないが、指紋認証に切り替わる前に事件が起きている。俺もすでに入れ替わっていたと思うよ」
そう言うと、ジャスティンは再び書斎へと戻る。マルセイユもその後に続く。
「もう一人のフェルナンと入れ替わっていたのなら、侯爵は此処ではない別の場所で殺された。そう仮定すると、この血痕の少なさも説明がつく」
ジャスティンは白線で囲まれた部分を見下ろす。
「確かに……」
マルセイユは、白線の近くにしゃがみ込んで血痕を見つめる。
「右腕と右脚が切断されたにしては——少ないですね」
「本物の侯爵は遺体となって、バルコニーから運び込まれた――」
ジャスティンはバルコニーに顔を向ける。
「その可能性が高い」
ジャスティンとマルセイユはバルコニーまで出てくると、庭師のカロンがハシゴを立てかけた場所を見下ろした。
「ハシゴを立てかけて数人で運び込んだわけですか?」
「実際にハシゴを立てかけた跡は、庭師のカロンが見つけている」
「そして、もう一人のフェルナンが、バルコニーの鍵を開けて招き入れたと……?」
ジャスティンは頷く。
「天窓はお前が確認してくれただろ?」
「はい。問題はありませんでした」
「そうなると、書斎への侵入経路は――この扉だけになる」
ジャスティンは書斎とバルコニーをつなぐ白い扉を、開閉してみせる。
「だが、こじ開けられた形跡も鍵穴に傷も見当たらない。だとすれば内側から鍵を開けたことになる」
ジャスティンは頭をポリポリと掻きながら、少し考え込む。
「ただ、何か引っかかるんだよな……。出来過ぎというか――」
「出来過ぎ……ですか?」
マルセイユの言葉に、ジャスティンは小さく頷いた。
「なんて言うかな……。すべてがお膳立てされ過ぎている感じがするんだよ。誘導されている……というのが正しいかな」
「顔認証の注視行動みたいに、向かうべき場所ととるべき行動が示されている感じですか?」
「ああ、まさにそんな感じだ。だから次に俺たちが確認すべきことも、自ずと何か分かるよな?」
「何ですか? その訊き方……。圧を感じるんですけど?」
「お前が正気に戻っているかのテストでもある」
ジャスティンはそう言って、マルセイユをマジマジと見つめる。
「う……運転手からの聞き込みです」
「何故そう思う?」
「もう一人のフェルナンが侯爵と入れ替わっていたとするなら、侯爵の送迎車の運転手がその事を知らないはずがありません」
「OK。問題なさそうだな。入れ替わりを成り立たせるためには其奴の協力が不可欠になる」
マルセイユは安心したのか、ほっと胸をなで下ろす。
「それじゃあ、ジャイルズに専属の運転手について聞きに行くとするか」
ジャスティンは書斎の内線で、ジャイルズに帰ることを伝えると、自分たちも玄関ホールへと向かことにした。
◇◇◇
玄関ホールでしばらく待っていると、ジャイルズが姿を現した。
「お帰りでしょうか? ジャンナッツ警部。お車をお呼びしましょうか?」
「いえ、結構……。すでに呼びましたので。ですが、その前に――侯爵の送迎をなされていた運転手と話をしたいのですが?」
「モレルですか……?」
ジャイルズは怪訝な眼差しで、ジャスティンを見つめる。
「モレル? フルネームを教えてもらえますか?」
「バスティアン・モレルです」
「その……バスティアン・モレルさんは今どこにいますか? 事件当日に侯爵は2時間遅れて帰宅されましたよね? その理由をご存知であれば伺いたいと思いましてね」
「彼は、自宅に待機させておりますが――」
ジャイルズは視線を泳がせる。
「お呼びしましょうか?」
「いえ、結構。こちらで会いにいきますよ」
「ですが……ここから少し遠くになりますよ。クレールヴァルという小さな町です」
(クレールヴァル? そいつは好都合じゃないか。ルヴェ一族の生まれ育った町なら、侯爵の主治医もいるはずだ)
「アデル嬢から聞きましたよ。ルヴェ家の隠れ里のような所ですよね?」
「ご存じでしたか……。モンソレイユの丘の先にある森の奥にある町です。住所は――」
「ああ、大丈夫ですよ。町の住民に訊ねてみます」
ジャスティンは右手をあげて制止させる。
「それじゃあ、アデル嬢とカミーユさんによろしくお伝えください」
そう言うと、ジャスティンとマルセイユはモンソレイユ邸を、後にした。
邸宅前には警察の車輌が3台ほど停まっていた。
ルヴェ署の鑑識たちが屋敷の庭や周辺の捜索を始めているようであった。
数にすると20人は超えているように見える。
ルヴェ署の鑑識を総動員させている感じであった。
ジャスティンは署長のアランに挨拶をしておこうと思ったのだが、姿は見当たらなかった。
(まあ、署長が自ら陣頭指揮に立つとも限らないか……)
ジャスティンとマルセイユは、そのままバリケードテープを潜って、門の外に出た。
すると、クリーム色をした一台の車が目に飛び込んでくる。
首都グランディールでよく見かけるタクシーであった。
(営業区域外のルヴェで見かけるとは……)
「もしかして……あの車を呼んだのですか? ルヴェ署の警察官とトラブっているようですよ」
マルセイユの言うとおり、運転手と思しき男性と二人の警察官が言い合いをしていた。
「そのようだな……」
ジャスティンは仕方なくタクシーの方へ向かうことにした。
「悪い。私が呼んだんだ。解放してやってくれないか?」
ジャスティンは、二人の警察官に領地捜査局のバッジと身分証を見せた。
すると二人の警察官は納得したようで、立ち去っていった。
「偉い目に遭ったよ。屋敷の前に呼び出されたから来てみれば、いきなり職質だよ」
男は舌打ちをすると、値踏みをするようにこちらを見つめてくる。
「悪かった。呼び出してから、こんなに早く来るとは思っていなかった」
ジャスティンは男に詫びを入れた。
寝癖だらけの髪に無精髭を生やした中年の男だった。
身なりだけなら、個人タクシーの運転手というより浮浪者にも見ようによっては見える。
「いいよ、気にしてない。俺の方はヌーヴェル=ルヴェで客を降ろした所だから早く来すぎただけだ。それより早く乗りな」
そう言って、男は運転席に乗り込んだ。
ジャスティンとマルセイユも後部座席に乗り込んだ。
「それで何処に行くんだ?」
男は車を方向転換させながら訊いてくる。
「ルヴェ領内には詳しいのか? ここは営業区域外だろ?」
ジャスティンが訊ねると、男は鼻で笑う。
「ルヴェは首都から目と鼻の先にあるんだ。庭みたいなものだ」
「それなら安心だ」
車が丁字路に差し掛かった所だった。男はヌーヴェル=ルヴェの方向にウィンカーを出したので、ジャスティンはそれを制止させる。
「左じゃない。右に行ってくれ」
「右?」
男はミラー越しにジャスティンを怪訝そうに睨み付ける。
「ヴェリーヌに行くのか?」
「いや……違う。クレールヴァルだ」
キキィィーー!!
タイヤが悲鳴を上げて、車は急停車する。
ジャスティンは前のめりになり、運転席のシートに顔を打ちつけてしまった。
「おい! 危ないじゃないか!」
ジャスティンは痛む鼻を手で押さえながら、怒鳴り声を上げた。
バックミラー越しにジャスティンは、男を睨み付ける。
すると、男は青ざめた表情をしていた。
わずかではあるが、ハンドルを握る手もふるえているのが見て取れる。
「降りてくれ!」と男が声を荒げる。
ジャスティンとマルセイユはワケが分からず、顔を見合わせてしまう。
「おい、何を言っているん――」
「いいから! 降りてくれ!」
男はさらに声を荒げて怒鳴った。




