第073話 あなたが助かるなら * 国境付近〈リュカ〉
リュカ目線。
……ヴィル。
何故、戻ってきたんだ。
絶望が広がった。
もうこの視界では、お前を助けることが出来ない。
今、自分ですら、自分を守る方法すら見つからないのに。
歯を食いしばって、『逃げてくれ』と叫ぶ前に、ヴィルの声が届いた。
「そのまま前に走れ!!」
え?
前に、走る?自分が?
目の霞は全く取れない。
「早く!走れ!!」
とりあえず、その叫びに従った。
方法がないのなら、信じるしかない。
そのまま訳も分からず前方に走った。
すると、弓のしなる音が聞こえ、獣が悲鳴を上げた。
今、どうなっている?
慌ててその場に留まり身を硬くすると、誰かが、自分の腕を力強くぐいっと前に引いて、横を通り過ぎたように感じた。
引かれた力で前方に倒れこんだが、そのすれ違いざまに小声が聞こえように思った。
「大丈夫」と。
ヴィル?!
そして、耳を劈くような大声と、何かがなぎ倒される音がして、背中に汗が伝った。
大きなうめき声が森中を駆け巡る。
「ヴィル!!」
自分はうめき声の方角を目を凝らした。
見えない!何も見えない!!
拭っても、視界に霞がかかる。
「ヴィル!返事をしてくれ!!」
心臓がドクドクとなり続けている。
まさか、ヴィルが……!
涙があふれてくる。
「ヴィル!!!」
渾身の声で呼びかけた。
すると、ふわっと首に手を回された。
「……リュカ……」
ヴィルだ。まわされた腕を逆に握り返す。
「怪我はしてないな!??大丈夫だろうな!??」
腕が更に苦しいほどにしまる。
え?もしや、やられたのか??
「おい!大丈夫か!!しっかりしろ!!」
体重が重くのしかかってきたため更に心配になって必死に問いかけると、ヴィルは怒ったように大声を出した。
「それはこっちのセリフだ!!」
「!」
一体どんな顔をしているのかわからないが、あの美しい顔からは想像できないくらいの気迫で取り乱す様子に驚き、言葉も返せなかった。
「………。」
ヴィルの片手が自分の後頭部を鷲掴みにして、乱暴に彼の肩に顔を押し付けられた。
「……本当に、心臓が、止まるかと、思った…」
ヴィルの体からは荒い息遣いだけが聞こえ、自分はその体制で得も言えぬほど緊張した。
優しく湿らせた布で目を拭いてくれた。
ようやく周りがぼんやり見えるようになって落ち着きを取り戻せた。
少し離れた場所で動かない獣は、既に事切れていることを示していた。
「すまないな、護衛の自分が足で纏いになってるなんて…全く、立つ瀬がない」
「自虐的にならないでください。あなたの判断がなければ二人とも間違いなく死んでいましたし、あなたの渾身の一撃は致命傷だったみたいです」
「よしてくれ。……こんなヘマをするなど、気持ちがたるんでいるせいだ…」
段々はっきりするヴィルの顔に、安堵感を覚える。
だが、苦悩に歪んだ表情をしている。
「私が、もっと強ければ、逃げずに…あなたに怖い思いをさせずに護ってあげられた…」
泣きそうな顔をするな。それは自分の役割だと言おうとしたが、それを口にする前にもう一度深く抱きしめられた。
「…リュカ…リュカ……」
子供のように名前を呼ぶ。
何か変な感じだな。とりあえず彼の背中をポンポンと撫でると小さくつぶやいた。
「……リュカが、無事で、よかった」
離れて見えた顔が辛そうだった。
「そうだな。まさか助けられるとは思ってなかった。ありがとう」
「礼など不要です。無力さをどれ程嘆いたか……あなたにはわからないでしょう」
少し目線を逸らして深くため息交じりに言った。
「あなたが助かるなら死んでもいいと思った。これは、本当です」
真剣な表情で言う彼に、返す言葉が見当たらなかった。
村が賊に襲われたあの日。
確か、ジョイにも同じようなことを言われたことを思い出した。
全てが終わった時。ジョイ自身が無力を恥じながら。
その時返した言葉と同じ言葉をヴィルにも言った。
「……簡単に命を投げ出そうとするな。命は自分のために使え」
確かそう言った後、ジョイには若干反抗されたように記憶しているが、目の前のヴィルは、神妙な顔つきで目を伏せ、暫くの沈黙の後、独り言のように答えた。
「そうですね。簡単に命を投げ出したりはしない。私は、立場上投げ出すことは出来ない。
…でも、許されるなら最期にそんな我儘が突き通せたら、と」
顔を上げた彼の目が、少し潤んでいるように見え、その美しさに心が奪われた。
男性に対してここまで見惚れることなどなかったが、胸がギュッと鷲掴みにされた。
「…さて、高台に向かいますか」
ヴィルはすくっと立ち上がった。
自分と同じくらいの身長の、少し華奢に思えた彼の後ろ姿は、先ほどまでとは違う大きさに感じながら、自分は彼の後ろを追った。




