第三十一話「侵入の痕跡」
書斎の扉は簡単に開いた。
セキュリティ自体は解除されたままの状態のようだ。
マルセイユが続いて入ってくるが、執事のジャイルズは書斎には入ってこなかった。
(まあ、当然といえば当然か……)
ジャイルズは第一発見者だ。あまり思い出したくない光景なのだろう。
そんなことを考えていると、後ろにいるマルセイユが声をかけてくる。
「ジャスティン様——」
振り返ると、マルセイユはご機嫌な笑顔だった。
「私、分かっちゃいました♡」
「……何が分かったんだ?」
あまり訊きたくはなかったが、訊ねてみた。
「もちろん~」
ニコニコの笑顔のマルセイユ。
「密室のトリックですよ~」
それを見て、ジャスティンは一つため息をつく。
「マルセイユ……」
ジャスティンは手招きをする。
「ちょっとこっちに来い」
「……なんですか?」
マルセイユは神妙な面持ちで、ジャスティンの側に近づいていく。
「ジャスティン様……? こ、こんな所で何を……?」
マルセイユは、はわわわ言いながら顔を赤らめる。
「そんなに――顔を近づけて……」
「充血は引いてきているが……瞳孔はまだ——」
ジャスティンは首を傾げながら、マルセイユの左目を覗き込む。
「な?!」
マルセイユは飛び退き、左目を瞑る。
「な、何ですか――?」
さらに、左の手で左目を覆った。
「いや……お前……幻覚症状が出てるだろ?」
呆れ気味にマルセイユを見つめる。
「トリックじゃなくて、トリップを披露されてもな……」
「し、失礼ですね! ニオイはしなくなりましたよ」
マルセイユは顔を真っ赤にして抗議する。
「それに幻視があるワケでは——」
目を細めて遠くを見つめる。
「……あれ?」
「ん? どうした?」
バルコニーの方を見つめて動かないマルセイユが、心配になってくる。
「そこに人影が……? あれ……?」
マルセイユは右目を擦ってからもう一度バルコニーに視線を送る。
「もしかして……私だけが見えてるんですか?」
マルセイユが、不安そうにバルコニーを指差す。
「お前……大丈夫か――」
ジャスティンが振り返り、マルセイユの指差すバルコニーを見つめる。
すると――手すりを超えた向こう側に、男がひょっこりと顔を出してこちらを覗き込んでいた。
相手もこちらの視線に気づいたのか、頭を引っ込める。
「おいおい……誰だよ? あいつは――」
ジャスティンは慌ててバルコニーの扉を開けて飛び出した。
バルコニーの手摺りに身を乗り出して覗き込むと、ハシゴを降りていく男が一人。
「おい! そこのお前!」
ジャスティンが声を荒げて叫ぶ。
男はハシゴを降りるのをやめて顔を上げた。
中年の男だった。無精髭に首に手拭いを巻いている。
「話がある! 戻ってこい! 逃げたらどうなるか分かるよな?」
男は観念した様子で、ゆっくりとハシゴを登ってくる。
バルコニーに上がった男は、神妙な面持ちでぺこりと頭を下げた。
デニムのオーバーオールを着て、首には手拭いを引っ掛けている。
見た感じの年齢は50代くらいか――。
小柄だが筋肉質な体型に見える。
「す、すみません。捜査中とは気づかずに……」
「名前は?」
「ポール・カロン……ここの庭師をしています」
「……庭師?」
ジャスティンは不審の眼差しを向ける。
「マルセイユ――ジャイルズさんを連れてきてくれ」
マルセイユは速やかに書斎の外で待っていたジャイルズを、バルコニーまで連れて来てくれた。
「カロン! お前……」
執事のジャイルズが驚きの表情に変わる。
「この男は庭師のポール・カロンで間違いないですか?」
「はい。モンソレイユ邸の専属庭師です。カロン! お前は何を――」
「ジャイルズさん。それは私の仕事です。マルセイユ、ジャイルズさんを外に……」
そう言って、マルセイユに書斎の外へと連れて行ってもらう。
ジャスティンは一つ息を吐く。
「さて……カロンさん。何をしていたのか聞かせてもらえますか?」
カロンは観念したようで、俯きながら、ぽつりぽつりと話を始めた。
「事件のあった日は、ジャイルズさんに待機を命じられたんですが——。今日から平常業務ということで、中庭を掃除していたんです」
「なるほど……。掃除ねぇ――」
ジャスティンは訝しげにカロンを見つめる。
「窓拭きでもしようとしていたのですか?」
「いえ——見たことのないハシゴが庭の茂みに落ちていたんで」
「見たことのないハシゴ?」
思わず聞き返してしまう。
(まさか……犯人が持参したハシゴだとでも言うつもりか?)
「はい……。道具の管理は私がしているので、見ればすぐにわかります」
カロンは俯きながら小さい声でそう言った。
「だとしても、どうしてハシゴを書斎のバルコニーに立てかけて登るんだ?」
「書斎の下を通りかかったら、地面に窪みを見つけたんで」
「窪み?」
ジャスティンは嫌な予感が過ぎる。
「窪みが二つあったんで、もしかしたらと思って——」
カロンは、ぽつりぽつりと話を始める。
「そしたらハシゴの足と一致したので……。ちょっと興味本位で……つい――」
「カロンさん……」
ジャスティンはため息を漏らす。
「少しの間、書斎の外で待っていてもらえますか?」
カロンは頷き、マルセイユに書斎の外に連れられて行った。
ジャスティンは事件の資料をもう一度確認する。
見落とはしていない。それは分かっていた。
だが、事が事だけに万が一もあると思い、隅々まで確認してみた。
ジャスティンはもう一度ため息を漏らす。
やはり——記載はなかったのだ。
「何か、あったのですか?」
マルセイユがバルコニーに戻って来るなり、落ち込んでいるジャスティンに訊ねてきた。
「モンソレイユ邸の、捜査をしていないんだ」
「話が見えないのですが……」
マルセイユが怪訝そうに見つめてくる。
「ルヴェ署の署長から、捜査ファイルを受け取りましたよね?」
「そのファイルを読み直してみると、屋敷の内部は鑑識が入っているみたいだが……」
ジャスティンは頭を振る。
「屋敷の外側の捜索はされていないんだ」
「つまり……どういうことですか?」
「捜査ファイルの資料から、書斎は密室ではなかったことが判明し、さらに庭師のおかげで、犯人がバルコニーから侵入した可能性が浮上したのさ」
説明しているだけで、頭が痛くなってくる。
「ちょっと待ってください……」
ようやく事情が飲み込めたのか、マルセイユも慌てた表情で見つめてくる。
「良かったな。自信たっぷりに、これは至宝を使った壁抜けです——とか言わなくて」
マルセイユの顔がみるみる赤くなっていく。
「ずるいです。そういう重要な情報は先に提示しておいてください!」
「俺もそう思うよ。今回の一番の原因は、警察庁と領地捜査局の連携ができていないことにあるのさ——」
ジャスティンは手すりに背中を預けて、空を見上げる。
澄んだ青空が目にしみる。
「警察庁がルヴェ署にストップをかけたまでは良いが、ルヴェ署は初動捜査の段階で密室だと思い込んで、書斎のみ鑑識を入れただけだった」
(ああ、このまま何もかも忘れて……。そういうワケにも、いかないよな)
ジャスティンは頭を振って、マルセイユを見つめる。
「屋敷の外……つまり中庭や周辺の捜索をしていないんだ。それで警察庁はルヴェ署の捜査がどこまで進んでいるのか確認しないまま、この事件を領地捜査局に放り投げたわけだ」
「それで――どうするんですか?」
「どうするも何も……」
ジャスティンは肩を竦める。
「捜査するしかないだろ?」
「私たちだけで……ですか?」
「ん……イヤか?」
「そういう事ではなくて……ですね。時間的に――」
「分かっている。鑑識を手配する」
「来てくれますか?」
「領地捜査局の鑑識は忙しいからな……」
ジャスティンは小さく舌打ちをする。
「それに……角が立つだろ? 警察組織というより、ルヴェ署に――」
マルセイユに、そう言うと携帯端末を取り出した。
「だから、角が立たないように、俺からルヴェ署にお願いするよ。領地捜査局の局員が頭を下げて丸く収まるのなら——安いものだ」
ジャスティンは、署長のアランに今し方の事情を説明する。
そして領地捜査局から協力要請を願い出ると、あっさりと快諾を得ることができた。
署長としても、従兄弟であり領主であるフェルナンの無念を晴らす事ができない事に、歯痒さがあったようだ。
ジャスティンは書斎の外で待っている、執事のジャイルズと庭師のカロンに事の経緯を説明した。
ジャイルズには書斎の入り口で待ってもらうとして、庭師のカロンについては、今日も仕事にはならないので自宅で待機してもらうことになった。




