第067話 待望の晩餐 * 国境付近〈ヴィクトル〉
ヴィクトル目線。
「……フィリア…様…?」
何の冗談か。
目の前の女性は、私の母上、フィリア様に瓜二つだったのだ。
ぽかんとした顔で私を見ている。
「誰だそれは。まだ寝ぼけているのか」
声は母上のそれより低く、落ち着いている。
当然の話だ。似ているだけで別人というのは見た目からもわかること。
彼女の肌は健康的な褐色で、髪は漆黒。一方、母上の肌は白く、金髪だった。
ただ、一つだけ。私が好きだった瞳の色は、全く同じ。晴天の空の色。
その顔立ちはどう見ても私にはフィリア様にしか見えない。
いや、フィリア様を少し幼くしたようだ。
「おい。人の顔をじっと見るな」
フィリア様はこういう顔をされることはなかったが、キッと鋭い視線で睨んで私の向かいに座った。
「申し訳、ありませ…」
謝罪の途中で、盛大に私のお腹が鳴った。
「………。」
恐らくこの匂いにやられたのだろう。
一瞬、沈黙が走ったが、お腹の音に反応してフィリア様に似た女性は楽しそうに声をあげて笑った。
「……ククッ!ア、ハハハ…!」
自分のお腹の音が鳴り爆笑されているこの状況に、普通であれば真っ先に恥ずかしさに打ちひしがれていたことだろう。
けれど、今の私はどこかおかしいようだ。
爆笑する彼女の無邪気さに、ただひたすら心奪われた。
呆気にとられたというよりも、輝いて見えたのだ。
母上であればこんな大口を開けた笑い方はしない。
楽しげで、笑いを誘うような表情。
細められた瞳に瞬く光と長い睫。通る鼻筋。薄く品のいい唇。
ずっと見ていたくなるような輝きに満ちていた。
「…ハハ!…ちょっと待て」
彼女は背筋よく立ち上がり、薪に向かった。
燃やされた大きな塊を取り出して、葉っぱなのかの燃えカスを広げると、内側からよく焼けた肉や果実が現れた。
肉だけでない香草だろうか、熟した果実の甘い香りも相まって食欲をそそる匂いが充満する。
香しい香り。こんな贅沢な料理を見たのは、いつぶりだろう……。
「食べてなかったのだろ?」
彼女は手早く、私の荷物の中から塩を取り出して「少し物色させてもらった。拝借する」と言いながら味を調えると、すぐに湖の方へ向かい私の持っていた短剣と大きな葉っぱを幾つか、水筒などを両手に持ってきた。
目の前で手際よく肉を切り分け葉っぱに乗せ、熱を加えてとろけた果実と、さっき上から落ちてきた木の実などを盛ってから水筒と一緒に手渡してきた。
「毒は入っていない。ホラ。熱いから気をつけろ」
女性が使う丁寧な言葉ではないが温かみがある。
甲高いような女性の声ではない、少し低めに感じるが、聞いていたくなるような穏やかで透き通る声。
「ありがとう…ございます」
一口まず肉を頬張ると、えも言えぬ感情が湧き上がってきた。
どちらかというと食が細い方だったが、美味しすぎて止まらない。
暴走したかのように食べ続けた。
「見かけによらずいい食べっぷりだな。見ていて気持ちがいい」
ハッとして彼女を見ると、木に凭れ薪をくべながら水を飲んでいた。
「……あ、あなたは食べないのですか?」
「うん。あまり食欲がない。見ているだけで満足だ」
うっすらと笑いかけるこの表情は、フィリア様そっくりだった。
私は手を止めて、彼女に向き合おうとした時、「いや、変な物を入れている訳ではない。毒見もした」と勘違いしたように言った。
「疑ってませんよ。…元気、ないみたいですから」
「そうでもない」
「でしたら、一緒に食べてもらえませんか。料理を作らせるだけ作らせたみたいで、私も気がひける」
「………。」
彼女は意外と素直に隣に座って、端っこの方の肉を少しだけ切り分け木の実を乗せて口に入れた。
「…うん。なかなかいけるな」
綻びる表情に私も嬉しくなった。
「なかなかというか、こんなにおいしい料理は生まれて初めてです」
「それは言い過ぎだろう」
あっという間に、料理はなくなった。というか殆ど私が食べた。
ずっとお腹が空いていたからか、お世辞ではなく今まで食べたどの料理よりも美味しく感じた。
満足感が体を満たして、疲労も飛んでいきそうだった。
久しぶりに落ち着いた夜だ。
ええと、そういえば。冷静に、状況を今ようやく考えることが出来た。
この隣にいる彼女は、一体何者なのだ。
ただ料理を振る舞ってくれ、それを疑いもなく頂戴したが、彼女の記憶が一切ないことにようやく気が付いた。
垣根を感じさせない彼女の接し方に、初対面独特の違和感も全く感じなかったからだ。
レヴィストロースと別れた後、いつ、どうやって彼女と知り合ったのだ。
彼女を見た。
そのあたりの葉っぱや食べかすを薪にくべ、木の枝に干した服の乾き具合を確認している。無駄のない機敏な動き。
フィリア様に顔の造りは殆ど同じものの、柔らかく慈愛に満ちた笑みはなく、代わりに知性や思慮深さ、そして少なからず翳りが感じられる。
もしかすると、その翳りが一層彼女を美しくみせているのかもしれないとさえ思った。
私の周りに沢山いる侍女や宮殿のどの女性とも雰囲気が違ったし、王都で出会った居住地区の女たちとも違う。
初めは思いつきで見ただけだったが、知らぬうちに無言のまま私は彼女に釘付けになっていた。
しなやかで長い足、程よく筋肉のついた背中、美しい首筋。
少し襟足にかかる黒い髪がさらさらと風に揺れるさま。
………。
どうにかしている。私は一体、何を考えてるんだ。
その手のことには億劫で、何かと理由をつけて夜の方は断り続けた。
そのため、これほど無防備な格好の女性を見ることなど初めてだったので、今更ながら目のやり場に困った。
不躾に見るのは止そうと、心では思っているのに、また吸い寄せられるように気が付けば彼女を目で追っている。
格好だけではない。ぶっきらぼうな言葉遣いとは裏腹に、少し所作に妖艶なところがある。
大人の女性と言うにはまだ若いが、均整がとれている体つきのせいか、どこか艶やかに感じるのだ。
だが、何故彼女は、こんな下着姿の格好をしているのだ。
もしかして……?
いや、それはない…!絶対にない!
「なんだ?何か言ったか?」
突然振り返ったことに、心臓が飛び出るかと思った。
「いえ……あの」
「あぁ、覚えてないのだろ?」
「!」
顔が真っ赤になったのがわかる。いや、ないだろう絶対に。
けれど、彼女なら……無意識で、ありえ…いや私は何を考えているんだ…!
「えらい百面相だな…。打ち所が悪かったのかと心配するぞ」
「…打ち所」
「さっき食べた肉食獣にお前は追われていた。それを仕留めた直後にお前は落馬して気を失ってしまったのだ。
思い出したか?」
肉食獣?
…そうか…思い出した。
そう言えば自分の何倍もある肉食獣に追われたのだ。
闇の中、最終的に追い詰められて、獣と対峙し死を覚悟していた時だった。
突然、上から人が降ってきて、剣を貸してくれと言われて投げると、あっと言う間に荒ぶる獣を豪快に仕留めたのだ。
奇跡かと思えるような光景に、現実なのか夢なのか混濁していたのは覚えている。
まさか、この、彼女が?
「こう見えても大抵の獣には勝てる」
その言葉の内容などより、細めた艶めかしい目元に釘付けになる。
私は本当に落馬しておかしくなってしまったのだろうか。
「狩には自信があるからな」
話よりも彼女自身が気になって仕方がない。
はぁ……。
目を伏せてため息をつきながら意を決して言った。
「ええと、話しは色々とお訊きたいのですが」
俯いた状態のままでしか言えなかった。
「……今更だが、何か服を着てもらえないだろうか…」
「え?」
「……目のやり場に困る」
彼女はいっぱいに目を開き、段々と頬を赤らめたので、私は無言で上着を脱いで彼女に差し出した。
座って彼女も無言でそれに袖を通したが、あまりそうしたからといって、状況は何も変わりがなかった。
何故だか、また見てしまう。
そして彼女に触れたいとさえ思ってしまう。
頭がおかしくなったのではないかと思うほどに特別に思える。
フィリア様に似ているからか?いや、絶対それはない。
母上は美しく容姿はかなり似ているが、全くもって雰囲気も何もかもが違うのだから。
「あ、あまり見るなと言っているだろう!」
不躾に見つめすぎていたか、「すみません」と目を逸らしたが、照れる彼女が可愛いと思った。
所作が整い美しいどこかの姫でもなく、
自分よりも何倍もある肉食獣を仕留めるほどの手練れだと言うのに、『可愛い』か……。
本当に私は、一体、どうしてしまったのだろう。




