第四十三話「注視という鍵」
「そうだよ。指紋認証のセキュリティの突破率は、顔認証よりも高いんだ。確か——」
額をコツコツと叩いて、記憶をたどる。
「……5万分の1くらいだったかな」
「それって……」
視線を上にして、唇をつまむ。
「5万人に1人の割合で一致するということですよね?」
「理論値で言えば……そうなる」
「じゃあ、顔認証はどれ位なんですか?」
「顔認証は、なんと100万分の1なんだよ」
マルセイユが疑いの眼差しを向ける。
「何だその眼は? お前——信じていないな?」
「そんなことないですよ。私のような美少女は100万人に1人くらいだと――」
恥ずかしそうに視線をそらす。
「自負していますよ」
(なんで恥ずかしそうにするんだよ……。自負しているのか、冗談なのか分からないじゃないか)
ジャスティンは一つため息を吐く。
「分かった分かった。お前のような美少女はさらに突破率は低くなるだろうが……。この100万分の1という理論値は、あくまで『注視』込みの数値なんだよ」
「注視……? それって……何ですか?」
「まあ……実物も其処にあることだし——」
ジャスティンは立ち上がると、書斎の入り口に向かって歩き出す。
「実際試した方が早い」
ジャスティンとマルセイユは書斎から出て、廊下まで歩いてくる。
「それじゃあマルセイユ、扉を解錠するための行動をしてみてくれ」
「え? あ……はい……」
戸惑い気味のマルセイユであったが、認証端末を見るとそちらへと近づいていく。
レンズの縁に付いているリング型のLEDが人を感知したのか、青色の点灯から白色の点滅へと切り替わる。
その白色の点滅に引き寄せられるように、マルセイユは一眼の大きなレンズをのぞき込む。
すると白色の点滅から点灯に切り替わった。
「はい、ストップ。もういいよ」
「え? 何ですか……?」
マルセイユがキョトンとした表情と不安の眼差しでジャスティンを見つめる。
「今、そのレンズを覗き込んだだろ? それが『注視』だよ」
「……ん?」
それを聞いて、マルセイユは首をかしげる。
「この注視するという行動自体が、認証になっているんだ」
「なんか……納得いかないんですけど……。私を騙くらかそうとしてませんか?」
マルセイユは冷ややかな眼差しを向けてくる。
「してないよ。疑り深いよな? お前……」
呆れたように首を横に振ると、ジャスティンは認証端末の近くまで歩いて行く。
「たとえば何者かによって、本人が昏倒させられて連れてこられたとする。仮にそういった状態では自分の意思で覗き込むことはできないだろ?」
「つまり……目を閉じている状態では認証できないということですか?」
「ん~半分正解かな……?」
ジャスティンはマルセイユに近づくと、彼女の顔を覗き込む。
「注視というのは、目を開いているか閉じているかだけじゃなくて、瞳孔や視線の動き――。それに目の周りの筋肉の動きを検出しているんだよ」
「な……なんですか……?」
マルセイユは、うわずった声になる。
「左目の充血は完全に引いたみたいだな……」
ぼそりと小さく呟く。
「なっ!」
マルセイユが顔を赤くして、咄嗟に左目を手で隠した。
「『注視』という行動がなければ、本人であっても解錠はできない仕組みなんだよ。だから実際には、顔認証プラス注視認証での突破率が100万分の1ということかな」
マルセイユは納得した表情を見せる。
「それって……指紋認証の突破率が高いのは、自分の意思とは無関係に認証させられてしまうからですか?」
「ああ、その通りだよ。指なんて切り落としてしまえば、わざわざ本人を連れてくる必要もなくなる。人体の一部が鍵として機能しているだけだからね」
「で、でも……首を切り落――」と言いかけて止める。
そして、何か別のことを考え始めているようであった。
(たまに不穏なことを言うよな……)
ジャスティンがそんなことを考えながら見つめていると、マルセイユは考えがまとまったのか口を開いた。
「そ、そうですよ……。写真を引き伸ばしたお面や、デスマスクを被って注視すれば良いじゃないですか?」
「その場合は、顔認証で引っかかるよ」
「え? このレンズ——単眼ですよ?」と、端末を指さす。
「違う違う。それはダミーだ。認証用のレンズは別にある」
「ダミー?」
マルセイユはスナップをきかせてペチリと認証端末を叩いていた。
「最初、そのレンズの縁に付いているリング型のLEDは青色だった。それが人が近づくと青色から白色の点滅に変わり、さらに覗き込むと白色の点灯に変わっただろ?」
「もしかして……誘導されていたのですか? 覗き込むように」
「そういうこと。そのレンズが認証用だと思い込んで、ね。自主的に注視行動をしていたんだよ」
ジャスティンは感心したように端末を見つめる。
「上手くできてるよ……。レンズもオートフォーカス風に動くし」
マルセイユは騙されたのが面白くないらしく、端末を覗き込んで、認証用のレンズを探し始めた。
「それじゃあ、本物のカメラは何処にあるんですか?」
「大きいレンズの少し上のところに、小さい黒丸が等間隔に並んでいるのが見えないか?」
「あ……あった。え……? この小さい4つの黒丸ですか?」
マルセイユは、その箇所を指さしながら、ジャスティンを見つめる。
「そう、それだよ。おそらく……赤外線フラッドイルミネーター、赤外線カメラ、ドットプロジェクター、RGBカメラの4つで一つのモジュールを構成している感じかな」
そう言いながら、ジャスティンもマルセイユの側まで近寄ると、認証端末を覗き込む。
単眼レンズの縁に付いているリング型LEDが白色の点灯に変わる。
「まず照明の役割をしているのが赤外線フラッドイルミネーターで、赤外線だから目には見えないけど顔を照らしているんだ。そこにドットプロジェクターで3万個のドットを投影する。それを赤外線カメラで読み取ることで、ドットの歪み方で顔の深度……つまり3D構造のデータを作るワケだ。これが主データになる」
リング型LEDが、白色点灯から赤色点滅に切り替わる。
ジャスティンは認証端末から離れて、マルセイユに顔を向ける。
「RGBカメラは補助的な感じかな。目、鼻、口、輪郭と言った平面特徴を2Dデータにして、最後に3Dデータと組み合わせる。このデータが登録した顔のデータと一致すれば解錠する仕組みだよ。だから、写真を引き伸ばしたお面は論外だし、デスマスクを被ったとしても肌の質感の違いで弾かれてしまうかな」
「なんだか……凄い仕組みなんですね」
マルセイユは感心する。
「だろ? だから、顔認証から指紋認証に切り替えるというのは、わざわざセキュリティを引き下げようとしている行為なんだ」
「……そうですね」
マルセイユは首を傾げる。
「では——どうして、侯爵は指紋認証に切り替えようとしていたのでしょうか?」
(顔認証から、指紋認証への切り替えが意味することは——)
それはイヤな想像であった。
「おそらく……」とジャスティンは呟くが、一旦、そこで口を閉ざしていた。
「……おそらく?」
マルセイユは首をかしげた。




