第074話 高台からの景色 * 国境付近〈リュカ〉
リュカ目線。
目も暫くすると見えるようになったため、引き続き高台を目指した。
あれからは幸いにも大きな獣に合うことはなかったが、あまり近づくなと言っているのにヴィルは距離感を保とうとはしてくれなかった。
本当にあの一件で心配をかけたようだったので、あまり強く言う気もないが。
蔦が絡まった木々で茂る林を抜けるには、いちいち通り道を確保するために剣を使って切り拓いていく必要があった。
『剣が当たると危ないから近づくな』と遠回しに言ってみたものの、逆にヴィルが前方に立ち、草木をなぎ倒して先導する格好となったため最終的にはどちらが護衛かわからない状態になっていた。
汗を光らせて振り返るヴィルは「こういうこともやってみたいんです」と無邪気に笑うものだから、それ以上の言葉を返せなかった。
確かに、護衛を雇う程に高貴なヴィルが、獣の調達や捌き方を『つい先日教わって覚えた』と言っていたことを考えると、色々なことへの好奇心が旺盛なのだろう。
「飽きたら代わるから言ってくれ」と声を掛けたが、キラキラした笑顔で一瞬振り返って、ポンポンと軽く頭を叩かれた。
………。
よくわからんが、まるで、子供に対する扱いのようだ……。
だが、後ろについて歩くのは、悪くない。
一歩の歩幅が大きいロクシアを追って、必死で後をついて行った過去を思い出すからかもしれない。
彼の背中はロクシアと比べて小さく華奢に見えるが、長く真っ直ぐな黒髪が楽しげに揺れるさまは見ていて面白かった。
「ヴィル。ここを抜けたところが目的地だ」
前方からは光が射す。言わなくてもわかるくらい明るさが違う。
「足は踏み外さないように気をつけるんだ」
「わかりました」
ヴィルは助言通り慎重に足場を確保し、茂みをかき分けた。
「すごい……」思わず感嘆の声を漏らしている。
そうだ、こんな景色だった。とても懐かしい。
風が直接吹き付ける感覚。
全てを見渡せる絶壁からの、雄大な眺望。
「そうだろう。ここが秘密の場所だ」
と言った自分に、こちらを見たヴィルは、目を輝かせながら返した。
「…感動しました。こんな景色は初めて見た。ありがとう…」
「そうか。よかった」
その後、自分たちは無言でその景色を眺め続けた。
この世を支配したかと勘違いさせるような高台。
あの頃の自分は、ここで一人、ロクシアに捨てられたと涙して、村に馴染めず孤独を感じていた。
まさか誰かを連れてここに来ることになるとは思いもよらなかったが。
山に当たる風が吹き荒れる。足を滑らせないようにあまり体を乗り出さず、下界の景色を眺める。
「ここからなら隣国の国境もよく見えるだろう」
「本当ですね」
とりあえずその場に二人で座って景色を堪能した。
薄い雲がゆっくりと流れ、鳥が空を駆け、どこまでも青い空とどこかの山脈が境界を描く。
よくここで蹲って歌を歌っていた。
ロクシアが失踪して、一人になった辛さを紛らわせるためだった。
あの頃のように、自ずとそれが口から出ていた。
簡単で短い旋律。
一定の音階しか使わない素朴なものだ。
子守唄なのか、誰に教えてもらったのか。全く覚えていない。
「…その歌…」
「ごめん。うるさかったか?」
と問いかけると、ヴィルは首を振って不思議そうに尋ねてきた。
「何処の国の歌、なんですか?」
「ん?知らん」
注目するような歌でもない。
どこか民族的な響きの残る旋律だが、歌詞も知らない単なる鼻歌だ。
彼は気になった様子で続ける。
「何故、知ってるんです?」
……何故知ってる?
妙な質問だなとヴィルを見ると、食い入るように自分を見ていたのでありのまま答えた。
「この歌がどうかしたのか?何故かなどしらん。聞いたことがあるのだ。
いつ誰に教わったかなど覚えていないが」
「……そう、ですか」
何か深く考えるようにヴィルはうつむいた。
「あなたは、本当に不思議な人だ」
そういえば、シュライゼにも言われたな。
不思議な存在だと。
確かに、自分でも不思議だと思う。
自分の事を何一つ知らない人間など、この世に居るのだろうか。
「私は、あなたを愛してしまった」
ん?
今、なんか言ったか?
はっとして顔を上げた。
「そんなに驚かないでください。気づかなかった訳ではないでしょう?」
ちょっと待て。
凄く自然に、とんでもないことを、今、言わなかったか?
「けれど、ご安心ください。今、答えは要りません」
ヴィルは美しく笑みを浮かべた。
体に触れることはない、ただ温かい視線を向ける。
「まだ、私自身、あなたに愛される価値がないことは気付いています。
ですから、頑張ってみることにします」
「な、何を?」
「色々です」
纏まった真っ直ぐの長い髪が風にさらさらと揺れる。
甘い瞳が自分だけを捉えて、キラキラと輝いた。
「いや、あの、自分は男として…」
「私にとってはリュカです。
男として振る舞っても、女でいても、リュカはリュカです」
「………」
何て、顔を向けるんだ!
脈が速く打つのがわかる。
この人は、危険な、男だな。
自分から思わず、強引に目を逸らした。
ええと、頭がかなり混乱している。
あまり深く考えるな。…考えると、態度が更におかしくなりそうだ。
目的は何だったか。
意識的に別の事を考えようとして、景色をもう一度見た。
「…コホン。……国境警備の陣形や、人数にはあまり変わりないな。…後、新しい要塞もなさそうだ…。
警備体制が強化されたのはずいぶん前の話のようだから、特段攻めに転じている風でもないが…」
早口で状況を説明した。緊張していることがバレないようにするためだ。
簡単に越すことが出来ないあの国境の線に目線を集中させる。
感慨深くそれを眺めて、ふと国内に視線を戻した時だった。
……あれ?
「…あの山の裏側に、なんだ?」
「どうしました?」
ヴィルにも見えるように指をさす。
「あの伐採の跡。あんなものはなかった」
この山の向かいにある山脈の一部が大きく切り取られたような伐採の跡があることに気付いた。
こちらから全体像が見えるものではないが、今までそんなものはなかったと思う。
後は森に隠れてあまり見えない。
「リュカ」
そう言ってこちらを見たヴィルは今日一番深刻な顔をしていたように思う。
「ありがとう、帰ろうか」
「あ…うん。わかった。もういいのか?」
「ええ。おかげさまで」
そして、高台から村へ。
泣きながら帰った道なのに、違う景色に思えてくるのが不思議だ。
前を歩くヴィルは、時折こちらを振り返りキラキラと笑いかける。
苦笑して返すしかないが、村についたらこの旅も終わりだろう。
どことなくさみしい気がするな。
護衛らしいことも出来ず、逆に助けられるなど今思い返しても恥ずかしいこともあったが…。
道が平坦になりそろそろ村に着くころ、彼は小さく言った。
「楽しかったよ、リュカ」
自分はどんな顔をしていたのかわからないが、別れに対する悲しみではなく、とても大人びたその顔だけは印象的だった。
そうだな。自分も、一人だったらミネアの死を受け入れられずに、今頃まだ小屋に閉じこもっていたことだろう。
偶然の出会いだったが、自分もヴィルには感謝したい。
「ヴィル」
また振り返る。自分も笑顔を向けた。
「自分も、ヴィルが居てくれて本当によかった。
護衛を頼まれているのに、こんなことを言うのは何だが、楽しかった……」
目を丸くしたヴィルは何も言わずに前を向いた。
耳が赤くなっているのに気づいてしまった。
「……それは、よかった」
ヴィルは小さく一言だけを返した。
ちょうどヴィルの立派な馬と再会し、村から更に下山する途中だった。
茂みを走る蹄の音が聞こえ、こちらに向かってくるような気配を感じた。
獣ではない。人であるにも関わらず、ヴィルは警戒したように自分の手を引っ張った。
「痛い!」
あまりにも強引だったので驚いた。
「すみません!少し事情があって…!」
「何の事情なんだ」
走りながら聞くと、ヴィルは難しい顔で爆弾発言をした。
「…ええと、実は私。色々と、追われてる身なんです」
は?
追われるといえば犯罪者くらいしかない。
それで国境の偵察?
考えられるのはブラックなことしか思いつかないではないか。
もしかして、自分はその犯罪に手を貸そうとしていた?目を細めるとヴィルは首を横に振った。
「いや、あの、いかがわしくはない!」
いかがわしくないと断言する方がいかがわしいだろう!
けれど、この甘い顔で、剣術も得意ではないのに自分の身を呈して守ってくれた。
あのことは多分忘れないし、ヴィルは多分悪いことは出来ないタイプの人間だと分かっている。
後ろを振り返ると、一体だけだったが、明らかにこちらを向いて飛ばしてきている。
このままでは確実に追いつかれる。
「あれも追手か?」
仕方ない。
自分はその場で止まって、長剣を抜いた。
ヴィルは駆けてくる者を見て、少し動揺した声をあげた。
「あ。ちょ!」
「自分は護衛だ。お前を護る」
迫ってくるのは兵士ではない。貴族のようないでたち。
だが、違う。
剣は二本差して、その内の一本を引き抜いた。
焦ったように、突然ヴィルは自分の前に飛び出して両手を挙げた。
「おい!」
騎士もそれには焦った様子で手綱を思い切り引いた。
「ヴィ…」
「今から帰ります!!」
「え?」
突然ヴィルは思いっきり騎士に向けてそう宣言した。
追われている……のではないのか??
騎士は片眼鏡でいかにもインテリな雰囲気で、ヴィルの発言で何も言えない様子だった。
小声で一応確認する。
「追手ではないのか?」
「追手ではありますが、味方です…」
味方の追手と敵の追手がいるのか??どういう状態なのか。
とりあえず味方とのことなので剣を収めた。
騎士は馬から颯爽と降りて、ヴィルの元に驚くほど優雅に跪いた。
……貴族が頭を垂れるところを初めて見た。
ええと、ヴィルは本当に、何者なんだ??
「とても、心配致しました…。国中が…」
「わかった」
ヴィルは強く言い切った。
今何か、この騎士の発言を封じたようにも思えたが、この彼がはぐれたと言っていた護衛なのだろうか。
どちらかというと自分よりも余程優秀に思えるが。
「かの…、いや、彼が私を護ってくれたのだ。誘拐された訳ではないから変に勘ぐるな」
今までよりもヴィルは硬い雰囲気でこの騎士に接しているが、跪いている男は必要以上に緊張感をもって一定の距離を保っているように見える。
ヴィルがこの男にとって、ひどく特別な存在かのように。
やはり相当なお金持ちの主人といったところなのか。
騎士はこちらに目を向けてから、さらに深く頭を垂れた。
「国の宝をお守りくださり…」
「大げさすぎるでしょう!リー・バーリーグレン。少し黙っていてくれないか」
「こ、これは申し訳ございません」
リーと呼ばれた男は恐縮したように一層頭を下げた。
「リュカ、私を護ってくれてありがとう」
視界の端で、跪いたままの男がピクッと反応したように思えたが、頭をあげることはなかった。
細くて長い指が、自分の握手を求める。
女性にする挨拶ではないものだったので、自分は笑顔で応えた。
「いや、あまりお役に立てなかったが」
「そんなことはありませんよ。本当に、あなたが居てよかった」
そして、突然グッと力が加わり、引き寄せられたが声が出なかった。
耳元で、リーに聞こえない優しく低い声でヴィルつぶやく。
「忘れないでくださいね。またお会いましょう」
そして、ヴィルは馬に跨り騎士と一緒に帰って行った。




