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続 蕾、開く  作者: 灯影


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1/3

先輩と水澤

このお話は短編の『蕾、開く』の続編扱いです。

 

「芽衣ちゃん?」


 ……ああ、この声変わらないな。



 突然のその声は、自分で思っていた以上に私の心を跳ねさせた。

 もう忘れたと思っていたのについ昨日まで耳にしていたように、頭は簡単にその声を認識する。


 私は一瞬の内に小さく息を吸って、ゆっくりと振り返った。


「……長谷部先輩。お久しぶりです」


「うん。久しぶりー」


 ゆらゆらと手を振りながら、へらっとした緩い笑顔で近づいて来る先輩は、 最後に見た記憶よりとても……何だか眩しかった。


 久しぶりすぎて、嫌でもドキドキしてしまう。


 そして先輩は私の目の前までやって来てしまった。私の意思を無視して、目は先輩をじっと捉えてしまう。


 私よりだいぶ高い位置にある頭は、塩素のせいで少し色が抜けていて、ルーズな髪型は相変わらず。


 今日もどこかで泳いできたのか、懐かしい匂いがふっと漂ってきた。


「芽衣ちゃんの雰囲気は独特だから、すぐにわかったよ」


 またそんな事を軽く言う。


「独特……ですか?」


「うん。独特」


 先輩のほうが独特ですよ、と口を開きかけて私は思い直した。


 このやり取りは、中学の時に散々して結局いつもうやむやで流れるのだ。今ここで言うのは賢明じゃないなと悟る。


 懐かしさと動揺に頭がぐるぐるする。

 逃げ出したい、と思う一方で、先輩はにこにこと私の反応を待っている。


 そうだ。先輩は独特というよりも、天然だ。場の空気を全て吸いこんで自分の空間にするという天然。

 いくら私が変わっていようと、勝ち目はない。


「……何してるんですか」


 出てきた言葉の鋭さに、内心焦る私。

 でも先輩は気にも留めない。


「今日はねー、部活が休みだからそこで自主トレしてた」


 先輩が指さす場所は駅前にある総合施設で、大きなジムを擁している。


「で、芽衣ちゃんは? もうすぐ六時になるけど何してたの?」


「私は……ちょっと参考書を探していました」


「見つかった?」


「探していたのはなかったです。でも違うのを見つけて――」


「どこの何?」


「はい?」


「探してた参考書」


「え……と、文衛堂のやつで『目指せ☆化学マスター!』です」


「あはは! あれね! 変な名前の割に内容が良くて人気なんだよね。それ去年のだけど持ってるからあげるよ」


「……え?」


「来週の木曜日。今日と同じくらいの時間に」


 じゃあね! と私の返事を待たずに駅へと向かう先輩。


 ……自己完結っぷりも相変わらずです。


 そう思いながらも、私は茫然と立ち尽くしながら見ていた。そしてその背中に向かって小さくつぶやいた。


「あの、他の見つけたからいらないです……」



 その夜、久しぶりにあの夢を見た。



『芽衣ってさ。もしかして長谷部の事好きなの?』


『どうしてですか?』


『違ってたらごめん。でも、芽衣って長谷部を目で追う事が多いなって思ってね』


『……そうかもしれません。でも、男の人を好きになった事がなくて、正直よくわからないんです』


『そうなんだ? 長谷部は良い奴だよ。見てるだけじゃなくて、ちゃんと話しかけないと』


『そう……ですよね。私頑張って話しかけてきます』


『うん! 頑張って!』


 何度も見た夢だとわかっていても、目覚められない。


『最近ちゃんと話せてるみたいだね、長谷部と』


『はい。最初は凄く緊張しましたけど、先輩が背中押してくれたから頑張れました』


『そっか……仲良くなったか』


『そうだと良いんですけど。なんか振り回されてるだけのような』


『それが長谷部だからねえ』


 ――この先はダメ!


 そう思った時、体がびくりとうごいた。 はっと息を吸って、目を開けると見慣れた天井が暗闇の中に見えた。


「……良かった、目が覚めた」


 ここ最近は見ることがなくなっていた夢。


「昨日会っちゃったから」


 私は布団にくるまったまま呟いた。

 この夢を見た後は、なかなか寝付けなくなる。


 そこで、なんとなくいつもと違う違和感に気付く。

 夢の中の胸の痛みを、今は感じない。


 あれ、なんか……辛くない?


 確かに嫌な気持ちではあるけれど、それは何というか――第三者的な気分。


 自分に起こったちょっとした変化に、私は一人で笑った。


「櫻井効果って大きいなあ」



 昼休み。私はいつものように猫足のベンチに座って、頭を背もたれに預けていた。


 ゆらゆらと頭を左右に揺らしながら、斜め上に見える空とか、木とか、花やらをふわっと何気なく見る。


「……もうどれくらいだろ」


 一人じゃなくなったのは。


 ぼーっとしたあたまで櫻井との日々を思い起こしていた時――


「水澤!」


 よく通る櫻井の声。


 その声を待っていた自分に心の中で笑いながら、私は手をあげて櫻井を迎えた。


「櫻井」


「ん? 何」


「ありがとう」


 櫻井は驚いたように私を見た。ぽかん、という単語が似合いそう。


「は? 何、感謝?」


 数ある言葉の中から、その単語を選んだ櫻井は本当に何というか。


「鳩が豆鉄砲」


 私は自分で言って笑ってしまった。


「いや、びっくりするって!」 


 櫻井の顔が、少し赤い。


「うん。そうだね」


 そんな櫻井を横目に私は軽く頷いた。


 櫻井はあまり私に質問をしない。私から切り出すのをいつも待ってくれている。


 私と櫻井の間に、穏やかな沈黙が落ちた。



 ……ここ数日で、変わった事。


 それは、櫻井が私を好きだと言わなくなった事。


『好き』だという言葉が、今は二人の間に必要がないかのように、ぱったりとなくなった。


 この事に関しては正直ホッとした。


 私はまだ、真正面から櫻井の気持ちを受け止めきれない気がするから。


 私を分かってくれての事なのか、無意識なのかは分からないけれど。


 それともう一つは、二人の座る位置。


 今まで私と櫻井は、端と端に座っていた。だけど最近は、真ん中にできるスペースが子供でもちょっときつい位になった。


 ぴったりくっ付いてたり肩が触れ合うとかはないけれど、それなりに近い。


 うっかり櫻井のシャンプーの匂いで癒されたり、うっかりお互いがベンチに手を突くと指が触れそうになったりとか。


 この少しの変化に、櫻井は気が付いている。気が付いていて、何も言わない。お互い様だけど。


 だけどたまに櫻井は、私の側にある肘掛との距離がちょっとだけ広くなったのをちらっと見て、にやりと笑う。


 そんな時は、何も言わずに私はそっと肘掛側に戻ってやる。



 櫻井を近くに感じる事は不思議と嫌じゃないし、むしろ何となく安心するという事は、もちろん秘密。



「あのね、櫻井」


「んー?」


 五月のぽかぽかの陽気にほだされて、間延びした櫻井の声は心地良い。


「昨日先輩に会ったんだ」


 さすがに、予想外の内容だったのか櫻井は、え、と驚くと体を私に向けた。


 その拍子に、ベンチに置いていた手が触れそうになる。だけどそれに気付いているのは、私だけみたい。


「……先輩って」


「この間話した先輩の一人。長谷部先輩」


 櫻井は黙ったままじっと私を見ている。


「好きだった先輩。……昔ね」


 私の隣から漂う空気が少し硬くなった気がした。


「偶然?」


「え? うん。本当に偶然。今までそんな事一度もなかったのに」


「中学以来初めてって事?」


 食い気味に質問してくる櫻井に、私は少し笑った。


「久々に見た先輩にさすがに動揺したよ。なんか中身は変わってないんだけど、見た目はやっぱり男の人って感じだった」


「オレは今、正に動揺してるけどね」


 むっつりとした顔で櫻井はそう言った。私はそんな櫻井を見て、また笑顔が零れた。


「……何話したの?」


「久しぶりって」


「それだけ?」


「逃げることしか考えてなかったから、そんなに深い話はしてないけど」


 そこまで言って私は黙り込んだ。


 ……参考書のくだりを忘れてた


「先輩が私が探してた参考書をあげるからって、次の約束を投げて帰って行った」


 櫻井は目を大きく開いて一瞬固まった。


「え……約束?」


 櫻井の声が少し大きくなった。驚いているのは確かだけれど、それにプラスされている感情を私はうまく読み取れない。


「うん。約束。こっちの返事を気かずに物事を進めるのは、良い意味でも悪い意味でも長谷部先輩なんだ」


 なかなかのみこめない状況なのか、櫻井はにがーい顔を崩さない。


「……水澤は返事しなかったの?」


「した頃には、もうはるか遠くにいたよ」


 また櫻井はすこしだけ黙る。一瞬下げた視線を、また私に向ける。やっぱりドキドキする。


「会うの?」


「会う。というよりも、参考書はいらないって言う」


「それをわざわざ言いに?」


「そう。先輩だし、好意でしてくれたんであれば、ちゃんとお断りしないと」


 櫻井はものすごく複雑そうな顔で、私を見ている。


 ……気のせいだろうか。


 いつもは垂れ目がちな櫻井の目は、少しだけ目じりが上がってる気がする。


 なぜだかその目は、私がものすごく間違っているような気分にさせられる。


 妙な緊張感が私達を包んだ。


 なんだろう、この審判を待つような耐えがたい圧力は。垂れ目なのに。


 無罪だ! と主張したくて堪らなくなる。何が罪になるかは、分かってないけれど。


 嫌に焦る。


 そして先にこの空気を壊したのは櫻井だった。

 ベンチに置いたままの指先のすぐ近くで、櫻井が小さく身じろぎした。

 その振動が木のベンチ越しに伝わってくる。

 空気に耐えきれずそっと外していた視線を櫻井に戻すと、私を見てふっと笑った。


「水澤の良い所をオレが摘んでどうすんだって。なあ?」


 独り言の様な櫻井の言葉を、いまいち理解はできなかったが私は櫻井が笑っていることにホッとして頷いた。


 勝訴を勝ち取った気分だった。何に勝ったかは、分からないけれど。



 安心した所で、私はまだ櫻井に『ありがとう』の意味を伝えてないことに思い至った。


 じっと櫻井を見つめる。


 今このタイミングで話をつづけるべきか。


 櫻井が私の視線に気づいた。


「なんか結構眉間にしわ寄ってるけど……どうしたの」


「え?」


 指で眉間を触る。


 なるほど、私は結構なしかめつらをしていたらしい。


「これは……少し考えていて。話したい事がまだあるんだけど」


 櫻井は笑って、どうぞ? と促してくれた。


「えーっと。それで前までよく見てた夢を、今日久しぶりに見たんだ。きっと先輩にあったからだと思う」


「うん」


「莉子先輩……仲良かった先輩なんだけど、その人と長谷部先輩が付き合ってるって報告を受ける時の内容で――」


 私は軽くはしょりながら櫻井に夢の内容を説明した。


 その間、櫻井は真剣に聞いてくれた。


「いつもなら、過去の感情を引きずるんだけど」


「今日は?」


「櫻井効果でなんともない。凄いよ櫻井」


 櫻井はまた鉄砲を食らった鳩みたいな顔で、一拍置いた後、なんだそれ! と笑った。


「さっきのありがとうの理由」


「これが水澤が話したかった事?」


「そう。なんか櫻井のお陰で過去が、過去になってくれそう。だからそれを伝えたかったの」


「うん。そっか」


 櫻井はまた正面を向いて座りなおした。小さな声で良かった、と呟きながら何度も頷く。


 櫻井は気付いていないかもしれないけれど、たまにすごく優しい表情をする時がある。


 そして今も。


 私はそんな櫻井の横顔に惹かれるように見ていた。


 最近ゆっくり見るようになって気がついた事が結構ある。


 櫻井はどちらかというと甘い顔立ちで、本人はそう見える垂れ目が嫌だと言ってたけれど、私はその甘い感じが……正直素敵だと思う。


 言った事はないけれど。


 私みたいにキツイ印象を与える目とは、正反対。


 なんか歌って踊ってそうだなー、とか思ってしまう。言ったらどんな反応をするのだろうか。


 それにスポーツ好きなだけあって体に無駄な脂肪はないのか、引き締まって見える。


 ベンチに置かれた手は、大きくて指も長い。


 やっぱり本人には言わないけれど。



 私は、そういえばと、この間友達から聞いた事を話題にした。


「麻耶が言ってた」


「慣れたよ。水澤の突然さは」


 笑いながら櫻井は私の言葉の続きを待った。


「櫻井って遊んでたの?」


「なーー!!」


「たまたま櫻井の話が他の女子の間で出てて、それを聞いてた麻耶が言い放ってた。『櫻井は中学の時散々遊んでた』って」


 櫻井は絵に描いたようにがっくりと項垂れた。

 正に手を突いたように見える絵文字だ。


 なんだか面白くて私は櫻井を覗き込むようにして、更に続けた。


「櫻井ってもててたんだってね。あ、ごめん。今でもだよね。女子の会話に上るくらいなんだから。いいね。男冥利に尽きるね」


 笑顔の私を下から睨むように櫻井はうなだれながら言った。


「勘弁してよ……。なんであそこからこの流れになるわけ? 中学の時のは、ほら、えー。若気の至り? 水澤に会ってからオレ変わったんだから……くそ、野上め、覚えてろ」


 最後に小さくつぶやいた野上というのは、私の親友であり櫻井とのこの関係性を知っている唯一の友達。


 その麻耶は、中学の時の櫻井を良く知っていた。幼馴染というやつらしい。だから、私と櫻井の事を聞いた時に驚きすぎて、それはもう爆笑していた。


 麻耶は私と違って感情表現が豊かで、一緒にいると静かなわけではないけれどそれがひどく心地よい。私はそんな麻耶に憧れる。


 櫻井と何か通じるものがあると思って、一度そう麻耶に言ったら全力で否定された。


 櫻井にも。


 持ってる空気が似てると思うんだけどな。


「水澤は?」


 項垂れたままの櫻井が、、上目づかいで私を見てきた。


 私は櫻井の目に、特に弱いのかもしれない。


「私が何?」


 櫻井は言葉を選ぶように一瞬黙る。


 そして、何となく機嫌が悪そうに呟いた。


「オレ以外に告白とかされた事とかある?」



 私はそっと櫻井から視線を外した。



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