第十一話「強襲」
――不覚だった。
「動くなよ……」
何者かが、背後から白刃を首元に突きつけていた。
「クリストファー・テトレー君」
チラリと、白刃を一瞥する。
反りのある刀身――打刀か。
「リディを出し抜いたというから――」
(メルローズのご令嬢……あの銃士の仲間か)
クリスは背後の人物を探る。
男の声だが……おそらく少年――。
刀身の角度から、僅かに自分よりも背が高い。
「どんな奴かと思ったが――」
値踏みするかのような視線。
そして、嘲笑。
「それほど大したことはないな……」
(一度ならず二度までも……背後を取られるとは――)
「なら――戦ってみるか?」
振り返ろうとすると――。
「動くな!」
さらに刃を首元に突きつけられる。
舌打ちをして、クリスは振り返るのを止めた。
「まずは――ゆっくりと両手を挙げろ」
クリスはゆっくりと両手を上げていく。
左手には、缶ジュースを手にしたまま……。
「ん……? なんだ?」
背後にいる少年も、クリスの左手に視線が移る。
「そこで買ったジュースだよ」
自販機の方へ少し顔を向ける。
「欲しけりゃ、やるよ」
「なら、こっちに寄越せ」
背後にいる少年は、その缶ジュースを奪い取ろうとした。
左手を伸ばして缶に触れた――。
その瞬間を、クリスは逃さなかった。
(……今だ!)
缶を手放して駆け出した。
「おい!」
背後から怒声が上がるが、次の瞬間――。
バシュッ!
――破裂音。
「うぉ!」
戸惑いの奇声。
クリスは全速力で駆け出す!
目の前には一階に下りるエスカレーターが見えてくる。
右手には書架の迷いの森が広がっている。
(どっちに向かう?)
クリスは右に曲がる。
(——あった!)
書架が立ち並ぶ、森の入り口――その手前。
右手に、一階に下りる階段と三階に上る階段があった。
らせん状に一階へと続く階段――。
スロープ状の手すりに、クリスは飛び乗り、滑り降りる。
すると――。
目の前の踊り場に差し掛かると、人影が突如として現れる。
手に黒鞘の打刀を手にした少年だった。
(待ち伏せか……?)
クリスは手すりから飛び降りて、踊り場に居る少年と対峙する。
後ろを気にして振り返る。
だが、背後に追ってくる気配はなかった。
「やってくれる……」
目の前の踊り場に居る少年が、睨み付けてくる。
金色の髪が濡れていた。
ポタポタとしずくが落ちている。
クリスは踵を返すと、今度は階段を駆け上がる。
再び二階に戻ると、クリスは書架がそびえ立つ森に入ることにした。
吹き抜けに対して、放射線状に通路が伸びるように、書架が並んでいる。
一旦、入ってしまえば、書架に邪魔されて視界が悪い。
背丈の二倍の高さはある書架の間を走る。
周囲に人の気配がない。
書架を背に、息を潜める。
息を殺して、足音や周囲の気配を探る――。
近づいてくる足音は……聞こえない。
ふぅ……。
安堵のため息——。
シュタン!
ふいに背後から……何かを切断した音。
一拍の間——。
頭上から何かの影に飲み込まれる。
見上げると——。
書架が頭上に迫っていた。
さらに——。
まるでスコールのように、大量の書籍がバサバサと音を立てて落ちてくる。
理解が追いつかない。
だが——本能が危険を告げていた。
その場から素早く逃走を決め込む。
ドォオンン!
書架が倒れる音と振動がエリア全体に響き渡る。
振り返るが、周囲に居る利用客は、轟音には何故か気づいていない。
(嘘だろ?! 誰も気づかないのか?)
書架の間を縫うようにして走っていると、森から抜け出てしまった。
慌てて身を隠せるところを探る。
左手に一階の広場が見下ろせる吹き抜けが見える。
下りのエスカレーターも見えた。
しかし、クリスは別の書架が立ち並ぶエリアへと逃げることにした。
再び、奥深くに入り込み、今度は気配を殺して座り込む。
近づいてくる足音はなかった——。
だが……。
照明を遮る影が、頭上に突如現れる!
「見えているぜ!」
先ほどの少年が、打刀を手に、クリスを見下ろしていた。
急襲!
頭上からの突きを主体にした攻撃!
書架と書架との狭い空間で、クリスは頭上からの攻撃を、右に左に上手く躱していく。
敵の猛攻に、逃げる機会を失っていた。
背後を見せたら、やられる……。
本能がそう告げていた。
しかし、嵐のような猛攻を、このままずっと防ぎきれるとは思えなかった。
不意に左手が書架に触れる。
すると——。
無意識の願望——。
左手から漏れ出る光。
刻み込んだ一文が——書架を動かす!
書架は傾き、攻撃を仕掛ける少年に倒れかかる。
倒れてくる書架に、少年の視線が移る。
その隙をついて、クリスは逃走に転じた!
書架の森を抜けたクリスは、この場から立ち去るべく、一階に下りるエスカレーターに飛び乗った。
『主よ! 無事か?!』
クリスの背後から、マレーネの声が聞こえてくる。
『来るのが遅いと思うておったら——』
振り返ると肩越しにマレーネが見える。
『敵に遭遇していたとはのぉ……』
「何とか無事だが……」
背後が気になる。
「後ろから追ってきているか?」
マレーネは振り返るが、エスカレーターにも二階の吹き抜けにも敵の姿はなかった。
『いや……追ってきてはいないようじゃ』
(追ってこない?)
不気味さを肌で感じる。
『それにしても主もやるではないか。ワングリフを上手く決めたものじゃ』
マレーネは褒めてくれるが、クリスは苦笑するしかなかった。
書架が倒れたのは——あれは無意識。
「必死だったからな……」
缶ジュースに、一文を刻み込んだことを振り返る。
『手を離した瞬間に、爆発する——』
具体的な一文ではなかった。
効果は期待できなかったが、それでも不意の一撃で隙を作ることには成功した。
『それで良い。試行錯誤を繰り返して、主の物語を刻み込むことじゃ』
エスカレーターを下りて、一階の正面ロビーへと駆け出す。
左手に受付カウンターが見えてくる。
「マレーネ——図書館のデータベースへのアクセスは次の機会で良いか?」
振り返り訊ねる。
「この状況じゃ、無理そうだ」
『構わぬ。どうせ、大した情報はありはせぬ』
「どうして、そう言い切れる?」
ふと気になったので、肩越しから訊ねてみた。
『この図書館は、革命後に建てられておる。名前にも第二と冠しておるじゃろ?』
クリスも納得する。
『おそらく革命に関する資料はあるやも知れぬが、皇女神や妾に関することはないと思うぞ』
マレーネの言葉に、この場に思い残すことはなくなった。
「じゃあ、さっさとこの場から立ち去るとするか——」
そう呟いて、クリスは入り口の自動ドアへと駆け寄っていく。
しかし——。
突如として、クリスの目の前に少年が現れる!
「な?!」
思わず声が出てしまうクリス。
すでに片膝をついた居合いの構え!
その間合いにクリスが踏み込んだ瞬間だった!
——抜刀!
白刃の一閃!
狙いはクリスの脚だった——。
足下を薙ぎ払う!
クリスはジャンプで躱しつつ、バックステップで間合いをあける。
「無駄だ——」
少年は立ち上がると、柄頭を押し込み、白刃を鞘におさめる。
「お前に逃げ場はない」
「おいおい……」
クリスは受付カウンターや周囲を見回す。
「本気でそんな物騒なものを振り回すつもりか?」
しかし、周囲の者たちは、刀を手にした少年を気にした素振りがない。
——おかしい。
何かが……決定的におかしい。
クリスは動揺を悟られないように、呆れた表情で——。
「ここは公共の施設内だぞ」と、言い放つ。
すると、少年は鼻で笑う。
「安心しろ」
一言のみ——。
そして、立ち姿勢のまま、再び居合いの構えに入る。
クリスは、一歩二歩と後退する。
すると——。
どん!
背中に何かがぶつかる衝撃。
振り返ると、中年の男性がいた。
不思議そうな眼差し——。
首を傾げながら、クリスの方を振り返りつつも、自動ドアへと歩いて行く。
さらに——。
クリスの横を警戒する様子もなく、親子連れがにこやかに通り過ぎていく。
日常と非日常——その境目に、クリスは立っていた。
(……なんだ?)
「気づいている者はいない――」
少年の呟き声。
視線だけで周囲を探る。
確かに、入り口のロビー近くにいる利用客は、無関心そのものだった。
クリスは試しに声を張り上げてみた。
施設内にクリスの声が響き渡る。
周囲を遮音壁に囲まれたみたいに、声の主に視線が向けられることはなかった。
目の前の少年は居合の構えをとり、にじり寄ってきた。
思考の時間は与えられない!
あたりを見回す。
すると視界の左隅——カウンター横。
二階に続く、らせん階段が目に飛び込んでくる。
クリスは、その階段へと走り出す。
「逃れられ――」
少年の声が途切れる。
振り返ると、少年の姿が忽然と消えていた。
(――消えた?)
突如——。
「逃れられ――ると思うな!」
進行方向から、少年の声が聞こえてくる。
再び、抜刀からの斬撃――。
(避けきれない!)
そう判断したクリスは左手を右腕に添えながら、斬撃に備えていた。




