第十話「ワングリフ」
『ちょうど良い。彼処に自販機がある。試してみようぞぉ』
マレーネに促され、重い腰を上げた。
足早に自販機に向かう後ろ姿を見つめながら、クリスはついて行く。
『主よ』
笑顔で手招きをしている。
『これに触れてみよ』
マレーネに言われ、自販機に触れてみる。
ガコン――取り出し口に落ちる音。
さらに――ファンファーレ。
『強制的に当りにした』
どうだと言わんばかりの表情。
『ほれ――もう一個……好きなのを選ぶと良い』
『便利だな……』
クリスはとりあえず感想を述べる。
『まあ……窃盗罪じゃが――』
「じゃあ、あまり使わない方がいいな」
言いながらも、クリスは取り出し口に落ちた二つの缶ジュースを取り出す。
そして、元いたソファに腰掛ける。
「マレーネの受け持つ能力はわかった――」
クリスは缶ジュースをテーブルに置く。
「俺が使える能力について教えてくれよ」
『そう急かすでない』
クリスの左隣に座る。
『能力名は――ワングリフ』
「ワングリフ?」
『主だけの物語を刻む能力じゃ――』
言われても、ピンとこなかった。
「……物語? 何となく……一文のみの気がするが――」
『推測の通りじゃ。触れた物体に一文を刻み込める』
(一文を……刻み込む?)
『そして――それは物語になる』
「ひどく曖昧で……抽象的だな――」
頭をひねって考えてみるがわからない。
「物語って……なんだ?」
『深く考えすぎじゃ。一文のみの物語――』
悩むクリスの横顔を見つめる。
『それ以上でもそれ以下でもない』
クリスは左手を見つめる。
「一文のみの物語――」
『シンプルにそれだけでよい。自分の願望を実現できる能力だと認識することじゃ』
「ん~。そう言われてもなぁ……」
腕を組んで小首を傾げる。
それを見て、マレーネはため息を一つ。
『主は、そういうところは頭が固いのぉ』
そう言って、テーブルに置かれてた本を指さす。
『そうじゃ――試しに、その本に書き込んでみよ』
「持ってきた本に?」
『本に触れて、「マレーネが読めるようになる」と念じてみよ』
クリスは本の上に左手を乗せる。
『一文字ずつ刻むように、念じてみるのじゃ』
(刻み込むように――念じる?)
目蓋を閉じて、集中――。
すると――。
左手のグローブが黒色から徐々に赤みがかった色に変化していく。
さらにグローブが接している本との隙間から、目映い光が漏れ出していた。
『手をどかしてみるがよい』
左手をどかすと、本の表紙に、白く輝く文字が刻まれていた。
文字は――「マレーネが読めるようになる」だった。
『これで妾も、この本を読むことができるようになった――』
テーブルの本をマレーネは手にしていた。
クリスは不思議そうにマレーネを見つめる。
なぜなら、本はテーブルの上にもある。
二冊に分裂——。
(本が……増えたのか?)
『何を驚いておる?』
チラリと横目で見つめる。
『一文を刻んだのじゃ。妾用に分裂してもおかしくなかろう?』
何か判然としない。
だが、深く考えるのを止めた。
喉の渇きを潤すため、缶ジュースを飲み干す。
生き延びることができた安堵感……。
ようやく落ち着いてきたことで、今までの出来事を思い返す余裕が出来てきた。
けれども――。
(でも、なんだ……? 何かを忘れているような……)
「俺は――これからどうしたら良いんだ?」
ため息と共に、つぶやき出る本音――。
『主よ――ため息など吐いて、どうしたのじゃ?』
隣に座るマレーネは本を読みながら、訊ねてきた。
「何か大切なことを忘れている気がするんだ」
ソファーの背もたれにドサリと身体を預け、天井を見上げる。
「気がついたら——霊園の前にいた」
ふむふむと、マレーネは相づちを打つが、興味はなさそうだった。
「この指輪を嵌めてからなんだ――」
クリスは至宝を外して、指輪を見つめる。
「どうして俺は首都に来たんだ?」
クリスは思い出す。
テトレー伯爵の屋敷での出来事を……。
(……あれ? どうして爵位を手に入れるために、テトレー屋敷に赴いたんだ?)
『モラトリアムじゃの——』
婚約者の適当な返答。
『典型的なモラトリアムじゃ』
「決めつけがすぎる」
クリスは少し苛立った表情で、マレーネを見つめる。
「俺は自分探しのために、フォルトスラーバから歩いて――」
ふいに飛び出した言葉。
(フォルトスラーバ……?)
記憶の断片が脳裏に浮かぶ。
消えかけていた記憶を、思い出す。
(監獄王だ……。あの野郎……俺を利用して――)
『フォルトスラーバからじゃと?』
マレーネは本から顔を上げて、怪訝な眼差し。
『しかも、歩いて……?』
「な、なんだよ……?」
ギロリと睨まれる。
『主の、大事なこととは――』
なんだか……お怒りのご様子。
読んでいた本を閉じると、身を乗り出してくる。
『まさか女子ではあるまいな?』
「女……?」
クリスは首を傾げて考え込む。
『男子の原動力は――女子じゃ』
マレーネはクリスの瞳をジッと覗き込む。
深淵を探るように――。
『女子のために、何でもする生き物じゃ』
「仮に、そうなら――」
マレーネを見つめる。
「忘れたりはしないだろ?」
その言葉に、次第に表情が和らいでいく。
『ふむ……確かに――それもそうじゃのぉ』
マレーネは胸を撫で下ろす。
けれども、クリスは考え込む。
(俺は……フォルトスラーバから何をしに……?)
『主よ……あまり深く考えるでない』
マレーネがクリスの思考を遮ってくる。
「だったら――これからどうしたら良いんだ?」
少し苛立った口調で訊ねていた。
すると――。
『妾と――』
マレーネは呆れたようにため息を吐いた。
『結婚したくないのか?』
ふと顔を上げて、まじまじとマレーネを見つめていた。
マレーネが顔を赤らめて、視線を逸らす。
『な…何じゃ……? 主は――』
「それも……悪くないな――」
小さく頷く。
『気に食わぬ物言いじゃのぉ』
マレーネが露骨に不機嫌になる。
『本来であれば、主が最優先にすべき事柄じゃぞ』
プイと顔を横に向けて怒り出す。
「そう怒るなよ」
クリスは宥めつつも、大事なことに今さらながら気がついた。
「マレーネ――そもそもお前、何処にいるんだ?」
すると、呆れた顔で見つめてくる。
『主は何を言っておるのじゃ?』
「いや――天界に居るとか言っていただろ?」
『冗談に決まっておる。妾がいる場所は――』
マレーネは言葉に詰まる。
さらに腕を組んで、首を傾げる。
『はて……。妾は何処におるのじゃろう?』
クリスはため息を吐いた。
「お前が、モラトリアムじゃないか……」
『な……! ば、莫迦にしおって――』
よよよ……と、態とらしく泣き真似をし始める。
『妾は婚約者を、次々と亡くしておる悲劇のヒロインなのじゃぞ』
「悲劇のヒロイン? 相手が悲劇の間違いだろ。確か――」
塋域で最初に出会ったときを思い出す。
「婚約者候補は、名前も知らない行きずりの相手だろ?」
『な? 信じられぬ!』
「違うのか?」
すると、マレーネは言葉に詰まる。
『違うとは……言い切れぬ』
(そこは否定してくれよ……)
『じゃが……彼奴らの死に方は、今でも鮮明に覚えておる』
(覚えている部分がズレてるんだよ……)
と思いつつも、少し気になったので訊ねてみた。
『悪趣味で酷なことを訊くのぉ。』
眉を顰めてクリスをチラリと見つめてから、思い返そうとし始める。
『今思い返して見ても卒倒するレベルじゃぞ……』
マレーネから語られる死に様の数々に、クリスは次第に青ざめていく――。
『そんでのぉ……顔が吹っ飛んで、そこに脳みそが――」
「もう良い! ぐ、グロいし……怖い!」
クリスは両手で顔を覆う。
『なんじゃあ? 主から訊いておいて――』だらしないのぉ……。
「ちょっと待て――」
クリスは顔を上げる。
青ざめた顔のまま、マレーネを見つめる。
「どうして……俺は、婚約できたんだ?」
当然の疑問に帰結する。
しばしの沈黙――。
『あ、相性が良いのではないかのぉ……』
マレーネは少しずつクリスから目を逸らしていく。
『主と妾は、結ばれる運命なのじゃ』
「結婚したくないな……」
ポロリと本音が漏れ出していた。
『な! 婚約者を前にして、結婚したくないとは、何事じゃ!』
「お前こそ――目を合わさず、白々しいこと言っているじゃないか!」
プイと、二人は顔を背ける。
『し、仕方なかろう! 妾だって分からぬのじゃ』
マレーネの涙声。
『スプラッター祭りで記憶が飛んでおるみたいじゃ』
鼻をすする音も聞こえてくる……。
クリスはため息を吐いた。
「似た者同士なのかもな……」
そう言うと立ち上がり、空き缶をゴミかごに投げ捨てる。
『妾と主が……?』
涙目で、クリスを見つめる。
クリスは頷く。
「だったら、探しに行こうぜ」
クリスはマレーネに向かって手を差し出す。
「まずは……マレーネ、お前の記憶から」
『探す……? どうするつもりじゃ?』
マレーネはクリスの手に掴まり立ち上がる。
「ここは図書館だ。データベースにアクセスすれば、お前に関する事が見つかるんじゃないのか?」
『おぉ……それは良いアイデアじゃ』
涙を流していたのが嘘のように、晴れやかな顔になる。
そして、足取り軽く、スキップをしながら一階に向かおうとする。
クリスもマレーネの後ろ姿を見つめながら、テーブルに置いてある缶ジュースを手に、マレーネの後を追うように歩き出した。
その時だった——。
突然――。
鋭い殺気が、背後に走った――。
霊園で味わった……あの感覚に近かった。
――不覚だった。
「動くなよ……」
何者かが、クリスの背後から白刃を首元に突きつけていた。
「クリストファー・テトレー君」




