第072話 護衛と言うより * 国境付近〈リュカ〉
リュカ目線。
木に縄をかけて先に登る。ヴィルの手を引きながら斜面にしがみつく。
「前だけを見ろ」
足を滑らせればどこまでも落ちていきそうなくらいの急斜面。
ヴィルを配慮してそう声をかけたが、「大丈夫ですよ」とうっすらと笑いを浮かべた。
華奢に感じていたが意外と力があるようで、極力自身の力で登って行く。
確かに女性ではないのだが、こちらが意気込んでいたほど護衛という感覚はない。
途中で挫折するのではないかと予想していたのだが、時折「この花、綺麗ですね」などと景色を見る余裕までみせているのだ。
一見どこかの坊ちゃんかと思っていたのだが、もしかして違うのかもしれない。
切り立った崖を登り終えて、一段上がった平地が広がる。
人が分け入る場所ではないため伸び放題の雑草をかき分けながら先を進める。
もうしばらくすると木々が茂る林につくと雑草の背丈も低くなるのでそこで一旦食事にしようと提案した。
鞄を下ろすとすぐに彼は弓を携えて「私はこちらへ向かいます」とスタスタ歩いて行った。
「わかった…」
獣の調達は全てこちらでやる気でいたのだが、結局彼も数羽の鳥を携えて戻ってきた。
捌くために手を出すと、目を丸くして首をかしげた。
「貸せ。捌いてやる」と説明をすると苦笑して、「私にもこれくらいのお手伝いは出来ますよ」とやんわりと断られた。
「…そうか」
意外だ。
手際よく羽を毟り、刃を入れる場所も的確。器用にばらすその様は手慣れたものだった。
「………。」
とりあえず、自分は自分で調達してきたものを無言で調理した。
正直、これは護衛と言うより、二人旅ではないのか?
薪を拾っている間に、ヴィルは既に火を起こしていた。
何もできないボンクラが多そうなあの学校の男よりも、ヴィルはよく気がつくし、ある程度自分でこなそうとする。
人に頼ろうとしないところに好感が持てたし、意外と何をするにも手際がいい。
見た目だけで人は判断できないものだと感心していたが、はたと気づく。
彼は、自分を雇っている気がないのか、と。
「先程から考え事ですか?」
あらかた食べ終えたころ、ヴィルに声を掛けられた。
「いや、あまり雇われている気がしないのでな。居ても居なくても一緒ではないかと思っていたのだ。
意外と何でもこなすので驚いた」
最後の肉の一欠けを口にいれた。
段取りよく済むのは、有難いことだが、これは報酬をもらうどころか、自分にとってもいい気分転換になっている。
うん。自分にとっては、有難いことなのだが…。
するとヴィルは三角座りで膝に頬を乗せた格好で照れたように返す。
「あなたにそう言ってもらえるのは、とてもうれしい。
実をいうと、先日までは何も出来なかったんですが、色々と教えてもらって出来るようになったんです。
それが、あなたに出会う前で本当によかった」
キラキラと笑う。彼の笑顔は眩しいと感じるくらい美しい。
出来るようになるにはどんな理由があったのだろう。
はぐれた護衛が主人に狩りを教えたというのか。
ヴィルが単にもの好きなのか、はたまた変わった護衛なのか…。
「リュカ」
「なんだ?」
顔をあげると彼はその体制のままじっと自分を見つめていた。
「居てほしいから雇ったんです」
「な…!」
どこを触れることも、近づくこともない。
ヴィルはずっと距離感を保ち、約束を守ってくれている。
けれどこの熱い視線は、あの時の黒い男を思い起こさせる。
変な鼓動を感じるくらい、甘い瞳は自分だけを見ている。
「リュカ」
しっとりと耳に撫でるその声に、過剰に反応してしまっている自分がいる。
勝ち負けではないが、負けてしまいそうに思うのは何故だ。
負けると緊張してここから動けなくなりそうだ。
この甘い空気から逃れたい、そう思った時だった。
風にのって何か生き物がうごめく音がした。
咄嗟に気持ちが切り替わる。一周見回して、耳を澄ます。
人、ではない。喉を鳴らす音、これは恐らく大物だ。
「どうかしましたか?」
「シッ……!」
踏み込む音に巨体の重さを感じる。
ただならぬ様子を察したのか、ヴィルも神妙な顔つきで息をひそめた。
そして、ゆらりと木の影から現れたのは、大きさは櫓くらいの肉食獣。
鋭い角に木の幹でも噛み砕く強靭な歯。
最悪だ。
あまり出会いたくなかった種だ。恐らくこの山で最強の部類に入る。
立ち上がり、咄嗟にヴィルを獣から隠すような位置に移動し腰の剣をひき抜くと、地鳴りのような低い鳴き声で威嚇してきた。
口からは大量の唾液をあふれ出している。
「あ…あれは…」
ヴィルが後ろで震えているのがわかる。
当たり前だろう。これほど大きい獣はそうそういない。
自分自身も今まで一度しか出くわしたことがない。
気を引き締めなければ、確実に丸呑みされる。
「名前は知らんが肉食獣だ」
胸を落ち着かせて剣を構える。
ようやく護衛として力が発揮できるが、相手が悪いな。
咄嗟に判断して後ろに向けて言った。
「ヴィル、引き付けるから先に行ってくれ。獣と逆方向に走るんだ。わかるな?」
「戦う必要なんてないでしょう!今すぐ二人で逃げましょう」
「自分は護衛だ。お前を生かして帰す義務がある」
勝算があるかというと話は別だが。
「だからと言ってあれに勝てると…」
慌てる後ろのヴィルを睨み、叱りつけた。
「黙れ!山を知らぬのに口を出すな。
あの獣は執拗に付け狙う。今殺しておかないと狙われ続けるのだ。さぁ、早く行け」
ヴィルはまだ行こうとしない。
庇いながらなど、何の戦略も立てれない。
グルルと獣の喉元が鳴る音がする。暫くすると仕掛けてくる合図だ。
「早くしろ!二人とも死ぬわけにはいかんだろう!!」
焦りながらそう言った時、思った通り、獣は狙い定めたかのようにこちらに向かって地面を蹴った。
「頼むから!」
そう言うと、ヴィルはようやく駆けだしてくれたようだ。背中から気配が消えた。
こちらに気を逸らすため、逆に自分は、獣のいる方向へ走り出した。
こいつの弱点は腹。腹以外は分厚い皮につつまれており、剣が折れる始末だ。
狙いを定めるように自分は強靭な前足を交わしてすり抜け、逃げ続ける。
踏まれては最期。そしてこの突進に前方からあてられると即死だ。
重量級の前足を踏み下ろす風圧を近くに感じると、若干血の気が引く思いがした。
ヴィルは遠くまで逃げれたか?
攪乱するように走りぬけても、なお追い続けるしぶとい獣。
走りながら振り向きざまに毒を縫った矢じりを太ももから取り出した。
余程お腹を空かせているのか、獣も必死だ。
体を揺らして突進してくる、血を沸騰させるような昂揚感。
絶対、殺す!
すぐ後ろで、覆いかぶさるように両前足を高く上げ、大きな影が自分を隠した。
逃げるように背を向けていたが、いまだと判断してくるっと体を回転させ、逆に獣の方に向き合った。
矢じりを両手に構え、奴の腹を目がけて突き刺した。
「ギャアアアアア!!!」
森に響き渡る野獣のうめき声。
腹から出る大量の体液があふれ出し、
「……うっ……!」
それが運悪く両目にまともに入った。
とりあえず一時的にそこから引いて体制を立て直そうと思ったが、目が見えないため気配を伺う他ない。
尚も暴れ続ける野獣の様子をすぐそばで感じる。
深く、入っていない?!
致命傷にはなっていないということか?!
何度拭っても目に入った異物で周りが霞んで状況が掴めない。……マズイな。
どうすればいい。闇雲に逃げてもおそらく捕えられる。
……あ。
今、直ぐ近くで暴れる野獣の角が一瞬掠めた気配がして、背筋が寒くなった。
足がすくむ。
もしかして、本当に危ないかもしれない。
八方塞がりな状況で、心音だけが早く刻む。
冷静になれよ、リュカ。自分を落ち着けさせる方法すら見つからなかった。
その時、声がした。
「リュカ!!」
……ヴィル?
逃がしたはずの、ヴィルの声だった。




