第066話 瓜二つの女性 * 国境付近〈ヴィクトル〉
ヴィクトル目線。
再び無音の世界の中に放り込まれた。
あぁ、またいつもの女が私に憎しみをぶつけ、泣き叫ぶのか。
そして彼女は何て言うんだったか。
否、彼女じゃなかったのか。
クリューエが殺しに来るのだったか。
意識が混濁している。既に抵抗する力も残っていない。恐らく誰も助けに来ない。
羽をもがれて、死の世界に繋がれるのだろう。
しばらくあきらめたように待ってみたけれど、一向に例の半狂乱の声は聞こえてこない。
今回は一人、闇の中を漂うだけだった。
誰かが泣き叫ぶ彼女を救ってくれたのだろうか。
それとも、誰かがクリューエを捕らえてくれたのだろうか。
そんなことをぼんやり考えているうちに光が目の前に射しこんできた。
いつもの苦しいだけの夢にはない展開だった。
一筋の神々しいほどの光から、舞い降りてきたのは既視感のある見事に美しい女性だった。
透けるように白い肌。大きな碧眼の瞳。光沢のある黄金の髪。
……フィリア様!
姿を認識すると同時に、私は駆けだしていた。
何故か私は背も低く、彼女を見上げるような身長だった。
その短い脚では、歯がゆい距離を縮めるのに時間がかかった。
強く願えば、叶うものなのか。
ずっと、待っていたのだ。彼女が、私を迎えに来てくれることを。
つらくても、彼女がいたら、私は何も要らなかった。
一生懸命走った。
彼女さえいれば何も怖くない。それが死の世界であろうと。
あの頃のままの母上。
私に向けて手を伸ばす。私も彼女を捕まえようと手を伸ばした。
その時。
あ……!
指先が触れるか触れないかの瞬間に、その触れようとした指先から花が散るように突然、彼女の実態が徐々に消えていく。
フィリア様……!!
行かないで!!
捕まえようと抱きしめたら、もう、風のように気配が溶けて、彼女の実態はどこにもなくなった。
元々彼女の存在などなかったかのように、そこには、ただ天から光が射すだけ。
………。
罵られることもなく、殺されることもなく、愛されることもなく。
一人だけ、無音の世界に取り残されたのだ。
その場に膝をついた。
一筋の光を辿って天を見上げたが、それはどこにもつながってそうにない。
白い光が輝いているだけだった。
ここは静かで孤独な闇の中。
あぁ、そうだったか。
愚かなことだ。今の現状を忘れていた。
既に、私は一人だった。
フィリア様はもういないし、もはや助けてくれる者などこの世に誰一人いないのだった。
このままこの誰もいない闇の中で、孤独に死を迎えるのだろう。
そうだったな。そんなことすら忘れていた。
そういや、別れたレヴィストロースはどうしているのだろう。
彼が無事ならそれでいい、か。
ん?
何もないはずのこの空間に、何やら香ばしい匂いがしてきた。
肉か。最近肉など食べていないな。
旅に出る前はあまり好まなかったが、今は久々に、味というよりもあの満足感を味わいたいな。
なるほど。
成仏させるために、死ぬ前には自分の願望が成就される仕組みになっているのか。
切望していたフィリア様にも言葉は交わせなかったがお会いすることもできたし、確かさきほどまで、ものすごくお腹が減っていたはずだ。
これがもしかして、レヴィストロースが言っていた「餓死」という死に方なのか。
あぁ。それにしても、いい匂いだ。
「お前はその辺の草でも食えばいい」
草?この期に及んで、草?
幼虫の次は、草か……。相当ひどい扱いだな。
いや、ちょっと待て、この闇の中で、誰の声がするというのだ。
「………ん」
段々と現実が戻ってきて目を開けた。
辺りは夜だった。
野宿をしていたのか。鬱蒼とした木の影が揺れ……ここはどこだったか。
熱を感じて、私はハッと横を向いた。
するとすぐそこには火がともされていた。
記憶が混濁してる。
火を起こした覚えなどないし、一体私は今まで何をしようとしていたのかさえ思い出せない。
そこまで無意識で出来るものなのか?
記憶を辿るように辺りを見回すと、近くに濡れた服が干されている。見覚えのない服だ。
それに、先程のいい匂いの出所は、隣の薪の中にある大きな葉で包まれた塊だろう。
何を燃してるのかさえ検討つかないが恐らく肉だ。
遠くで放たれた馬はその辺の草を美味しそうに食べて、のどが渇くと湖で潤しているようだ。
馬も生きていたのだな。よかった。
湖?……そういえば、ここはあの途中で通った湖か。
自分でここへ戻って来たのか?馬に乗って??
馬が私を運んできた?いや、まさかな。
空腹と体が重いのに変わりはないようだ。
起き上がろうとしたとき、手や足に違和感を感じてみると、すり潰した何かを塗られその上に葉で巻きつけられている。
なんだこれは……?
見覚えのない驚きと不気味さでそれを取ろうとした瞬間、少し遠くの方から声が聞こえた。
「折角治療したのに、取るな」
誰か…いるのか?
どこから声がするのかと不思議に思っていると、
「!」
ドサっという音とともに、すぐさま木の上から人と木の実のようなものがパラパラ落ちてきた。
「何者だ」
驚いて身を縮めるとその者はスタスタと私に近寄ってきた。
暗闇ではっきりと見えないが、私と同じくらいの身長だろうか。
露出した肌は引き締まっていて均整のとれたしなやかな手足が伸びている。
女性にしては身長が高くしっかりした印象だが、男にしては少し女性的な線にも思える。
「起きたか」
穏やかでしっかりとした安定感のある口調。
すぐに暗闇から、薪の光を浴びて、ハッキリとその顔がうかがえた。
………え?!
絶句した。
私の表情を見てか、彼女は「驚かせたか?」と訊ねたが、『驚かせた』という一言で済まされる問題ではない。
胸はグルグルと布を巻きつけ、下着のままのような格好にもそうだが、
その者の『容姿』に私は驚きを隠せなかったのだ。
思わず口から出てしまった。
「……フィリア…様…?」




