第069話 青い指輪 * 国境付近〈リュカ〉
リュカ目線。
温かい腕の中で目覚めた。
自分を大事そうに抱く男は、木に凭れながらずっと髪を撫でていたようだ。壊れ物を扱うような手の感触が、心地よく頭の上を滑らせ続けていたことは無意識の中で感じとっていた。
上の方から吐息と共に、穏やかで甘い声がかかった。
「起きましたか?」
見上げてハタっと目が合うと冷静さを取り戻し、段々と恥ずかしくなってきた。
今日は本当にどうにかしている。子供にみたいに誰かに甘えてばかりだ。
かつてロクシアが去った時、ミネアにそうしてもらったように、自分はまだ人に依存しようとしている。
…まるで進歩がないな。
それなのに、泣くという行為はひどく体力を消耗するのか、疲れが一向に抜けていない気がする。
目を擦りながら男と距離をとるために胸を押すと、一瞬躊躇ったように体を硬くしたがすぐに離してくれた。
「…すまない…胸を借りて」
「いえ。でも、まだ夜は明けませんから、もうしばらく寝てはどうですか?まだ疲れてそうな顔をしてますよ」
腕を開き、キラキラと優しい笑顔を向ける。キラキラという表現がしっくりくる顔つきだ。これだけの至近距離ではうるさく感じるほどに。
見た目は女性的で、レイのようにツンとしてお高く留まった美女のようなものではない。人当りよく、女が好みそうな美しい男だと言える。
服装はその辺の露店で売られていそうなものだが、物腰が柔らかく素直で裏表がなさそうなところに育ちの良さを感じる。
どことなく動きや発言に品があるところが、ユスランか、あの海辺の街で出会った黒い服の男を思わせた。
視線を逸らして返答した。
「いや、十分だ…ありがとう」
この闇の深さを見遣ると、それほど時間は経ってないのだろう。その割には幾らか体はマシになっているようだし、
不覚にもあの体制で落ちるとは、自分も相当…参っていたようだ。
逆に男はがっかりしたような顔つきで「そうですか、残念です」と微笑した。
残念…。その言葉に引っ掛かりを覚えた時、無意識なのか男は「ずっと抱きしめていたかったんですけど」と続けた。
「………。」
自分が女とわかると、こういう態度を取る男が多いように感じる。男とは常に女には軽口をたたくものなのか。
それでロクシアは『女であることを悟られるな』=つまり『面倒だから』という意味だったのか。今となってはわからないが確かに面倒だな。
全く印象は違うが、懐かしく思い出すあの堂々とした黒い男もこういう言い方をよくしていた。
目の前の男はどちらかというと緊張させない雰囲気を持っているところは違うが。
話を流せるというのだろうか。キラキラした笑顔を向けられると居心地が悪い空間にならないことだけは救いだな。
不自然な体制で寝ていた関節を伸ばすようにして立ち上がり、手を伸ばすと、ここは風通しがいいからか、干した服ももう半分以上乾いているようだった。
自分のせいで上半身肌着だけの男が不憫だったため、借りた服を返して、若干ひんやりしたがもう一度ミネアが作った服を着た。
「本当にあなたは美しいですね」と仰ぎ見るようにして言ったので、「お前の方が美しいと思うが?」と返すと、嫌悪感を示すように眉を寄せて「それは男に対しては褒め言葉になりませんよ」と返した。
すると、男は前に垂れ下がった艶やかな長い黒髪を肩付近で払い、立ち上がって手を差し出した。握手を求めてきたのだ。
猛者の集まりである学校の連中より小柄に見えたので、意外だったが、彼も少し見上げる程度に身長は高かった。
「私はヴィル…と言います。あなたは?」
「リュカだ」
手を取ると、優しく片方の手も上からかぶせるように添えて、彼は長い睫を伏せて熱を込め復唱した。
「…リュカ…」
暫く手を放そうとしない。
名前を呼ばれるだけで緊張することなどないが、彼の言葉は特別な艶やかさがあったため多少落ち着かない気分になった。
「リュカ、って言うんだね」
この時男を初めて認識した。
見るからに位が高いと感じたのは、男だと言うのに、肌のきめもそうだし隙がないくらい美しいからかもしれない。
女性でもここまで手入れをしている者は少ないだろう。
日焼けとは程遠い白い肌に、一つに束ねた真っ直ぐで長い黒髪がメイリンを思い起こさせたが、瞳は淡い栗色で顔立ちは甘く優しいものだった。
少し目尻が下がっているから男性なのに優しく妖艶に見えるのか。いや、細く優美に伸びる眉か、形のいい唇か。
どのパーツも男性的なものではない。若干華奢な印象の体つきもそう見せているのだろう。
重い物をもったことがなさそうな綺麗で長い指が熱を帯びているように感じて、すぐさま自分から手を引いた。
「ヴィル。忠告がある」
「なんですか?」
クッと顎を突き出して、ハッキリした物言いが伝わるように言った。
「一つ、自分を『男』として扱うように。二つ、あまり私に近づき過ぎぬこと。
これを守れないというのなら、今すぐここから去る」
自分のことを女性と知られた男には何かと自分は流されやすく、依存しやすい体質だと言うことを知った。
それに、自分は曲がりなりにも士官学校で上位の成績を修めている。一応男としても遜色ない実力を有していると言えるだろう。
なのに、なよなよとして女扱いされていては、自分に対して示しがつかないのだ。
「??」
言っている意味がわからないと言った風に目を見開いたヴィルはパチパチと何度か瞬きしてみせた。
「自分は今、『男』として生きているのだ。女という性別を捨てている。
今日は理由があって、とある大切な者の弔いのため、このような女の恰好をしている。
つまり、これは仮の姿なのだ」
「仮の…姿…?」
「さぁ今決めろ。『女』として自分を扱うならここでお別れだ。
『男』として自分を扱うなら、これも縁。少しの間だけ、はぐれた護衛を探してやってもいい」
放置して帰っても、この軟弱そうな男だけではすぐに賊か獣にやられて死んでしまうだろうと思ったからだ。
すると、ヴィルは何かを考えるようにじっと見つめてから軽く首を横ひねった。
「いえ、護衛は探さなくてもいいんです」
「そうか、ならここで…」
「いいえ」
離れようとしたが腕を軽く掴まれた。
「逆に、あなたにお願いがあります」
「?」
「縁を感じていると言うなら。
あなたに、私の護衛をして頂きたいのです。少しの間だけで構いません」
彼は突然、目の前で優雅に跪いた。ふわっと艶のいい黒髪が舞った。
社交場でよく見たように、男が女にするようなしぐさで、姿勢よくすっとその場に片膝を立てて座る。
何の真似だ。
これを見たものは誰も護衛を頼んでいるとは思えないだろう。
私の指をつまむように持ち上げて軽く添え、無意識か形の整った唇に近づけようとしたので、慌てて言った。
「お、おい!なに、している」
すると、自分の片手越しに上目使いで見つめられる。逸らせないような甘い瞳。
「私はこのように、剣も狩の才もありませんが、訳あって国境の状況を見てまわる必要があるのです」
引っ張ったが手を放すことができなかった。意外と力が強いのか。
「手を…」
「お願いです」
一層手を握る力がこもる。
「…手を、離せと言っているだろう」
「離しません。報酬は宝石しか持っていませんのでそれでお願いします。後、言われたとおり『男』として扱えるかは…努力します」
何か色々と早口で言い切ったものの、この体制がもうすでに男扱いではないだろう。
それに、先ほど近づきすぎるなと言ったはずだ。
「もう少しだけでいい。お願いです」
そんなに懇願されるとは思っていなかった。
恐らくこんな表情の男を放っておく人間は誰一人としていないだろう。
彼は、眩しいくらい美しすぎる。それに、恐らく簡単に人を懐柔できる素質をもっているだろう。
……人の扱いを知っているということなのだろうか。全く狡猾そうには見えないので、無自覚なのか?
「まさか女性に、護衛など頼む者はいますか?私はあなただからお願いしているのです。
それでもお受け頂けませんか?」
ふと思い出した海辺の街で会った黒い男も強く傾ける熱を感じたが、あの男よりも切実に訴えている気がして、少し冷静になってその瞳を見つめた。
そうだ、変な理由ではない。ただの護衛なのだ。護衛として自分を雇おうとしているのだ。
「リュカ、あなたと一緒にいたい」
おい。どういうことだ。矛盾しているだろう。
「…そんな目的のために付き合えるか。自分もそんなに暇ではない」
「そうですね。よくわかっています。
それに私も、本当の目的を見失ってしまいそうだった。けれど、こうしてはいられないんです」
独り言のように言った彼の言葉の意味の半分以上は理解できなかったが、凛々しい顔でヴィルは見つめ返した。
覚悟を決めたような顔だった。
「お願いです。リュカ。命をかけてこの地まで来た私に、もう少しだけ力を貸してほしい。
あなたは私よりも強い。あなたにしか頼めない…だからもう少しだけ一緒に居させていただけませんか」
……何なのだ。護衛を頼んでいるのか。どうなんだ。それにしては一緒にいたいなどと変な風に言う。
「あなたにとって私は何もできないただの格好の悪い男。
けれどあなたは美しく、気高く、そして強い。
今あなたに一緒にいてほしいと頼んでも並んで立つことさえ許されないことはわかっています」
そういえば、もう遠い過去に思えるが、高級そうな黒い男に対して心ひそかに自分も同じようなことを思った気がする。
隣に立つことさえ憚られると。
そして、自分はその場所が居場所ではないと、国へ連れて帰りたいと言った男に断りを入れた。
逆に、自分は今しがた『一緒にいたい』と目の前の彼に言われて、すんなり『暇ではない』と断りを入れたことを思い出し、若干発言に訂正を加えた。
「そういう意味で言った訳ではない…」
自分を女扱いして一緒に居たいなどと言うからだ。
「否定しないでください。わかっている。
私は、だからこのままではいけない。だから今は目的を全うするために最善を尽くそうと思っているのです」
言っている話の脈略が所々繋がらず、はっきり言ってよくわからないが、彼はとにかく真剣だった。
「そのための手段として、今はあなたの力が必要なのです」
「……要するに、護衛が必要だと、お前は言っているのだな?」
「はい」
ようやく、ニッコリと笑う無駄に眩しい笑顔にため息をついた。
自分の頭の回転が悪いのか、彼の言い回しがわかりづらい。以前にもこんなことがあったか…。
するとヴィルは首に下げたネックレスを服の中から引き出して、無造作にそれを千切った。
「何をしている」
切れたチェーンを胸元から引き出すと大きな指輪が通されていたようだ。
今まで見たことのない大ぶりの青い宝石を中央に配置し、小さな宝石で周りに無数に散りばめられた、見るからに豪華で歴史の感じる古い指輪がゴロリと現れた。
強引に自分の手を取り、それを掴ませるように載せるとずっしりと重みを感じた。
え?なんだ?
「あなたの瞳の色と同じ色の指輪。これがあなたへの報酬です」
何と言っていいのか、これは素人目にもわかる大変高価なものだろう。
何故これ程の代物をこの男が持っているのかはわからないが、それを護衛の対価として差し出すなんて……受け取れるはずがないだろう。
「護衛など…こんな対価に見合うような働きではない…。それに…」
「例えこれが国宝だったとしても、私にとってはこれ以上の価値がある。不要ならば売ればいい。簡単な話です」
「いや、自分が言いたいのは、報酬が欲しくて申し出た訳ではない…と言っているのだ」
「いいえ。この期に及んでタダで護衛を、など口が裂けても申せません。それでなくても私にとってあなたは命の恩人。
その他に私から差し出せるのは暑苦しい程のこの思いですが、今のあなたには受け取ってはもらえないでしょう?
今、渡せるものはこれくらいしかありませんのでどうか納めてください。
ええと……もしかして、私は、物さえ受け取っていただく価値もない、ということでしょうか?」
この男は、意外と駆け引き上手だ。細められた目がキラキラと光る。有無を言わせない表情だ。
貸しはつくるものではないとのロクシアの言葉を考えたが、変な根気に負けて「……わかった、出来る限り頑張ろう…」と言うと、ヴィルは甘い顔を引き締めてよく分からない独り言をつぶやいた。
「私も指輪の価値に足るような男になれるように頑張りますから」
彼の『目的』とやらはわからない。ただ、これほどの報酬を頂くのだ。それなりに貢献しなくては。
女と知って護衛を雇おうとするなど、彼も相当変わり者だ。
だが、性別でなく自分の実力で判断してくれたということに多少の満足感があったのは否めない。
「あと暫くよろしくお願いします、リュカ」
本当にヴィルは美しい笑顔で笑う。青白い顔も睡眠をとって食事をすると若干戻ったようだ。
「こちらこそ。よろしく頼む。……さぁ、とりあえず自分の小屋に向かって支度をしよう。夜が明ける前には出立したい。それまでに地図で経路の確認をしようか」
「はい」
そして、急遽、旅人のヴィルと国境付近の旅へ出かけることとなった。
指輪で強引に買収されてしまいました。
旅に続きます。




