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Viva la Vida| 男装彼女の素性について  作者: みやつゆ
第08章 海辺の街 再会編
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第089話 再会 * 海辺の街ルフラン〈リュカ〉

リュカ目線。

「女」



思わず齧りかけの果実が手から落っこちて、コロコロとどこかへ転がっていった。



どういう、ことだ?



涙で滲む視界にもハッキリと映る、長身の黒装束。

間違いない。あの時の、男。

彼は自分の、海辺の街ルフランの思い出のすべてだった。

これは、孤独に耐えかねた自分の感情が見せた幻なのか。

咄嗟に、『何故居るのか』と問うことが出来ないまま、返事をしようと開いた口がしばらくふさがらなかった。


このまま眺めていると、すぐに消えてしまう幻想かと思っていたが、目の前に居る黒装束の男は、もう一度口を開く。


「どうした、何故泣いている」


少し低めの安定感のある、あの時と同じ声……。

あの日の彼が、目の前に立っているようだ。


あたかも、あの日の続きかのように。


この一瞬で、何故泣いていたのかさえ忘れたように涙は止まり、乱暴に片腕で濡れた頬を拭った。

脈打つ心臓が騒がしい。

……冷静になれ。

何度か目を擦ったが、まだ男は消えずに目の前に居る。

そして、自分に言い聞かせるように言った。



「幻なら、消えてくれ……」


「俺は幻覚などではない!」



そう言うと、男は大股で近づいて来た。

動揺を隠せずにいた自分は咄嗟に逃げようとしたが、すぐに腕を掴まれ、抵抗する間合いを与えられず強引に引き寄せられた。

「!」

暗転した視界。

伝わる体温と両腕の確かな感触。

………。

さっきまで何かに耐えかねて流した涙も全て闇に封じるように、不思議とこの温度に浄化されていくようだった。

「……あぁ、なんてことだ…」

絞り出すような彼の声が、苦しげな吐息と共に耳元を撫でると、落ち着かない気分にさせられる。

自分を包み込む広い胸は、幻などではなかった。

為すがままに、息も出来ない程きつく抱きしめられ、せわしなく打ち付ける鼓動が耳の中でなり続けていた。


 ……こんなことって、あるか?


何が起こったかわからず、突き放すことも、抱きしめ返すこともせずにただ茫然とした。


ここにいる理由など考える余地もなかった。

駄目だ。

この男は、やるべきことがあるのに、周りを見えなくするのだ。

光のような彼の存在を覆い隠すこの漆黒の衣装のように、全てを見えなくさせる。

温かくて、心地よくて、自分を更に弱くする。


このまま、こうしていたいと、思ってしまう……。



「夢ではないのだな…女。会いたかった…ずっと…!」



感情のままに男は一層強く、ギュッと聞こえるほど抱きしめられた。

「…苦しいのだが…」

「悪い…」


……お蔭でパニック状態から、少し冷静になれた。



変わらないな。

もう、一生会えないと思っていたのに。

それに、不思議だ。

気付くと、あれほど先程までつらい気持ちで居たのに、嘘のように心が軽くなっている。

この男は魔法使いのようだ。と笑いが込み上げてきた。

「幻ではないようだ」と胸に向かって呟くと、「あぁ。幻ではない」とすぐに返ってきた。


「ところで、何故泣いていた?俺を探して泣いていたのか?」

と冗談交じりに言う優しい言葉に、油断したら別の意味で泣きそうになる。


「…そうかもしれん」


懐かしすぎて……。

あの時の出来事、そして彼が、夢ではなかったのだと。

本当に、この男を探して泣いていたのかもしれないとさえ思ってしまう。

心臓に悪い。自分にとって、出来過ぎた登場だ。


ゆっくりと見上げると、すぐそばにフードに隠れた彼の顔があった。

影ではっきりとしないが、間違いない。自分と同じ碧眼の男。


嘘偽りなく、思ったことを口にした。


「本当に久しぶりだな、黒い男。……会えて、とても嬉しい。本当に、嬉しい」

「………。」

心のままに言葉を綴ったが、一瞬男は狼狽えた様子で自分を凝視したまま沈黙した。

「……どう、した?」

そして、少し間を置いてから優しく突き放されるように距離を取られた。

……あれほど、強く抱きしめられ再会を喜んでくれたのに、突然拒否するような素振りをみせる理由がわからなかった。

また知らぬ間に空気を読まず嫌な思いをさせたのだろうかと、想定外の反応に戸惑っていると、男はフードを深く被りなおして小さく呟いた。


「……駄目だ。理性が崩壊するかもしれん」




少し距離を取って、トボトボと二人海岸沿いを歩いたが、手は握られたままだ。

手を繋いで歩くなど、子供みたいで振りほどこうと試みたが、更にガッチリ捕獲されたように掴まれてしまった。

あまり抵抗すると、さらに状況が悪化しそうな気がしたため、そのままの状態で放置することにした。


「綺麗になった、と言われないか」

こちらを見ることなく訊ねられる。自分はありのまま返答した。

「たまに言われる」

「だろうな」


久しぶりに会ったのだ。

色々話すネタが溢れてきそうなものだが、逆に何をどう話していいのかといった様子で、お互いぎこちないやり取りが続いている。


男はちらりと腰にさした剣を見て、小さいため息をつく。

「まだ兵士を続けているのだな」

学生だが…。

「……まぁ、そうだな」


何故だかわからないが、自分から話そうとしないからか、先程からずっとこんな調子で単発の質問攻めにあっている。


いつ来たんだ?

どこから来たんだ?

誰と来たんだ?

いつ帰るんだ?


それに対しては自分も差し障りない内容で二言三言で返すため、まさに尋問のようになっている。それもこれも彼のことを問ういとまもないからなのだが。


少し息を吸ってから男はまた矢継ぎ早に質問をした。

「男はいないのか」

「?」


今度はどういう意味だろう。

学校で周りにいるのは侍女以外、ほぼ男だが。

返答がない状態に、男は眉を寄せてもう一度訊ねた。


「特定の男はいないのかと訊いているのだ」

「特定の、とはどういう意味か」

「どういう?だと?

 ……まったくお前は、毎度思うが、俺を試そうとしているのか?それもそれで可愛げがあるというものだが…。

 まぁ、その極度な鈍さは健在でなによりだ。せいぜい俺以外にも発揮してくれ」

「試す?鈍い?」

「いや、つまり……男女の関係になるような、と言えば伝わるのか?」


……男女…。あぁ、そういう意味か。


「居る訳がないだろう。男として生活していると前にも言ったはずだ」

「いや、俺には女にしか見えんからな……。そうか、男はいないか」



そう頷くと、ようやく歩きながらの質問攻めは終了したようだ。



男は不意にその場に立ち止まってこちらを向いた。

手を掴まれているため、自分も同じタイミングで佇むこととなった。

改まったように向き合う男に自分は「どうした?」と問うと、彼は咳払いをしてから口を開いた。


「例えば、これからお前を誘拐するとする。

 俺を嫌いになるか?」


「は?」


なんだ一体。

今度は、謎解きか?


質問の意味がますますわからなくなってきた。


冗談を言っている風には見えないが、冗談めいた質問だ。

自分は、どう切り返そうかと悩んだが、最終的に今の素直な気持ちを返した。


「……そうだな。

 せねばならんことも多いから、不本意だがそうなると、お前と戦うことになるだろうな」


一瞬、沈黙が走った。


「戦う……」と呟いた後、小刻みに肩を震わせながら男は笑っていた。


聞いておきながら笑うとは失礼だな。

「ハハ…!物騒な奴だな……まったく…」

ただ、楽しそうな笑い声を聞いているとこちらまでつられて笑いそうになった。

一通り笑い終えたのか落ち着くと、男はまた、改まったように訊く。



「ならば、お前の『せねばならんこと』をし終えたら、どうだ?」



しなければならないことを終えた後?

自分が何者かを知り、ロクシアを見つけ、エーベルハルトがどのような所か知って、その先の未来?


そんな日が来るのか?


自分は茫然としていた。


あの砦の前で話しかけてきた商人が、世間話で訊ねてきた。


『君の夢は何なの?』


それは、漠然とした夢。

実現するかしないかわからない、不確かな理想のような夢。


そんなこと、今も、全く想像できない。



ただ、一つ言えることがある。



「そうだな。全く想像がつかないが、そのタイミングなら、嫌いには、ならんだろうな」


表情までは見通せないが、男はフードの中で柔らかく笑った気がした。


「そうか」


潮風が黒い装束を微かに揺らす。

握る手に、更に力がこもった。


「それは、よかった……」


フードの中の碧眼と一瞬視線が交わった気がした。


「そんな日が来れば……いいな」


けれど、続けた言葉は小さく寂しげに聞こえた。


更に男は静かに抑揚なく続ける。



「お前が消えずに隣に居て、暮らす毎日はさぞ楽しかろう。

 俺はお前に、絶対剣など持たせず、誰よりも幸せにする自信はある。

 お前がいいと言ったなら、今すぐにでもお前をさらってしまいたい」



彼の発言はいつも心臓に悪い。

自分の鼓動で落ち着かなくなりそうだったので、軽く口を結んだ。


まだ寝静まらないルフランの街の喧噪の中、今は自分と彼と二人きりに思えた。


「だが、お前にも自分に課した、成すべき義務があると言う。

 そして、同じように俺にも、手に負えない人生がある。

 それもこれも、決して俺の手で歪められないことだ」


握った手を見つめながら、自分自身に言い聞かすような消え入る声でつぶやいた。聞かせるつもりのない独り言だったのかもしれない。


「けれど、神の悪戯なのか、こんなタイミングで、またしてもお前と時が交わってしまった。

 ……何故、だろうな」


すると両手を持ち上げられ、優しく包み込むように握られた。

普段されることのない、壊れ物を大切に扱うような態度に、自分の鼓動は大きく鳴っていた。


そこに落とした疑問符。……何故。何故、また出会ったのか。


この手の温もりや彼の温かく切ない気持ちは何も言わなくても伝わる。けれど、その先の、彼の事情まで察することは出来ない。

彼がどのような事情でこのルフランに居るのか。

そして、自らの手で歪められないと語った彼の人生も、自分には想像も及ばない。

逆に、自分の人生も、ここにいる理由も、彼は知ることはない。

それ以前に、今も自分たちは、名前さえも知らない関係なのだから。


それなのに、また、申し合わせたように再会を果たした。


何故と、理由を求めてしまう気持ちは、自分も同じだ。



「俺も今夜、複雑な事情を抱えてこのルフランに降り立ったはずなのだがな……」


あまり深くを語らない彼が不意に独り言のように言う。


「お前と再会して、全て白紙になった。もう、そんなことはどうでもよくなった」


解き放たれたように、彼はそう告げた。


「お前と再会して……今日という日が恐らく、一生忘れられない『思い出』と成り代わったからだろう。

 俺という一人の人間としての、貴重な『思い出』だ。

 だから、今日だけは、ただの一人の男として、許された時間、お前に全てを捧げたい。

 俺の我儘が突き通せる時間など、恐らくあまり残されてはいないのだ。だから、せめて今だけは、俺でいたい。

 お前が許してくれるなら」


あの時初めて、このルフランで会った時の、楽しげな雰囲気とはまるで違う。

自分たちの夢のような旅行は、間違いなくあの日、終わったのだ。

そんなことは、承知している。


あれから、自分にも色々なことがあった。


周りの環境が一変し、楽しい学生生活が終わりを告げた。

シュライゼもレイもそしてメイリンも学生ではなく、任務を背負い学生に扮していただけと知った。そう、楽しい学生生活と思っていたのは自分だけだったのだ。

シュライゼはどこかの諜報員で、どういう事情か自分を欲しいとだけ言い残し学校を去った。

レイは自分の護衛を任務としていると知り、そして今日。帰ってくると言ったのに、目の前から消えた。

ロクシアにも未だ会えず、ミネアは村を離れた時に別れを告げたあの日を最期に、正式な別れの挨拶も出来ないままこの世を去った。


色々な別れがあったのだ。


また、この男も再会したばかりなのに、別れの言葉を告げるかのようで胸が痛んだ。

何故、そんな言い方をするのか。

まるで、『俺』の人生の先が見えているような。

……もう、金輪際、会うことがないような言い方じゃないか。


そう思うと、胸が強く痛んだ。


握る男の手が熱く感じる。 



「だから、女。お願いだ。

 傍に居させてくれるだけでいい。

 今夜だけ、一緒に過ごさせてはくれないだろうか」



石畳の往来で、男は頭を垂れて優雅に跪いた。

それは、ヴィルのように手慣れた仕草だった。


王子が姫にそうするように。


人の往来を構う余裕もなかった。

ここには二人だけしか存在しないように思えた。

その熱意が、痛いほど伝わってきて、言葉が出ないほどの息苦しさで自分の心を締め付ける。


自分は思わずコクリと頷いた。


断ることなど出来るはずもない。

一緒にいたいという気持ちは自分も同じだからだ。

それが、今夜だけという短い時間であろうと。


すると男は勢いよく立ち上がり、優しく手を引き、もう一度強く抱きしめてきた。

色々な感情が混じるような抱擁だった。


自分の心にはザラザラとした何かが残った。

彼の言い方が、とても切なかったからだ。



「よかった。

 ならば、もう一度問う。お前は何故泣いていたのだ?

 お前は自分の事はあまり言いたがらない性質だというのはわかっているが、それだけでいい。

 俺にそれを解決させてはくれないか?」



……何故泣いていたのか。


自分も、正直、彼の突然の登場ですべてを忘れかけていた。


「わかった。……けれど、言わせてもらうと」


自分は、彼の胸の中で小さくつぶやいた。



「自分も、お前と同じように、お前が現れた瞬間、先程までなぜ泣いていたのか思い出せないほど、悲しみが吹き飛んだのだ。

 黒い魔法使いのようだとも、正直思った。お前はやはりすごいな」


すると、苦しいくらいにまた腕がしまる。


「お前は、本当に…!どうにかしてやりたくなるくらい可愛いな……!

 お前が嫌がるような悪さをしてしまいそうになる」

「やめろ、苦しいぞ!」



楽しげにする男に水を差したくはなかったが、自分はやっぱり、ああいう風に言われたことが引っかかって、正直な気持ちを話さずにはいられなかった。



「…男よ」


「なんだ?」


「……この再会を、お前は『思い出』にしようとしているようだが」


男は少し腕を緩めて自分の顔を見下ろした。


「奇跡なんて、いつ起きるかわからんだろう。

 だって、今、現に起きているんだからな。

 お前の事情は知らんが、あまり寂しいことを言わないでくれ。

 自分の中では、『お前』という人間は常に『お前』という一人の男でしかない。

 お前がもし…この世から消えても、自分にとってのお前は、目の前にいる『お前』以外にいない。

 明るく、堂々として、賢く、光のように眩しく感じる。

 ……強いはずの自分を弱くする、目の前のお前だ」


「………」


フードに隠れたままの表情。何も言わない男の心情は察することが出来なかった。

思ったままの言葉を口にしたが、彼の意図とは見当違いな返答だったから…言葉を失くしたのかもしれない。



けれど暫くしてから、もう一度回す腕に力を込め、彼は掠れた声でぽつりと言った。

否定することも肯定することもしなかった。


縋るように思えたのは、気のせいかもしれないが。



「……すまない。もう少しだけ、このままでいさせてほしい…。すまない……」



ただ、その抱擁だけは、自分からの返答も奪うほど、何とも言えない気持ちにさせた。

その『すまない』という言葉が、誰に何に対する謝罪なのか。

幻影でないはずの彼の胸に顔を埋めながら、すぐ消えてしまう夢のようにさえ感じて、口では言うことはないが、自分も暫くこうしていたいと思った。



次回からは『第09章 海辺の街 抗争編』となります。

レイの過去が明らかになります。

少々内容的に重くていつも通りシリアスですが、引き続きお読みいただければと思います。

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