第080話 夢でも見ているのか * 海辺の街ルフラン〈シュリダンテ〉
シュリダンテ目線。
何日かした夜。碇を下す景気のいい声が響く。
船はようやく港に停泊したらしい。
甲板から見下ろす夜中のルフランは、昼間とは違う表情で俺たちを迎えた。
海で働く労働者の活気ある声こそ聞こえないが、街の中心部へ向けて屋台などの明かりが連なり、楽しげな音楽も遠くから聞こえてくる。
到着したと聞くとすぐに、パァっと明るい表情でじゃじゃ馬姫はやって来て俺の腕を強引に引っ張った。
「やっと着いたわね!シュリ!さぁ行きましょう!」
「あぁ」
このテンションの隣で過ごすのは大変だな。と同情を込めてチラリとルシアスを見たが、その視線をどうやら『暗黙の指示』と勘違いしたようで「ロ、ローザ。王…いえ、シュリさんを困らせないように」と彼女を優しく咎めた。
すると、じゃじゃ馬姫は何かを思いついたような表情でじっとルシアスを見ると、
「久しぶりではありません?ルシアスがわたくしを『ローザ』なんて呼んだの」と言った。
ドキッとしたようにルシアスは目を伏せて「まさか、もう呼べませんよ…」と彼女には聞こえないような声で返した。
いつもなら表情一つ変えない男なんだが、まったく可愛らしいもんだな。
終始二人はこんな様子だった。
正直、俺の婚約者探しだったはずでは?とも言いたくもなったが、一応建前上は楽しげな旅行だ。大目にみてやろう。
客に扮した護衛達と一緒になって長い階段を下りた。
船旅もなかなかよかったが、久々のルフランに降り立つと夜中にも関わらず雑多で楽しげ雰囲気に自然と足が止まった。
海辺に点々と沿うように設置された淡い色の灯りと潮風と、色々な恰好をした者が夜のひと時を味わいながら行き交う様子が非日常を実感させる。
楽しげな表情をしている者が多い。恐らくここにいる者の多くは、俺たちと同じように遠路遥々やってきた旅人なのだろう。
やるべきことは沢山あるのだが、執務に追われる毎日から解放された気分になり、今の瞬間を少しでも長く味わいたいと思った。
そういう意味では、少なからずローザリンデには感謝している。
当の本人も大はしゃぎで軽快なステップを踏み、ルシアスと談笑しているが。
一呼吸を置いてから、俺は何本かの通りを目視して、ここから抜け出すタイミングを見計らった。
このじゃじゃ馬姫をルシアスに押し付け、会員制の賭博場で『シュライゼ』に関する情報を拾う計画だ。
一人であの場に行くことは出来んし、その前に誰か適当な女を探して……と考えると、真っ赤にしたあの女兵士の顔が自ずと浮かんだ。
あぁ、そうか。それはまるであの時と同じだな。
賭博場へ向かった理由は敵国の現状の偵察を兼ねた、俺の事情を交えての提案だった。
けれども、慣れない衣装に戸惑い寄り添う彼女を傍らに感じ、危なっかしい様子をフォローする度に『悪いな』と赤面しながら返す素振りが可愛くて、他人に声をかけられないようにしたり、楽しんでくれているのか気になってばかりいると、いつの間にか単なる旅と成り果てていた。
出会ったきっかけは笑えるものだったが、旅が終わる頃にはパートナーとして彼女と一緒にいたいと、出来れば国へ連れて帰りたいと強く思った。
もう何ヵ月も前の話だが、あの日のことを思い出せば今も、色々と尖った感情を溶かすように、自ずと笑みが漏れた。
婚約者候補と一緒に旅行をしながらも、俺は彼女を思い出すのか。
それに、不思議だ。
あれほど、落ち着かないような暗い気持ちが胸の中で蜷局を巻いていたのに、あの女のことを思い出した途端、霧が晴れたように気持ちが軽くなる。
俺も相当単純な男だな。
「シュリさん?」
前方を歩いていたはずのルシアスがすぐ手前でこちらを見ていた。
「どうした?」
「よかったです」
「何がだ?」
柔らかい笑みで「今日はいつもよりも楽しげでいらっしゃるので」と言ってきた。
心中を勝手に読まれたようで、俺は視線を遮断するために黒のフードを下げて返した。
「旅は、これからだからな」
こうしてはいられない。
「ルシアス。手を出せ」
「はい?」
「ローザ、お前もだ」
「どうなさったの?」
よくわからないと言った顔で、ルシアスとローザリンデは片手ずつを出す。
そして、俺は二人の手を強引に掴むと、どちらも突然のことで驚いたようにこちらを見る。
「今回の旅の計画には感謝している」
そう言うと、俺は彼らの手を結ぶように誘導し自らの手を放すと、唖然とした二人を眺めつつ、そっと一歩離れた。
ローザリンデに手を握られる格好になったルシアスは顔を真っ赤にして口をパクパク言わせている。
「な、なにするんです…シュリさん」
絵の中に収めたい程滑稽な顔だな。
一方ローザリンデは、抗う素振りもなく首をかしげて言う。
「シュリ?」
「旅はやはり自由が一番だろう?」と微笑み返すと、彼女は一拍置いてから何かを察して「そうね」と申し合わせたように笑った。
そして、俺が口を開こうとする前に、彼女が先に言った。
「どうぞ、翌朝には港へ戻って来られますように」
そう言って、彼女は離れないようにルシアスの手をしっかりと握って、美しい笑顔を見せた。
この女はどこまでわかっているのだろうか。
不思議な部分だけで構成されているかと思ったが、馬鹿ではない。大した女だ。
「ロ、ローザ!放してください!シュリさまっ!これはどういう!!」ルシアスは何がどうなっているかわからず慌てふためいている。
ローザリンデに掴まれているとなれば、ルシアスも安易に手を振りほどくことも出来ないだろう。
案の定、彼はどうしていいかわからずジタバタしているが、こういう時は女の方が度胸があるのかもしれん。
俺はじゃじゃ馬姫とルシアス相互に目配せをして「良い旅を」と言い捨てて、人ごみの中に走り去った。
俺を呼ぶ声が聞こえたか聞こえなかったか。
ローザの楽しげな笑い声だけは届いた。
周りに潜ませたコルネリウス卿が付けた大量の護衛も大慌てしているだろうが、この人ごみの中で正確に俺を追える者などいまい。
しばらく走った後、汗を拭い肩で息をしながら周りを見る。
もう周りに俺の正体を知り、是が非でもついてこようとする者はいないようだ。
意外とすんなりと事が運べたのは、やはりあの側近がうまく立ちまわったからだろう。
なにかと優秀な奴だな。
さて、当初の計画通り、適当な女でも探すか。
咄嗟に逃げ延びたものの、この界隈はカップルが多い。
港に停泊する装飾を施したきらびやかな客船が海に映り込み、眩い程の明かりを放っている。
恐らくこの一帯の雰囲気のある夜景を見物に来ているのだろう。
その客をターゲットに物売りが集まる。何処の国もそうなのだろうな。
子供と思しき年齢の小汚い子らが、見た目、首が折れそうなほどの大きな箱を引っ下げて、自分で作ったのか、焼き菓子や装飾品や色々な物を売り歩いている。
「買ってくれませんか?」
足元に来た女児は、何やら小さな腕輪のようなものを売っているようだった。
隣の子供は足元の子供に窘める。
「一人身に売ってもしかたないだろ」と。
一人身…。俺の事か。
確かにそうだな。
真っ黒の衣装に身を包んだ一人で佇む俺は、ここでは相当浮いた存在ではある。
しゃがんで目線を合わせる格好で腕輪を売る子に訊ねた。
「これはお前が作ったのか?」
「うん。こっちはあたしが作って、これはおにいちゃんが作ったの」
隣の子供は、この子の兄か。
「そんな説明いらねぇだろ。おれは行くからな」と兄の方は独りスタスタとお金になりそうな人を探しに行った。
女児はそのままポカンとした顔で俺を見つめる。
この子が作ったという腕輪を手に取って眺めた。貝殻に穴をあけて紐で通しただけのものだが、なかなか配色のセンスがいい。
「いくらだ?」と問うと、女の子は「10ルピアス」と言った。
相場はわからないが、この子にとってはふっかけたつもりなのだろう。
「じゃあ、お前が作ったのと兄が作ったのを一つずつもらおう」と言うと、目を大きく開いて「え?!いいの?」と驚いた。
お金を渡すと、女の子は二つの腕輪と一緒に「こ、これは、おまけです」と真っ白の貝を手渡し、軽快な足取りで走り去って行った。
手に残ったおもちゃのような二つの腕輪と真っ白な貝殻。
俺は、少し昔の事を思い出していた。
いつだったか、天の使いかと見紛うような真っ白な髪の美しい男性が、祖父ギュスターブ陛下と談笑をしていたのを扉の隙間に見つけたのだ。
その美しい男は少年の俺の視線に気付いて手招きをした。
確か、それがケイ様との出会いだったように思う。
「ギュスターブの孫か」
祖父の膝の上で、ぼおっとその男の綺麗な顔を眺めているとそう声を掛けてきた。
俺は勝気な少年だったため、今思うと失礼な物言いだが、
「孫じゃない、シュリダンテだ」とはっきり答えた。
すると、クスクスと口元に手を当てて上品に笑ったケイ様は、「ギュスターブよ。本当にあの子にそっくりだね」と言い、祖父も「そうだろう?けど、こいつはあんなムスっとはしておらんし、可愛げがある」と苦笑気味に返した。
誰かと俺が似ているという話だったと思う。
それが誰だったかは最後までわからなかったが。
断片的に思い出す。
ケイ様は、その白い手で俺の頭を撫で、「あなたにご加護がありますように」と呟いた。
温かいその手と、穏やかな声の音程が心地がよくて、俺はそのまま祖父の膝で昼寝をしたのだ。
気が付けば、乳母が横に居て、俺はソファに寝かされていた。
「陛下と白い人は?」と尋ねると、乳母は「お仕事で御座います」と笑った。
そして、乳母は真っ白な何かの花を差し出してきた。
それは茎の部分まで白く、見たことのない植物で、それは何なのかと首をかしげると、乳母は優しい声で伝えた。
「ケイ様からシュリダンテ様にと。贈り物で御座います。素敵な花ですわね」
純白のその花は夢の世界で摘んできたように、キラキラと輝きに満ちていた。
小さな俺の手にそれが渡された瞬間、乳母と自分は目を見張った。
「あ…!」
それが、溶けるように俺の手の中で虹色の光になって、一瞬にして消えて行ったのだ。
魔法というものがこの世に存在することを知った日だ。
俺は驚いて、「今の、どうしたの?!」と乳母に訊いたが、彼女も何が起こったか理解できない様子で、口を開けたまま驚きあまり声も出せない状態だったのを覚えている。
ただの手品のようなことだったが、ケイ様がまた来るのが楽しみになった。
失礼だが、その当時は『白のお兄さん』と呼んでいたと思う。
別に、大したものをくれるわけではない。
会えばこのような小さな手品のような魔法の贈り物を必ずくれた。
そう確か、「おまけをあげよう」と言って。
それが、嬉しくて俺も絵を描いたり、自分で何かを作ったりしてケイ様にお返しをした。
ケイ様にとってはつまらないものだっただろうが、いつも大事そうに受け取って、「ありがとう。シュリダンテ」と微笑んで頭を撫でられた。
今も変わらない、あの笑顔で。
白い貝殻を見て、そんなこともあったなと微笑ましく思った。
港から少し歩くと、屋台が並ぶ一角に出た。
夜風に当たろうとブラブラと一人で歩く者も増え、ここでは特に自分も浮いている存在ではなくなった。
あれから、何年経ったのだろうか。
祖父は病に伏し、もう虫の息だ。
俺は、ケイ様から俺の従者にと使わされたレビンを、捕らえて処刑せねばならない。
そう、時代も、環境も、知らぬ間に動く。
俺個人が嫌だと言っても、時間は前にしか進まないのだ。
正直な話。
そう遠くない将来、この美しい港をもつこの国とも戦争をする可能性は十分にある。
はっきりとしたものではないが、不穏な動きがあるとの報告を受けているからだ。
そうなると、先ほどの子供らは、間違いなく飢えることになるだろう。
また行き交うこの人達の命を、奪うことにもなるのかもしれない。
俺は、エーベルハルト王位継承権第一位の王太子である。
国が決めた方針に従い道化を演じるきるために、産み落とされた傀儡に過ぎん。
意志を持てるのは、いつまでだろう。
海風が俺という存在をかき消すようにさえ感じる。
俺が『シュリダンテ』として生きることが出来るのは、いつまでだろう。
……こんなことを考えるなど、俺も弱くなったものだ。
恐らくレビンの裏切りは大きく影響していると思う。
人の気持ちなど毎日変わるもの。
俺自身も俺の気持ちがわからない時があるのに、他人の気持ちなどわかるはずがない。
仕方なかったんだ。
そう思えばいいだろう。
胸が締め付けられる。
楽しげなこの海辺の街に、一人、取り残されたような存在の俺には、この黒装束がお似合いだと自虐的に思った。
「兄さん、美味しい果物はいかが?」
突然屋台から、俺にも例外無く客引きの声がかかり、放心状態から解かれた。
あぁ。賭博場に連れていけるような女を探していたんだったな。
「いや、結構だ」と笑ってやんわり断ると、俺は周りを見渡した。
こんな時間に一人でいる女性は、その手の商売の者が殆どだろうが、それでもかまわない。
だが、ふと何気に見た視線の先に、普通っぽい服装の女、もしくは少し華奢な男がポツンと立っていた。
腰に下げた長剣、羽織った上着からするとどこかの私兵なのか。違和感があるな。
襟足の長いサラリとした黒髪は、またあの女を思い出させた。
こんなところに、いるはずがないのだ。
あの時、彼女は初めてこのルフランに降り立ち、数少ない日程だったのか、色々な用事を手際よくこなしていた。
確か旅と言っていたはずだ。
その者は、目の前をトボトボと歩き、暫くしてふと立ち止まってから、手に持った果物を齧った。
殆ど後ろ姿だったが、その様子が俺にはとても、もの悲しげに映った。
こんな賑やかな海辺の街なのに、俺のように浮いて感じる異質な存在。
男か女かわからないが、吸い寄せられるようにその者に近づいた。
じっと佇むその者との距離が縮まるにつれ、既視感を覚えた。
まさか。
いや、そんなはずはないだろう。
心臓の音が高鳴る。
周りの音が聞こえなくなって、
俺は、思わず声を掛けていた。
「おい」
その者は、振り返ってゆっくりと俺を見上げた。
理由はわからないが、頬を一筋の涙が濡らしていた。
漆黒の髪。褐色の肌。宝石のような碧眼からは溢れそうな涙がまだ湛えられている。
伝説の魔物に魅入られたかのように体が硬直して、ぽつりと一言だけ口から言葉が出た。
「女」
自分の口からこぼれたその一言を聞いてから、遅れてきたように強い感情が自分の中に溢れ出した。
その一言が、この時間を止めるかのようにさえ感じた。
それ以外の感情、ここにいる理由、俺の存在が、全て白紙になった瞬間だった。
どういうことだ。俺はまた、夢でも見ているのか。
何度も願った夢を、また見ているのか。
この瞬間まで、俺にとって、この世は不条理なものでしかなかったのに。




