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続 蕾、開く  作者: 灯影


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2/3

櫻井と水澤と長谷部

 


 Time and tide wait for no man.  


 <時は人を待たない>



 二時限目の英語で丁度その英文が出てきた時、私の事だと思って嫌な汗がでた。


 あの日先輩と偶然出会ってから、 ちょうど一週間目の木曜日。


 そう、先輩との約束の日。


 櫻井にはもちろん会うよ、と大見栄を切ったものの、一週間という期間が私の勢いを徐々に削いでいった。


 自分で決めた事とはいえ気持ちに迷いが出て、うだうだ悩んでいる間に今日が来た。


 結果、今私は猛烈に逃げたい気持ちと戦いながら駅前で一人佇んでいる。



 ……なんかぶっつけ本番的な重圧が半端ないな。



 よくよく考えたら、やっぱりやめた方がいいのかなとか、そんな今更な事をひたすら考える。



 ――なんか、今の私って潔くない。



 その時ちょうど、携帯が鳴りだした。


 携帯の液晶に浮かんだ麻耶の名前を見て、どこか後ろ向きだった気持ちが前向きになった様な気がする。


「……絶妙なタイミングの電話ありがとう。お陰でちょっと冷静になったよ」


『でっしょー? 緊張してるかなと思って! 電話に出たってことは先輩まだなんだね』


「この前より少し早いから後十分くらいじゃないかな」


『ねえ、芽衣』


 麻耶の声がいきなり真面目なトーンに変わった。


「何?」


『昨日言ってた事本当?』


「……うん。本当」


『そっか。まあ、芽衣がちゃんと考えて決めたならあたしはどう転んでもいいんだけど』


「何それ。どうもならないよ」


 二人で軽く笑いあう。


『櫻井は知ってるの?』


「知らない。言ってないから」


『そうなんだ。その方がいいかもね。でないとあいつ今頃大変だよ』


「あはは、そんな事ないって」


『芽衣。どっちにしろ納得のいくやり方にするんだよ』


「うん。……ありがとう、麻耶」


 自然と顔が綻んでいく。


『がんばって!』


 そうして麻耶との電話を切ると、施設からトレーニングを終えた先輩が現れた。


 もう大丈夫。


 この前と同じように手をユラユラ振りながら、先輩が近づいてくる。


「芽衣ちゃんごめんねー、待たせちゃった?」


 先輩の柔らかい笑顔に負けないように、要件を先に言うと決めていた。


「大丈夫です。待ってません。それより先輩、先に参考書の事なんですけど――」


「丁度いいカフェがあるんだ、奢るからそこに行こう」


「え? あ、あの」


「そこケーキ美味しいんだよ」


「いや、先輩ケーキはいいんで参考書を」


「泳いできてお腹すいてさあ。なんか甘い物食べたかったんだよね」


 ――ああ。


 そして私は、緩い笑顔の割に中々強引な先輩によって、可愛らしいカフェへと連れて行かれた。


 先輩。キャッチとか出来そうです……



「芽衣ちゃんどれにする? オレはこのイチゴとラズベリーのキューティパフェにするよ」


 ……なんてファンシー。


「私は大丈夫ですから。それより参考書――」


「じゃあ、このマンゴーとキウイのミラクル南国パフェにする?」


 ……何で敢てそれですか。ケーキが美味しいって言ってたのに。


 わざとじゃない所がもう何というか。私は妙な焦りで、内心汗だくなのに。


 色々な意味で先輩はパワーアップを遂げた気がしてしょうがない。


 でもよく考えたら、私にとってもこの場所は好都合かもしれない。


 先輩は店員さんにメニューを告げると、楽しみだねと私に笑いかけた。



 その笑顔が無邪気すぎて、私は苦笑いするしかなかった。



 ***




「時はこっちの都合なんてお構いなしに進むのよ。でも人だって置いてかれるだけじゃなくて、ちゃんと進んでる。進めるの」


 私はいつものベンチに座って、足下で楽しそうにさえずるスズメにそう言って説いた。



 スズメが私から逃げるように飛び去った後には、紫に近いピンク色の花がちらちらと咲いていた。


 それは、春の七草の一種のホトケノザで、去年用務員さんに教えてもらった時は、山とかにしか生えない物と思っていたから驚いた。


 ここには、色んな花や草木が自生している。


 気付こうとしない、という事がどれだけもったいない事か。


 目に見える物でも見ようとしないと気付かないのならば、見えない気持ちなんて物は相当頑張らないといけない。


 その分、気持ちが通じ合った時の嬉しさは、格別なんだと思う。



 私は五月晴れの空を見上げた。


 目一杯空気を吸い込んで、盛大に吐き出す。


 これは溜息じゃない、深呼吸。自分に言い聞かす。


 古い空気を全部出して、新しい空気を取り入れる。



 たったそれだけで人の心は軽くなる。


「リセットって大事なんだなー」


 息を吐ききって前屈みになった体を、背もたれに預けて私は目を閉じた。


 春の日差しが私の気持ちをやんわりと包んでくれる。それがとても和む。




 ――もうすぐ櫻井が来る。



 私は明るい瞼の裏に櫻井を思い描いた。


 普通より少し高めの身長。今ではすっかり黒くなったらしい髪は、耳にかかるほどの長さで猫っ毛が柔らかそう。つい触りたくなる。


 そして垂れ目。笑うともっと垂れ目。でも、そこが良い。優しい笑顔の櫻井。



「何笑ってんの?」



 急に聞こえた声に、私はぱちっと目を開いた。


 一瞬眩しくて良く見えなかったけれど、すぐに慣れて目は櫻井を捉える。


 目の前に立っていた櫻井はズボンのポケットに手を入れて、不思議そうな顔で首を傾げながら私を見ていた。


「あは、垂れ目」


 思わず口から零れた言葉に、櫻井は頬を引き攣らせる。


「顔見た瞬間それってどうなの」


「ごめんごめん」


 笑顔で謝る私に櫻井はわざとため息を吐くと、別にいいけどねーっと言って隣に座った。



 少しだけ近い二人の距離。


 私は何となく隣の櫻井を眺めた。



 白いカッターシャツに黒のベスト、ピンクブラウンのネクタイ。


 普通に皆と同じ制服を着ているだけなのに、なぜか櫻井に似合っていると思ってしまう。


 ……何だろう。親バカな気分? いや、違うな。身内びいき? それも違うか。


 そういえば、クラスの女子たちが誰の着こなしが格好いいかで協議してる時に、櫻井の名前も出ていた気がする。



 いきなり、ストーップ! という櫻井の制止が聞こえた。


 ……びっくりした。


「水澤、見過ぎだって」


 私の遠慮のない視線にさすがの櫻井もたじろいでいた。


 少し顔が赤いのは、触れないであげよう。



「今日は暖かいよなー」


 そう言って、櫻井は足を前に伸ばしてうーんと背伸びをした。


 私も足を延ばしてみる。


 途端にぶはっと隣で盛大に櫻井が噴き出した。


「……短いって思ったね、今」


「思ってないって」


「思ってる。バカにした」


 私は半目で櫻井を睨みつける。


 それでも尚笑顔の櫻井。


「いや、違うって! バカにしたんじゃなくて、可愛いなって思ったんだよ」


「うそだ」


「本当」


「だって笑ってるし!」


「これは慈愛の表情です。慈しんで愛でてるんだよ、水澤を」


「そんなのいらない。愛でるな」


「ひでー!」


 私はつんと前を向いた。横で櫻井の笑ってる気配を感じる。


 私の周りは、本当に皆優しい。優しすぎるくらいだ。


「バカ櫻井」


「でたー」


 櫻井の声はとても穏やかで、柔らかい。


「私は大丈夫だから」


 そう言ったのに、私は櫻井の返事を待っていた。


「うん。でもこう見えてオレも色々葛藤があってさ」


 櫻井は私の含みを正確に読み取る。


 だけど、私には櫻井の考えが分からない。


「葛藤?」


「そう、葛藤。でもこれはオレ自身の事だから水澤は気にしなくて大丈夫」


 そんなこと言われても気になる。

 私はじっと櫻井を見つめた。


「気になっちゃった?」


 苦笑いの櫻井。

 私は一瞬考えて答えた。


「なっちゃわない」


「そこは否定するんだ」


 櫻井は可笑しそうに笑った。私はそれを見てちょっとホッとする。


「昨日会って来たよ」


 結局私から切り出した。

 やっぱりそれが筋だと思いなおしたから。

 でも何となく私の視線は、足元を泳いだ。

 それに緊張で、心臓の音が嫌にうるさい。


「うん。どうだった?」


「先輩はキャッチか何か出来そう」


「押しが強いって事?」


 さすが櫻井。


「そう。気付いたらカフェにいた」


「カフェですか……」 


 私はうん、と頷いて少し黙った。


「でね、参考書は断って来た」


「ああ、そういえばそれが目的だっけ」


 軽く笑う櫻井に、私も同調する。


「そうなの。でも、もう一つ目的はあったんだ」


 私がそう言ったのとほぼ同時に、昼休みの終わりを告げるチャイムがこの空間に響いた。

 言葉が、喉の奥で止まった。



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