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―運命の輪が回る―

1話目です。



 天には天の神が。地には地の神“大守(おおかみ)”が住まう時代。

 “大守(おおかみ)”は狼の姿をし、人の姿をする。すなわち、人狼。

 力の強い者は紫の瞳に銀色の毛を纏い、自在に姿を変えられる。

 現大守の長、良宇羅(らうら)・フィナラムも最上位である銀狼だった。

「まだかっ? まだ社からの知らせは来ぬのか!」

(ぬし)様、落ち着いてくだされ。お子も二人目ともありましょうに、まったく」

 先日からの冬の便りで、一面真っ白のはずの宮居(みやい)の庭は、夜の帳で闇色に染まっていた。それでも、月光を反射した雪が、月の欠片のようにキラキラと瞬いていた。

 その日の夜半、女官から妻が産気づいて社に運ばれたとの知らせを受けた良宇羅は、長男のキイラを起こし、その瞬間を待ちわびていた。

 大守の子は産まれて直ぐ清水湖(せいすいこ)につける。その為、清水湖の畔には男子禁制の産土社(うぶすなのやしろ)があり、皆そこで生まれ落ちる。

 大守の長であろうと、そこは破れない掟でもあった。

「じじいは気が長くて敵わん。キイラ、もうすぐ、お前の弟か妹が生まれるぞ」

「はい、父様(ととさま)。楽しみにございます」

 素直に頷く長男キイラの頭を撫で、次いで良宇羅は、自身の横で真っ直ぐ社の方を見つめている少年の頭を優しく撫でた。

 緊張の為か、または無心に新しい命の誕生を待ちわびている為か、普段は綺麗にコントロールしている、銀色の耳と尻尾が出ている。

 この半人半狼の姿を保っていられるのも、強大な力の現れだと言えた。

「生まれてくる子はお前に任せる。(ろう)・メイヴィル。友となり、師となり。そして主の器となりし時は、我が子に仕えよ、琅」

「はい。良宇羅様」

「お前は聡明そうだ。琅・メイヴィル」

 真っ直ぐ、一時も社からその紫の瞳を逸らさずに、それでもしっかりと頷いた琅を、良宇羅は再び撫で、その時を待った。

 そうして白々と、夜が明け始める。

 昇りくる太陽の光に、ささやかな月光は薄れていく。

 夜が去ろうとしていた。

『夜明けとともに

 黄金の光が昇り

 世を照らす

 黄金の瞳をたずさえし

 白銀の狼は

 この地の全てを統べる

 すなわち

 ――天狼――となる』

 それは運命。

 白く輝く雪。辺り一面を染める黄金。

 隣に佇む少年の、小さな銀色の耳がピクリと動いた。その音を。声を。良宇羅も拾う。良宇羅達、銀狼の耳だからこそ、微かに聞こえる、生まれ落ちた生命の声。

「……天狼だ……――」

 何億年に一度。何千億年に一度。そう伝承の上にしか存在しなかった天狼。

 我が子が天狼としてこの地に生まれた。良宇羅は社からの知らせを一時も待てず、宮居から駆け出した。

「主様っ!」

 後方から爺の呼び止める声が聞こえるが、止まっていられなかった。

 ふと小さな足音に気付くと、良宇羅の横を琅が付いて走っていた。良宇羅は普通の人狼では付いて来られない速さで走っている。現に、爺やキイラは付いて来ていなかった。

 それだけで琅の力が分かる。まだ幼い体に秘められているその力に、良宇羅は目を細めた。

 そうして着いた社は騒然となっていた。

 普通の人狼だった第一子を迎えた時でさえ、歓喜に満ちていたというのに。

「何事か! 知らせが遅すぎるぞ! ()の子か、()の子かっ!」

 一喝した良宇羅の声に、女官や元々社に仕える巫女たちの動きがピタリと止まり、凍った。

 どこまでも静まる音。どこまでも冷える空気。

「ぬ……主様……」

 重そうに口を開いたのは乳母女(うばめ)

「女の子にございます。……しかし」

 そうして再び彼女は黙ってしまった。

 普通の力しか持たない人狼の子は、大抵、人型か狼型かどちらかの姿で生まれる。

 第一子のキイラは人型寄りなので、未だに狼に変化する力が弱い。耳や尻尾を出すまでは出来ても留めておけず、ましてや完全体の狼に変化しようものなら、十日ほどは寝込む。

 女官たちが口を閉ざす、その理由が生まれた姿なのだとしたら、天狼として生まれた子はどのような姿なのだろう。

「御免!」

 埒が明かないと、良宇羅は禁忌を承知で社の中へ乗り込み、妻と生まれたばかりの我が子が居る寝所の御簾を上げた。

「なりませぬ! 良宇羅様っ!」

 悲鳴に近い巫女の静止を振り切って見遣ったその先には、女官に抱かれ眠る我が子。

 じっと見つめているとむずかりながら、その目を開き、黄金の瞳が現れる。

「やはり天狼か」

 彼女の腕の中で、窮屈そうに蠢く姿は玉の様に美しい。強い力を示す様な半人半狼の姿。淡く光る白銀の耳と揺れる尻尾……――そして、純白の羽――。

「なっっ!」

 思わず放った良宇羅の声に不思議そうに振り向いた子は、黄金の片眼と、禁忌の青い瞳を持っていた。

「お前」

 振り向いた寝台の上には、震え泣く妻の姿があった。

「知りませぬ。私は知りませぬ。天の神が悪戯に私の腹に落としたのです。私は知りませぬ」

 叫ぶでもなく。ただ震えながら、ブツブツと呟き続ける妻に、良宇羅は呆然となった。

 そうして良宇羅はそっと女官に向き直る。

「抱かせてくれないか」

「主様」

 余りに静かな良宇羅の声に、女官は僅かに身を引き、首を振った。

「よい」

 深く頷きながら腕を差し出すと、女官はそろりと、その子を腕にくれる。

 ゆるりと抱き締めると、その背でパタパタと小さな羽と尻尾が揺れる。

 良宇羅は小さな額にそっと口づけを落とし、その柔らかな白銀の髪と耳、そしてすべらかな頬を撫でた。

 その横で、琅はじっとその姿を見ていた。

 ――あぁ、オレの主だ――

 そう心で確信した瞬間、良宇羅の腕の中から、くるりと黄金の瞳を向けられた。

 その一瞬で分かってしまう。彼女も自分を認めたと。力のある自分達だからこそ。

「名は、世良・フィナラム。我が子で天狼。……そして、禁忌の元に生まれし子。悪しき子と妻を此処に留め置け。生涯、姿を出す事は許さぬ。我が愛しき子は、生まれ落ちた時には死していた。この子は世に存在しない。良いな。存在しないのだ」

「良宇羅様!」

 この瞬間に、世良の存在は消されたのだ。殺されるのと変わらない長の宣言に、社に居た者達が騒然となった。

「琅、お前の主は生まれなかった。良いか。お前の主は、今からキイラとなる。キイラに仕えろ。そしてお前が決めた者を守れ」

 その横顔は疲れ切っていた。その顔を琅は忘れない。そうして、そんな彼を慰める様に、生まれたばかりの世良が賢明に手を伸ばし、悲しそうな瞳で、その頬を撫でていたことも。


 そうして過ぎた時間は百年あまり。

 今日も、愛を乞う歌が聞こえる。

 地の神が住む山の奥、更に進んだ森深く。

どこまでも青く透明な清水から成る湖の上、月光に淡く光る御社が浮かぶ静謐なこの地に、今夜も美しい歌が聞こえる。

 囁く様な森の葉擦れ。ひらひらと水面を撫でる優しい風。その全てが美しい歌声の様に、そこを訪れた者たちの足を止める。

 そうして聞いている内に誰をも惑わせ、木々に囲まれた闇に留まらせる魅惑の歌声となるのだ。

 人はそれを“魔が歌”と呼ぶ。

 しかし琅・メイヴィルには、とてつもなく美しい声にしか聞こえない。

「我が(あるじ)――」

 その正体を知っている。社に閉じ込められた主、世良・フィナラムの歌声だった。

 世良が生まれ落ちる前には決まっていた。自分が彼女を守り、この命が果てるまで傍に居て仕えるのだと。

 それは二人にとっての“運命”だった。

 それが、こうして離れ離れで居る。

 この世に生まれ百年がたった今でも幼女の姿のまま、社に捕らわれ、ただただ愛を乞う詩を歌う世良と、傍で使える事のできない琅。

「姫様は何があってもオレが守るのです」

 毎夜、琅はその歌声に誓う。社の外から。そうして、愛しい主の為にその姿を変える。

 自身の中。芯に力を集めれば、体中の血液が騒ぎ出す。熱く滾る。そして、再び体中をその血が巡る。

 大きく立ち上がった三角の耳。宝石の様に輝く紫の瞳。月光を纏う毛並みの尻尾。

 銀色に輝く大きな狼。

「姫様。今、お傍に」

 あの時の誓いは永遠。

 唯一と分かった。――オレの主――。




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