暑い。とにかく暑い。3.
「つめたぁ」
冷凍ライチの袋を開けた真鍋令子は、中から2つ取り出したワインレッドの果実を弁当箱の隅に入れた。
蓋を閉めてテーブルに置くと、自分の仕事に持っていく荷物を確認する。
サ責の篠崎から渡されていたカーキ色のツナギに一旦袖を通してみて、居間の姿見に映してみる。
なんか、ゴーストバスターズみたいやな。
部屋の角っこに置いてあるクイックルワイパーをそれとなく掴み取ると、何とは無しにそれっぽく構えてみる。
「お母さんなんしとん」
後ろを通りすがった娘の愛菜が、怪訝な目を向けてきた。
「へへ。かっこええやろ」
「ほぼやす子やん」
自衛隊出身に見えたなら、まあまあ強そうじゃないか。
「かわいくないこと言うとらんで。弁当テーブル」
「はいー」
やす子みたいな返事をしながら、彼女は素直にテーブルの弁当を手に取ると、通学カバンに突っ込んで家を出た。
夫の重幸は、仕事部屋に牛乳とトーストを持ち込んでいった。早朝会議に備えるらしい。
彼がリモートワークに切り替わってから家事の分担が見直され、昼食は自分で適当に見繕うし、洗濯もしてくれるようになった。調子が良いと夕飯も作っておいてくれる。
時間に余裕が出来た分、愛菜の弁当も前より豪華になった。Zoomの株を買ってお礼したいぐらいだ。
行ってくるわーと書斎へ向かって控えめに声をかけ、トートバッグを掴んで家を出ると、令子はスクーターにまたがって午前のケアへ向かう。
今の事業所は給料が良い。介護業界ではトップクラスじゃないだろうか。
1日8時間を週休2日として1ヶ月に22日、合わせて176時間働くと、額面で35万円。固定費用が少ない訪問介護という業態と、事業加算やその他諸々をうまいこと組み合わせているおかげだ。
社長の原口宗介は、第一印象はサーフィンをやってそうな茶髪にデニムパンツの軽薄なルックスだが、依頼がきた案件はなるべく断りたくない、そのためには人材がたくさんいなきゃいけない、だから働きやすくてしっかり稼げる事業所を作ったという、介護業界は誰もがやりたくても出来ないことをさらっと成し遂げた、なかなかのやり手だった。
もともとは神奈川で介護と何の関係もないベンチャー企業を経営していて、高校の先輩の助言があって大阪に移ってきたという。
やっぱり湘南でサーフィンしとったんとちゃうか。
介護福祉士の資格を取ったのはもう20年近く前だが、それにしても最近の変化は目まぐるしい。
それこそSF映画に出てくるような、うまいことしたらヒーローにだってなれそうな人たちが、障害年金で暮らして福祉サービスを受けるようになると聞いた時は驚いた。
同時に、もったいないなぁとも思った。警察でもスポーツ業界でも、もっと才能を伸ばせる場所がありそうなものなのに、何かあった時に誰も責任を取りたがらないから、最初から諦めて福祉の枠に押し込んでしまっている。
お国柄やなぁ、と思いながらスロットルを回す。
「おはようございますぅ、お願いしますー」
午前中に入っているケア先の長田さんは、介護保険で支援を受けている82歳の女性だ。
朝食を作り、着替えを手伝い、デイサービスの迎えが来るまで世間話をして待つ。ほとんど友達のような感覚だ。
愛菜の学校での出来事や、最近ちょっと気になっている男子の話など、色んな情報が長田さんに筒抜けである。王様の耳はロバの耳システムに使うのも、少しは自重しなければ。




