第十二話「見えない包囲網」
斬撃が迫り来る!
咄嗟にワングリフ!
『斬撃を――無効にする』
クリスは右腕に装着しているリグに一文を刻み込む。
(これで……防ぎきれるか?!)
目を閉じる——。
斬撃はクリスの右腕を捉えた。
だが――。
攻撃を仕掛けた少年が、目を丸くする。
手応えのあった感触……。
だが——血は見えない。
「切断されて……いないだと?」
少年は、思考が止まりかける。
クリスはその隙を突いて踵を返す。
そして、二階に上がるエスカレーターを駆け上がる。
ふと、右腕に装着されたリグに違和感。
軽い——やけに軽く感じる……。
袖を捲ると——リグが外れていた。
「あの斬撃には、耐えられなかったか……」
『いや――刻み込んだのじゃから、斬撃そのものは無効になったはずじゃ』
「だが、見ての通りだよ」
クリスは、リグの壊れた箇所を取り外して、階下に投げ捨てた。
『無効になっていなければ、腕ごと断ち切られておる』
言われてクリスも納得する。
腕は確かに身体から離れることはなかった。
けれどもリグは壊れている。
「なら、どうして壊れたんだ?」
当然、残る疑問。
斬撃そのものが無効化された。
ならば――リグが壊れることはないのではないか?
『おそらく――刻んだ物語が強すぎたのじゃろうな』
クリスは首を傾げる。
それを背中に負ぶさったマレーネが、肩越しに見つめてくる。
『その様子では理解しておらぬようじゃのぉ』
耳元にため息が聞こえる。
『斬撃を無効にするという物語を実現させるためには、そのリグは脆すぎたのじゃ』
「つまり、刻み込む物体に強度が必要なのか?」
ふと気になったことを口にする。
マレーネは頷く。
『まあ……それは物語にもよる——。刻んだ文字が現実になるのじゃ。当然、その代償は物体の寿命を削る』
「物体によっては、物語を実現できないというのか?」
『実現できない物語は、そもそも刻み込めぬ。刻み込めたと言うことはじゃ——』
「刻み込めたということは……?」
クリスのオウム返し。
『少なくとも実現はできるはずじゃ。ただし——その回数は不確定になるがのぉ』
「回数制限があるわけだな?」
『まあ、簡単に言えば、そういうことじゃ——』
エスカレーターを駆け上がったクリスと、彼の背中に負ぶさるマレーネは、二階の吹き抜けから正面ロビーを見下ろす。
階下のエスカレーターの前には、少年がこちらを睨み付けていた。
『さらに言えば——一度しか耐えきれなかったということはじゃ……。彼奴の斬撃もまた凄まじかったのじゃろう』
確かに……。
クリスは納得してしまう。
あの金髪の少年は、リグを着込んではいない。
ジャケットにデニムのジーンズという軽装からも、それは容易に推測できる。
にもかかわらず、あの居合による抜刀――。
相当の実力者だと思っていた方が良さそうだ。
少年と目が合った。
獲物を捕らえる鋭い眼光――。
その場に立ち尽くして、こちらを見上げている。
「追ってこないみたいだな?」
『彼奴もこちらを警戒し始めたようじゃのぉ』
おぶさっているマレーネが、肩越しから階下を眺めながら、そう告げる。
「こっちの至宝の能力を探ろうとしているってことか?」
『そう考えて間違いなかろう』
「マレーネ——」
ふと気になった事を訊ねてみた。
「あいつもメルローズ同様、三銃士の子供なのか?」
『……その様じゃのぉ』
マレーネの探るような眼差し。
『名前は——シャルル・エディアール』
(エディアールのお坊ちゃんか……)
クリスは睨み付けてくるエディアールを、にらみ返す。
「当然、至宝も承継相続しているのか?」
『もちろんじゃ。至宝の名前は——カサブランカ』
(カサブランカ……?)
『金縁の片眼鏡じゃ。能力は——空間の支配。認識した空間内部の物体を自由に操れる』
「空間の支配?」
クリスは首を傾げる。
「その能力で周囲の人たちが、俺や彼奴を認識できなくなるのか?」
『察しが良いのぉ』
マレーネがニヤリと笑みを浮かべる。
『それは別の能力じゃよ』
「まさか——」
クリスは苦虫を潰した表情を浮かべる。
「もう一人……いるのか?」
『主は塋域で、メルローズの小娘を手玉に取ってしまったからのぉ』
マレーネはクリスの背中から降りると、彼の正面にある吹き抜けの手すりに腰掛ける。
『それ故に——残りの二人も、敵に回したことになったのじゃよ』
(マジか……)
思わず舌打ちが出てしまう。
『エディアールの小僧が、このような場所で暴挙に出たのが何よりの証拠じゃ』
「で——もう一人はどんな奴で、どんな至宝を持っているんだ?」
『興味あるのか?』
クリスは肩を竦める。
「興味はない。だが……聞かないと後悔するんだろ?」
マレーネは人の悪い笑みを浮かべる。
『その通りじゃ。すでに情報戦が始まっておる』
(情報戦……?)
「もったいぶらず、教えてくれよ」
マレーネが頷く。
『もう一人は、ウェッジウッドの令嬢——ルイーズ・ウェッジウッド。此奴の至宝が、マリアージュの至宝の中でも最強と謳われておる』
「最強……?」
クリスは鼻で笑う。
「大げさすぎないか?」
『至宝すべてに言えることじゃが、使いこなせれば——の話しじゃ』
「で、どんな能力なんだ?」
『至宝の名は——マルコポーロ。情報を支配することができる』
(情報……?)
「最強……なのか?」
『主の至宝と同じじゃ』
「同じ……?」
『所有者がどのように認識するかで、どうにでもなる至宝なのじゃよ』
「どうにでもなる……ねぇ」
肩を竦めつつも、クリスはふと気づいた。
「もしかして……図書館にいる者たちを、認識できないようにしているのか?」
『正解じゃ——』
マレーネがコクリと頷いた。
『ウェッジウッドの小娘は、視覚や聴覚からの情報を、意図的に遮断しておる』
「俺とあの金髪のエディアールだけが、存在していないようにしているのか」
(まったく……とんでもない能力だ――)
『それだけではないぞぉ』
「まだ、他にあるのか?」
クリスは呆れたように嘆息を漏らす。
『ほれ——アレじゃ』
マレーネは天井を指さし、ニッと笑う。
『この図書館にも、いくつも設置されておるじゃろ?』
(ああ、なるほど……)
マレーネが指さす、全方位タイプの監視カメラを睨み付ける。
「こっちの居場所を特定できるってことか?」
『そういうことじゃ。たとえ、ここから逃げたとしても――』
話しているマレーネが、忽然と姿を消した。
クリスは辺りをキョロキョロと探る。
すると——。
『位置さえ特定されてしまえば――』
背後からマレーネの声が聞こえてくる。
『ズドンと一発じゃ』
クリスが振り返ると、マレーネが右手を銃の形にして撃つマネをする。
(得心がいった。霊園でのメルローズ、そしてエディアールに背後を取られたのも、この図書館で行く先々に現れたのも——)
「エディアールの至宝と、ウェッジウッドの至宝を併用した空間移動か……」
『さて、主よ。この状況をどうやって切り抜ける?』
マレーネが揶揄うような眼差しを向けてくる。
「そう焦らせないでほしいな……」
腕組みをしながら、少し考える。
『じゃが……うかうかしている時間はないぞぉ』
「わかっているよ。その前に――ひとつ確認したいことがあるんだが?」
『何じゃ? 申してみよ』
マレーネは再び、手すりに飛び乗って腰掛ける。
「エディアールもウェッジウッドも、至宝の承継相続をした時期は同じなのか?」
『失踪宣告がされた時期は三人とも同じ、三年前じゃ』
マレーネはクリスの質問に首を傾げる。
『それが……どうしたのじゃ?』
「俺が訊きたいのは、個人差があるにしても、三年という期間で至宝のマルチタスクは可能なのか——ってことだ」
マレーネは、ふむと考え込む。
やがて顔を上げると、口角を少し上げてニヤリと笑う。
『なるほどのぉ。主はそう言うところは慎重じゃのぉ』
「褒めているんだよな?」
『褒めておる。おそらく——』
そう言いつつ脚を組み替える。
チラリとクリスの視線が下に行く。
マレーネは咳払い。
『少なくとも同時に二つは維持できぬよ。どちらかの制御は甘くなる』
「それだけ分かれば十分だよ」
クリスはあたりを見回す。
『何をする気じゃ?』
「情報戦には、攪乱が有効じゃないのか?」
ニヤリと笑う。
クリスは火災警報器を見つけると、躊躇なく非常ボタンを押した。
けたたましいサイレンの音が、図書館全体に鳴り響く。
周囲にいた者たちの視線は、火災警報器に向けられる。
だが——警報器の前に立ち、非常ボタンを押しているクリスの姿は、彼らの目には映っていなかった。
彼らの認識は——火災が起きたという警報のみ。
警報器周辺に集まってきた人たちをかき分けて、再び吹き抜けから正面ロビーを見下ろす。
一階ロビー付近でも、図書館の関係者や利用者たちがあたりを見回し、騒然としていた。
そして、正面に入り口から足早に逃げる者たちが現れ、それに釣られて正面ロビーが混雑を始めていた。
エスカレーター付近に留まっているエディアールも、押し寄せる利用者の群れにぶつかり揉まれている。
「俺と奴はまだ認識が阻害されている状態のようだ」
クリスはそう言うと二階の奥へと走り出した。
「マレーネ——お前の能力インペリアル・グレースで、館内の監視カメラを支配下に置けるか?」
面白いとばかりにマレーネは頷いた。
『空間移動を、先に封じるのじゃな?』




