第三十二話「もう一人のフェルナン」
「さて――」
ジャスティンは書斎の扉が閉まる音を聞きながら、小さく呟いた。
「ようやく書斎の捜索が始められる」
「書斎も調べ直すつもりですか?」
マルセイユはその呟きを聞き逃さなかった。
「先ほど、角が立つとか言ってませんでしたか?」
やや気怠げに訊ねてきた。
「だから、ルヴェ署の方々には、外を徹底的に調べてもらうんだよ。こっちは密室ではないことが分かったんだ」
書斎の中央まで歩いてくると、ジャスティンはマルセイユの方へと振り返る。
「俺たちは犯人の行動も含めて、もう一度、書斎を捜索する。まずは――」
ジャスティンは天井を指差す。
マルセイユはジャスティンの指差す所を見上げる。
「天窓の確認だよ――お猫様」
「わかりました……にゃん」
マルセイユはややダウナー気味にそう答える。
バルコニーに出て、手すりに足をかけると、身軽に屋根に飛び乗った。
緩やかな傾斜のある青灰色のスレート葺の屋根を、トントントンと軽快なリズムで登っていく。
ジャスティンはその後姿を見送ってから、書斎に戻り、天窓の下へと移動する。
見上げると——マルセイユが窓を見下ろして手を振っている。
そんな事は良いから早くやれと、身振りで合図を送る。
マルセイユは座り込み、窓枠を、目を凝らして確認していく。
確認が終わると、スカートについた汚れを軽く払い落としてから、身を翻して引き上げてきた。
もう一度、ジャスティンはバルコニーに出て、屋根をトコトコと歩いてくるマルセイユに声をかける。
「何かあったか?」
「特に異常はないですね。窓枠も取り外されたような痕跡は見受けられません。あと屋根に足跡も、な――」
言いかけて、マルセイユは足がもつれたのか、不自然な体勢のまま宙を舞う。
このままだとバルコニーに落ちる!
ジャスティンは咄嗟に両腕を伸ばして彼女を受け止めた。
――が、予想を遥かに超えた重さに膝が耐えられなかった。
筋肉が軋み、両腕にのし掛かる重量でバランスを崩してしまい、鈍い音と共に尻餅をついてしまった。
「ジャスティン様……大丈夫ですか?」
心配そうに声を掛けてくるマルセイユ。
「大丈夫だ。リグの重量を考えに入れていなかった」
「まったく――」
マルセイユは一つため息を吐く。
「リグの着用は家猫の義務ですよ」
「そうだったな……」
ジャスティンは、彼女の腰のあたりに回していた両の手のひらで、彼女の身体を触って確かめてみた。
メイド服の上からでも人肌とは違う、硬質な金属的な感触が伝わってくる。
「着てるのは――もしかして『夜想曲』か……?」
「そうですよ……。夜想曲の……第三世代モデルです」
「薄型軽量とは聞いていたが――メイド服の下に着込んでいるとはいえ、お前……細身だから着ていることを、つい忘れるんだよ」
「そんなに私の身体をまじまじ見ているのですか? やらしいですね……」
「そんなワケないだろ――」
ジャスティンはため息をつく。
冗談の切れも悪いマルセイユを、ジャスティンはそのまま抱き起こすと、書斎へと連れていく。
重かったが声に出さずに我慢する。
「ジャスティン様……?」
戸惑うマルセイユをソファに横たわらせた。
「薬が抜けてきてるんだ。少しそこで休んでいろ」
ジャスティンは痺れる腕をさすりながら、踵を返す。
「あと……ニオイ袋はもう隠れて嗅ぐなよ。次やったら取り上げるからな」
ジャスティンの言葉に、マルセイユは恥ずかしそうに頷いた。
ジャスティンは書斎の捜索に取り掛かる。
とりあえずマルセイユに天窓を確認してもらったおかげで、侵入の経路はバルコニーからの扉で間違いなさそうだった。
(あとは……書斎の気になる箇所を見て回るとするか――)
ジャスティンは書斎を見回して、遺体が倒れていたとされる白線で囲まれている箇所でしゃがみ込む。
絨毯には流れ出た血液の跡が、小さなシミになって残っている。
(確かに……血溜まりの跡は小さい)
この血痕については、ルヴェ署の捜査資料も触れているが、殺された後に右腕と右脚が切断されたにしては、流れ出た血液の量が極端に少ない。
検死の結果――死亡時刻はおよそ夜21時から深夜0時の間に絞られる。
被害者のフェルナンが帰宅したのが22時であるとするのなら、書斎に籠ってからおよそ2時間以内に、バルコニーから侵入した何者かによって殺害されたことになる。
死因は絞殺―――。
紐状の物で締められた痕跡があった。
抵抗した形跡は見られないとのこと。
しかも検死から、遺体に残存する血液の量が少なかった事が判明している。
理由は不明であるが、意図的に血液が抜き取られているそうだ。
ゴシップの記事であれば、適当に怪物のノスフェラトゥの仕業だと言い張れば良いが、領地捜査局の捜査官という立場上、そんないい加減な事は言えるはずもない。
(こいつは一旦保留だな――)
ジャスティンは立ち上がる。
すると、視線の先にある机に目が止まる。
書斎奥にある長机だった。
(そういえば、ファイルには記載がなかったな……)
領主ということもあり、比較的高級そうな長机にパソコンとモニターが置かれている。
机まわりは整然としていた。侯爵は几帳面な性格のようだ。
机の上にもキーボードと筆記類が置かれているくらいであった。
ジャスティンは捜査用の手袋を嵌めると、机の一番上の抽斗を開けてみる。
抽斗の中には手紙が束ねられて入っていた。
差出人のほとんどは貴族たちであった。
ジャスティンも見知っている有名貴族が名を連ねていた。
ほかに何かないかと抽斗をのぞき込むと、奥の方に一通だけ変わった封書が見つかった。
その封書は黒味の強い灰色の封書であった。
宛先の住所と氏名はラベルシートが貼り付けられている。そして裏面の差出人の欄には、子供が書いたような拙い筆跡で『もう一人のフェルナン』と書かれていた。
(もう一人のフェルナン……?)
その筆跡をなぞりながら、ジャスティンは眉根を寄せた。
封蝋は開けられているので、中にある便箋を取り出す。
高級な香り付きの便箋が一枚入っていた。
差出人の欄に書かれていた拙い筆跡で、文章が綴られていた。
書き出しは「親愛なるもう一人の私へ――」だった。
***
やあ、フェルナン。
はじめまして――と言うべきかな。
君が僕の存在に気づいたのは、ずっと昔のことだろう。
けれど、僕が君という存在を知ったのは、つい最近のことなんだ。
何も知らなかった僕に、友人は優しく教えてくれた。
君がどんな道を歩いてきたのか。
君がどんな選択をしたのか――。
そして――君が何を失って、進んできたのかを。
だから僕は文字を覚え、こうして手紙を書いている。
汚い字でごめん。でも、君ならその意味は分かるはずだ。
僕が、どうしても君に伝えたいのは――ただ一つ。
君が手にしたものは、僕のものだということ。
「形」も「重み」も「未来」もすべて。
君にそれが必要だったことは理解している。
けれども、真実を知った僕が「そのままにしていい理由」にはならない。
代償を払うべきなのは、僕じゃない。
君なんだ。
君自身の意思で、君自身の決断で、あの夜を選んだのだから。
返してほしい。
けれども僕は失ったすべてを返してくれとまでは言わない。
叶わぬ望みを口にするつもりもない。
せめて僕の「歩み」を、君の手で。
期限は、九月二十六日。
午後八時に、レイヴンズバーグ総合病院旧棟の受付で待っている。
願わくば、君に「わずかな良心」が残っていることを。
――もう一人のフェルナンより。
***
(なんだ……これは――? 自分自身に宛てた手紙なのか……?)
(侯爵は二重人格だった……? いや——まさか……?)
混乱しかけたジャスティンは、頭を振った。
もう一度、事件の資料を読み返してみる。
資料には、精神科への通院歴は記載されていなかった。
(まあ、当然と言えば当然か……。ここはルヴェ領内だ――。領主にとって不都合な真実は、秘匿されていると考えるべきだ)
だが、侯爵に精神疾患があり、二重人格だったと証明できるものは何ひとつない。
(そう考えると……)
この筆跡が侯爵の別人格の物であると、今のところ断定はできない。
それに——この手紙は「消印」が押されている。
スタンプは『9月20日 首都グランディール―中央―』と印字されている。
つまり——首都グランディールにある郵便局に持ち込まれた、或いはポストに投函されたとみて間違いない。
公共機関である郵便局を経由して、ルヴェ領の領主宅であるモンソレイユ邸に届けられたという事実が存在している。
この事実から侯爵の別人格が書いたと考えるより、誰か別の人間が書いたと考えた方が自然だ。
それ以外にも、気になる箇所はあった。
それは——文面の最後の方に出てきた一文だった。




