第075話 王子と言う人について * 国境付近〈リー〉
リー目線。
失礼ながら、この馬に跨るヴィクトル王子は、遠目で見たいつもの印象とはずいぶん異なって見えた。
会議の席でレヴィ様の後方に控えてお見受けする時は、濁った目付きをされていたように思う。
頑張って歯切れのいい言葉を使おうとするが、自信の無さが滲み出ている所為か、それとも脇を固める公爵の威圧感との対比か、霞がかかったようなその席に注目する者など殆どいないと言い切れるくらいに存在感がなかった。
普通では考えにくいが、まさか、本当にお一人でこのようなところまで来られたと言うのか。
それなら、今生きておられること自体が奇跡だが。
見た目に関しても。いつも身に着けているような豪華な衣装ではない、擦り切れたような薄い布でこしらえた肌着の上に羽織った上着は埃だらけだが、艶やかな黒髪が風になびく様は生き生きとして見えた。
どこか陰があり、儚げな表情が侍女に受けていたようだが、振り向いたしっかりした栗色の瞳はいつも以上に魅力的に思える。
この旅で成長されたのか。それとも、実際こんな方だったのか。
ふいに王子が訊ねてきた。
「レヴィストロースは見つかったか?」
「どうしてそれを……?」
いや、当たり前か。私はレヴィストロースの使いであり、王子からしても常にセットで歩いている認識しかないはずだ。(私の名前をご存じだったことには多少驚いたが…)
さすがに、こんなところに私がいる理由など、レヴィ様絡みとしか考えられないだろう。
まさか、逆に、捜索部隊として任命もされていない私が、裏で大問題にまで発展していた『渦中のお方』を真っ先に発見してしまうなど思いもよらなかったが。
王子を引き渡すと多額の報奨金が貰えそうだな、と頭の隅では不謹慎な計算をしていたが、表情には出さずとりあえず言わなければならない一言を口にした。
「いえ、レヴィストロース様の件はまだですが、何より、あなた様がご無事と知れて本当に安堵致しました」
本当のところ『安堵した』というのは、お家問題に発展しそうになっていたからだが。
危険を冒してまでお一人でこのようなところに来られた事情は存じ上げないが、どれほどの人員つまりコストを投じてこの問題にあたっているのか、この方は理解されているのか。
噂を耳にした時、レヴィ様に仕えるだけの身である私個人にとっては直接迷惑をこうむっている訳ではないが、正直この方の身勝手さに腹を立てていた。
所詮お飾り的存在だとしても、やはりその身に課せられた次期後継者としての振る舞いを、もう子供と言える年ではないのなら弁えてほしいものだと。
ただ、遠目からいつも見る王子は、このような『人知れず失踪する』など博打を打つような手段に出る方とは思えないところが引っかかっていた。
半数以上の者はプロの誘拐犯の仕業かと思っていたからだ。
それに王子は宮殿から一歩も出たことがない、所謂箱入りだ。
世間の常識など知るはずがないし、剣の腕前も噂に訊かないくらいである。奇跡以外、このような治安の悪い場所で生きていられるはずがないのだ。
ちらりとこちらを見た王子は、私の心の内を読んだように、口の端だけで笑って言った。
「そうでしょうね」と。
何?とても違和感があるな。
想像では、『悪かったな』とか、『申し訳なかった』とかそういう率直な言葉を返されると思っていたが。
このお方とこうしてお話しする機会など今まで与えられたはずもないし、当然ではあるが、お近づきになったことすらないため噂で聞く王子しか知らない。
見た目も、硝子の箱に観賞用として入れられた人形のように美しい中性的な王子様というイメージだったが、ボロを纏い馬を操る今の姿の方が人間らしく、一人前の青年に思える。
それに、なんて表現すればいいのかわからないが、今までは単なるお飾りのように軽視していたからか、『甘い』などと陰口を叩かれていることは知っていたが、その『考え無しで世間知らずの優しすぎる王子』という印象とはどこか違う。
しっかりとした意志を感じるが、甘いマスクで表情を悟られんとする、落ち着いた男に見えるのだ。
本当に何らかの使命を感じて、お一人で宮殿を抜け出されたような気さえする。
「事実、皆には迷惑をかけた」
手綱を引くその姿も自然で、立派な馬に乗っているが、乗せられているようにも見えない。
「ですが、かけてしまったものはもうどうしようもない。そうでしょう?」
え?
隣を見ると、同意を得るようににこやかに笑う王子。
なんだこの方は……。
何を言ったかあまり正確に聞き取れなかったが、「……は、はい。左様でございます」と眼鏡を押し上げて返すと、ヴィクトル王子は驚くべき提案をした。
「だから反省は、後ですることとして。
ここまで折角来たついでだ。
リー・バーリーグレン。少し私に付き合ってくれないか。宮殿にはまだ帰らぬ」
ええええ!?
それは駄目でしょう!!絶対!!
全然迷惑かけてると思っていないでしょ!皆にも、私にも!
目を見開く私に、この王子は目を細め、女性ならば顔を赤らめるであろう甘い表情で見つめた。
「お前にしか頼めない。今こちらに着いたばかりであろう?」
この王子、もしや私を懐柔するつもりか?
「え、あ。はい、そうですが…」
「レヴィストロースは私の推測では、レイモンド村から下った位置にある、国境に一番近い警備拠点に居ると思われる。
用事が終わってからそちらに出向いて合流しよう。
ただ一つ、それまでに見ておきたいところがある。そこについて来てくれないか」
……全く意外だ。
レヴィ様の所在はある程度確信をもって話されているようだ。私もまずそこに向かおうと思っていたのだから真実味はある。
それにしても、何て押しの強い人だ。
この方は、私が想像していたような、考えなしの甘い方ではないようだ。
何せ、この瞳は、私の立場を分かって言っておられるからだ。
思った以上に、この王子は曲者なのかもしれない。
「ですが……私めが、ご一緒させて頂いても、よろしいのでしょうか?ここはやはり……」
「それは『要望に沿えない。一人で行け』という意味か?」
……やっぱり…。
この脅迫ではない、美しくも甘い容姿はとても厄介だ。
NOと言わせない雰囲気をもっておられる。
そういう噂を耳にしたことがないということは、恐らくこの方は今まで他人に何かを依頼したり、要望したりすることがなかったのかもしれない。
ご自身で、人を懐柔している気はないのかもしれないが、これは上に立つ者として持つべき力の一つと言えるだろう。
この方が、それを自覚された時、これは、大きな武器となるだろう。
「い、いえ!そういう訳では」
「お前の剣の腕前は知っている」
え?
王子は目を細めて慈愛に満ちた顔で笑った。
「これは命令ではない。あくまでもお前に対しての商人ヴィルとしての個人的なお願いだ」
は?
そう言うと、馬に乗りながら王子は鞄の中からマスク家の家紋が入った通行証である木札を取り出して掲げた。
「!!」
どういうことだ?何故王子がこんなものを……。
あのマスク家のものだ。似せて偽造するなどバレた時は恐らく死罪。
王子だからか?いや、ありえないだろう。一族以外の者の所持は一切認められないはず。
本物か偽物かもわからないが、事実城塞を越えてここにおられるのだ。
全く、底知れない王子だ……。
薄く笑みを浮かべる王子は、はっきりと続けた。
「あのレヴィストロースが傍仕えさせているお前を信用してのこと。
行ってくれるな」
……お前を信用して、ね。
黒い髪が風になびく。絵画のように美しいとさえ思った。
私は、あまり感動することなどない。
今まで人に執着したのは、面白すぎる二面性を持ったレヴィ様だけだった。
そう。一生ついて行こうと思ったのも、レヴィ様だけだ。
目の前の若い王子は、レヴィ様とは比較にならない程頼りない。
けれど、何かワクワクするものを感じるのだ。
あの城から抜け出し、どうやってか知らないが、こんなところまで誰にも捕まらずに来たのだ。
しかも、あのマスク家の通行証を所持し巧妙な手段を用いて、現にここで生きている。
それになんだ。曲がりなりにも宮殿に遣える身である(殆ど面識もない)私に、共犯者になれと仰る。
人を巻き込んで大事になっていることを、このお方が知らない訳はない。
逆に、安易な旅で、生き残るなど不可能なのだ。
だが、ボロを纏い、彼は現に生きているのだ……。
壇上に座るこの王子には、目をくれようとも思わなかったのに。
失踪の噂を耳にした時、呆れて腹を立てていたのに。
信用していると言われて、気持ちが高揚するなど我ながら意外だ。
多分、美しくも意志のある瞳が、日頃の私なら、絶対に通ることのない危ない道を判断させた。
「有難うございます。では謹んでお受け致しましょう」
もう一度、眼鏡を押し上げて簡単に頭を下げた。
すると、王子はポツリと言った。
「こちらこそ、無理を言ってすまないな。
……多少意外だが」
「?」
逆に意外と言われた。
「いや、普通は断るだろうと思って。それに、あなたはもっと常識人かと思っていました」
きょとんとした顔を見る限り、やはり、ご自身の武器をご存じでないようだ。
面白いお方だ。
素朴な返答をする王子の素を垣間見て、私も砕けた表現で返してしまった。
「それはないですよ。レヴィストロース様にお仕えしている時点で、私も常識人ではありませんから」
その返答をお気に召したのか、何の壁もない素朴な笑みを向けた。
「ハハハ。全く、その通りだ」と。
……無駄に美しい。
この王子、こんなに明るい性格だったか?それとも、何かいいことがあったのか?
それに、口が裂けても確認出来ないが、レヴィ様の裏の素性をご存じなのでは…と一瞬思った。
それにしても、レヴィ様があの警備拠点にいるなどと、何故王子が知っているのだろう。
レイモンド村も知っているような口ぶりだったが。
もしや、……レヴィ様が王子に通行証を持たせ連れ出した?!
それが本当だったら……処刑モノだろうが、それなら何故一緒に居ないのか。
どういう事情なのか知りたいが、全くわからない。
レヴィ様はどう見ても、この王子が苦手だったと思うのだが。
それに……。
「王子、先ほどのあの方は、リュカ様と仰いましたね」
そう訊ねると、王子は咄嗟に振り返った。
その顔は、先ほどまでの神々しい程の甘さとは打って変わって何故か冷たく感じた。
「あぁそうだが、何だ?ただの護衛にお前は何か用でもあるのか?」
え……。何の地雷だ。
どうしてだ。聞いてはいけなかったのか?何故だ??
急激に王子の機嫌が相当悪くなっている。
「いえ、御座いません」
「なら無駄なことは訊くな」
………。
まさかの一刀両断。一瞬、レイゾンかと思えた。
リュカと言えば、レヴィ様の学校で今年から入った学生だったはずだ。里帰り中だったのか?
それにあのレイモンド村を賊から守ったと、あの村では英雄扱いされていた。
あの日、レヴィ様がリュカの先生か何かと勘違いした村人から、うんざりするほどの野菜や果物を持たされ、保存食にすると言い出したマリーアの補佐として半日以上費やしたほどだ。
まさかレヴィ様も興味示されていた彼本人に出会えるとは思ってもみなかったが……。
本当にあの子が、あの『リュカ』?
同一人物なのか?
自分の中でのイメージが違いすぎる。
王都で小奇麗な恰好で歩いていたら、恐らく女と勘違いして声を掛けられるだろうし、恐らく私でさえ、彼が隣に手持無沙汰に座っていたら女と勘違いして間違いなく声を掛けている。
この宮殿で一二を争う侍女人気の高い王子の横に控えても引けを取らないほど可愛かった、と思う。
あれで本当に、強いのか…?
表舞台に現れた時は、相当荒れるだろうな……。
先程まで、王子の護衛をしていたと言うのだから、実力は間違いはないと思うが。
それと、どこかで…見たように思うのは気の所為だろうか。
「どうした、リー。彼にまだ何か?」
驚くほど、しぶとく確認するので私は咄嗟に顔を作って返した。
「あぁいえ、別の事を考えておりました」
そうすると、若干王子は表情を緩めて「そうか」と返答した。
まるで、リュカに対して変な詮索をするなと言われているようだな。
まぁ、レヴィ様もたかが学生の出身地まで足を運ぼうとしたのだ。見方を変えれば、はっきり言って変態だろう。
一瞬思わず嫌悪感を示してしまったが、レヴィ様はあまり何も考えていない様子だったので、その節は、疑ったこと自体、申し訳なく思ったが。
あの『リュカ』が絡むとおかしなことが多いな。
とりあえず、王子に続きながら私はそんなことばかりを考えていた。




