第090話 優しい女 * 海辺の街ルフラン〈リュカ〉
リュカ目線。
人もまばらになりつつある海岸沿いに着いた。
観光でたどり着いたであろう周りにいる楽しげな男女とは違い、自分たちは存在さえ忍ぶように小声で話し込んでいた。
涙の訳を説明しようにも、なかなかうまく男に伝えることが出来ない。
例えばレイとの関係を正確に表現すると「自分の護衛」となるのだが、何故自分が護衛対象なのかもわからない今の状態でそこから説明し始めると、更に話が複雑化しそうな気がしたため、ある程度掻い摘んだ情報のみを切り出して経緯のみを並べた。
そのような状態でもあるため、男は自分事のように神妙な顔つきで頷くが、案の定、あまり事情が掴めないと言った顔だ。
自分の説明の下手さ加減には申し訳ないとは思うが、少し男の機嫌が悪い気がする。
「お前は、この期に及んで、素性の知らん男と旅をしているということか?」
ん?
想定した質問ではなかったため、少し戸惑いながら返した。
「いや、旅というか……旅なのかな。何て言っていいかわからんが…。いや、待て、本筋はそこではない」
話を本題に戻そうとしたが、チクリと冷たげな視線を向けられた。
「そんなことはわかっている。訊いただけだ。
あの時言った俺の忠告を守っていないことに、ただ腹を立てているだけだ」
俺の忠告?
確か、以前『男とは宿を共にするな』と言っていた、あのことか。
それに自分はどう返事をしたか忘れたが……この男に迂闊な約束は出来んな。
自分は取り繕うように苦笑いで返答した。
「…悪いな」
「…いや、それもお前の事情の上でのことと理解はしているが……。
まぁ、そういった発想はまるで壊死したお前の事だ。
どうせ何もないのだろ?それならば、いいことにする…」
何もない?
キョトンとした顔に、男は疲れたように深く溜息をついた。
「あぁ…いい。話の腰を折ってすまない。……続けてくれ」
どこか引っ掛かるような物言いだな。……まぁ、本筋でないからいいか。
海岸沿いに座って客船を眺めながら、経緯の続きを伝えた。
仲間だと思っていた男が、実は彼にとっては仕事上の付き合いでしかなかったこと。
その男はルフランで昔男娼か何かをしていた頃の顧客と思しき男のところへ向かったのか、すぐ帰ると言い残して去ったのに、いつまでたっても宿に帰ってこないこと。
他人の事情に首を突っ込む気などさらさらなかったが、今回はどうしても気持ちが落ち着かず、宿泊先を抜け出してうろうろしていたところに、偶然にもお前に出会ったこと。
「裏切られたのに、何故自分は、表面的な付き合いでしかない彼の過去を悲しみ、彼がいないことで心細くなったのか、全く理解が出来なかった。
子供のころ、自分を育ててくれた父親のような男が失踪したあの時を思い出したからかもしれないが、……気付けば涙が出ていたのだ」
泣き言のようなことを口にするのは嫌だった。
自分が弱い人間だということを他人に晒すことだからだ。
けれど、何故か今日の自分は素直だった。
本当にこの男が魔法使いだからかもしれない。
隣に座る男は静かに頷く。相槌を打っただけで何も言わなかった。
他人に自分の心の内をこれほど赤裸々に伝えるのは初めてだったが、そんな態度が心地よくて、初めは話すことに躊躇いを感じていたが、正直な言葉が自然と生まれてくる。
「……レイは、この街が嫌いだったと言っていた」
絶えず聞こえてくる波の音と、黒い男の存在以外周りにはなかった。
「自分にとってルフランと言う街は、お前と過ごした…あの楽しげな印象しかなかったのに、レイの過去を知った瞬間から濁って見えた。
目に映る現実は、人それぞれ違うことを、実感して切なくなったのだ」
ふと、自分は男に向き合った。
「そう言えば、お前の目に映るルフランはどうなんだ?」
突然、彼の考えていることが知りたくなって自然と訊ねた。
男からは静かな気配しか感じない。
「俺のルフランか。そうだな……。
お前がいるルフランは、間違いなくどこに居るよりも居心地がよくて好きだ。
だが、正直言うと、俺にとっても辛い場所だ。俺もこの地で大切な存在に裏切られたから」
知らなかった。
訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうかと何か言おうとした瞬間。
察したように男は微かに温かい音程ですぐさま続けた。
「気に病むなよ。お前は、その暗い気分を帳消しにしてくれたんだから。本当に、感謝している。
さぁ、俺の事はいい。そのレイとやらを探しに行きたいのか?」
「……分からない。けれど、ひどく傷ついている気がした。
別に彼の事情が知りたい訳ではない。ただ、放っておいてはいけない気がして眠れなかったのだ」
あまり語りたくない自分の本心に、男は静かに相槌を打った。
「優しい女だな」
え?
意外な言葉に男の顔を見上げると、ポンポンと頭を軽く叩かれた。
「そう言われたのは初めてだ。自分は冷酷な人間だぞ」
そうだ。自分とお前は住む世界が違う。
自分は、お前の綺麗な世界に居るような人種ではない。
金のために人の命を奪うことの出来る冷酷な人間だということを、この男は知らない……。
「本当に冷酷な人間は、自分のことを冷酷だとは言わない。
自分自身をどう思っているか知らんが、お前はいつも優しい女だ」
わかったようなことを言うな。
「どうしてそんなことが言える?お前は何も知らないからだ。自分は……」
本当に、何も知らないから言えるのだ。
言えない気持ちを視線に乗せて、黒いフードの中をじっと見つめた。
すると、
「…フフフ……!」
肩透かしを食らうように、男はクスクスと笑う。
自分の真剣な顔が滑稽だとでも言うように。
「俺がお前のことを何も知らない?
……そうだな。まず、何のメリットもないのにお前はわざわざ盗人を捕まえて俺の所持金を取り返してくれただろ?
それと、名も知れん老人の分もな。
あと、魚というものに骨があることも教えてくれたし、骨も取り除いてくれた。
そうだ、自分には水を頼み、俺の口には合わないだろうと高級な紅茶を頼んでくれたこともあったか……」
………。
彼の目に映る自分は、確かに、優しげに思える。
言葉を失って、ただ黒い男を見上げた。
けれど、それは……。
否定しようと口を開いたが、その前に男はもう一言付け加えた。
「……それに、俺の事情も訊かず、傍らに居てくれる。
そして、自分の事情を押し付けることもしない。
誠実で偽りのないお前の気質が、俺にはこの上なく安心できるのだ。
俺の周りには一人もいない、俺にとっては特別に優しい女だよ」
さっきまでの、つらい気持ちが急にどこかへ飛んでいく。
待ってくれ。そんなことを言うお前の方が、無責任に優しすぎるだろう。
そんな声で、お前が発したその一言で。
自分はそんな女だったらいいと、勘違いしてしまうだろう。
それに、自分でも忘れてしまっていたことを、この男は……よく、覚えているのだな。
優しく頭に置かれた手が、肩まで滑り、優しく抱き寄せた。
また、甘えてしまいそうになる。
全く、こいつの隣にいる自分は、どうしようもない……。
「お前は、いつも優しい女だよ」
男に認められるのは、正直嬉しい。
優しい気持ちがあふれそうになるのは、多分、この男の所為だ。
「さぁ、レイと言う男を探しに行くか?
お前が連れて帰りたいなら、その男から奪い返して連れて帰ればいい。
悩むことではない。簡単な話だ」
………。
レイを奪って連れて帰る?
自分が?
「簡単な話……」
男の言葉を単純に復唱した。
イグナシオという男は初対面ながらいい印象はなかった。
レイの弱みに付け込んだような言い回しには腹が立った。
けれど、
「レイは、そんなこと望んでないのかもしれない……」
不安げに言う言葉を正確に理解しているように、男は肩を抱いたまま耳元で返す。
「本当にレイとやらが、自分の意志で向かったように思ったのか?
傷ついていると思ったお前は、『そう見えなかったから』眠れなかったのではないのか?
複雑に考えているだけではないのか?
だから、簡単な話だ」
ハッとして男の方を向くと、男は『違うか?』というように、まわした手でトントンと肩を叩いた。
……そうか。
答えをわからなくしていたのは、自分の感情だったのかもしれない。
どこかで、仕事として一緒にいるレイのことを気に掛ける自分が馬鹿みたいだと思っていたから。
複雑に考えていたのは、それを多分認めたくなかったから。
けれど、単純な話なんだ。
本当は、一緒にここまで旅をしてきたレイが帰ってこないのを心配していたのだ。
彼が、不本意な交渉に乗り、今、帰れない状況になっているのではないかと。
「……やはり、お前は賢いな。
頭の中では行き止まりばかりだったのに、お前の一言でようやく出口が見つかったようだ。
ありがとう。お前に相談出来て…本当によかった」
自分の中で考え続けても、答えは見つからなかったのかもしれない。
恐らくあのまま夜道を彷徨っていたことだろう。
この男が言ってくれなければ、恐らく本心から自分は認めなかっただろう。
ただ単純に『レイが心配だ』ということを。
「それはよかった」
フードの中に柔らかな笑顔を感じた。
立ち上がると、一旦宿へ向かおうとしたが、話し合いで何とかなるとも思えないので男に問いかけた。彼を連れていくのはやはり気が引ける。
「言い辛いが、男よ。剣の腕に覚えがないのなら、ここで別れた方がいい…。必ず争いになる」
「何を言っている。先程お前は今夜一緒に居てくれると約束してくれたのではないか?」
そう、言ったに違いないが……。
やはり、この男と迂闊な約束をすべきではなかったな。
深いため息をついた。
時間も限られている。ここで不毛な議論を続けても仕方が無い。やむを得ず、二人で走り出そうとした時、逆にこちらに向かって走ってくる男がいた。
血相を変えた様子だ。
襲いかかってくるようではないが、何者かわからない。
咄嗟に自分は束に手を掛け、身構えたが、
「…ル、ルクス様!」
レイに命名された偽名で声を掛けられた。
自分に用事、ということか。
レイと似た赤い瞳に赤茶色の短髪の髪。見たことのない男。
その男が、深々と頭を下げた。
「…助けてください……!ルクス様」
自分に助けを乞うなど……。
黒装束の男と視線を交わしてから、赤茶色の髪の男に訊ねた。
「どうした?」
「……レイ様が…!」




