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EPILOGUE 本当の自由、教えてやるさ

 王都レーヴェンの旧市街、人が住まなくなって久しいその場所で行われた死闘のことなど、民衆が知る術はなかった。ただ、もたらされた二つの重要な知らせは、あっという間に皆の間に知れ渡った。


 ひとつは、『アジール軍を撃破』の報。ラーディナ城塞にて約一か月に及んだ戦争は、正面からアジール軍とぶつかり壊滅させたインフェルシア軍の勝利で終わった。あれだけの数をそろえたアジールも、インフェルシアの質の前に敗れたのだ。出陣した軍幹部に犠牲はなく、海軍のハルブルグから陸軍のキーファー、フロイデン、モース、エルドレッド、そしてイルフェら親衛隊の面々も無事生還を果たした。


 と同時にほんの数か月で壊滅的に叩きのめされたテオドーラ、ティグリア、アジール三国はインフェルシアから手を引いた。この辺りにはやり手である宰相の巧みな交渉が功を奏し、三国との終戦協定、並びに修好条約まで取りつけさせたのであった。戦勝国であるインフェルシアは、それ以外何も望まなかった。領地など必要ない、ただ国と国がうまく交流を持てるようにしたい。それが国の総意であったから。今はそれぞれ復興に全力を注いでいる。



 そしてもうひとつの知らせ――。


『アシュリー殿下、王位継承権返上』であった。






 彼女がそれを考えたのは、ティグリアとアジールとの戦いが始まる直前、民衆の前で演説をした時だった。


 そしてそれが決意に変わったのは、ヴァンドールに連れ去られた時だ。


 本来それは、王太子を守る役目を帯びたシュテーゲルらの失態であり、罰せられるのは臣下たちだ。いかにヴァンドールが化け物じみた強さの人間であっても、易々と城への侵入を許し、この国の王太子を拉致されてしまったのだ。しかし、アシュリーはそれを己の未熟のせいだと思っている。エルファーデン公爵に付け込む隙を与え、謀反を許した自分の甘さ。それが引き金となって起こった数々の戦争。失われたたくさんの命。自分を守るために大怪我を負ったシュテーゲルやシャル。アシュリーは、その償いと責任をとるために継承権を返上することを決めたのだ。


 勿論それを止めようとする者もいた。民衆の間でも、その声は強くあがっていた。だが、真っ先に止めるはずであるシルヴィアやレオンハルト、そしてシャルは何も言わなかったのだ。むしろ「アシュリーの意志を尊重してやってくれ」と説得する始末であった。


 それで皆も感じたのだ。幼いころから政治の道具にされ、己の生きる道を強制的に定められたアシュリーは、自由を願っているのかもしれないと。


 アシュリーは王位継承権を返上し、王家インフェルシアからの除籍も行った。その際、彼女は「最後の我が儘」と称してあることを決めた。


 王位継承権第二位のアークリッジ公爵ではなく、妹であるシルヴィアに自分の継承権を譲る、と。


 極めて異例なことで、しかも本当の意味で女性に王位継承権が与えられたのは史上初であった。こんなことが許されるのであれば王位継承権が四位のレオンハルトまで決まっていた意味がない。だが前例を捻じ曲げてでも、アシュリーはこれを押し通した。「国王は男」という慣例を打ち砕くために。貴族の間に根強く残る男尊女卑を崩し、女性の可能性を広げるために。最後の置き土産、といったところであろうか。


 アシュリーは臣下としてシルヴィアに仕えることになる。これで王城から去っては償いにはならず、責任を取る以上の無責任となるからである。いずれ女王となるシルヴィアを、支えようと決めていた。軍には戻らず、民に近い位置から国を建てなおそうと奔走することになったのだ。


 そしてそんなアシュリーを、シャルはずっと見守り、時に叱咤激励し、支えていた。



★☆



 時は流れ、季節は移ろいゆく。夏は終わり、紅葉は散り、息が白く凍り、そしてまた鮮やかな花が咲いた――。


 慣例通り、半年近く空位だった王座に、年明けすぐにシルヴィアが座ることとなった。史上初の女王の誕生をみな祝福した。勿論、アシュリーも。


 臣籍に降ったアシュリーであるが、現在は外交事を主に受け持っていた。もともとそう言った交渉の手腕には長けていたから、これには諸侯も脱帽の体であった。テオドーラとアジールとの国交はまずまず良好、特に帰国したメディオとの連携でティグリアとの交流は極めて順調であった。


 アシュリーとともにシルヴィアの補佐をしているのはレオンハルトだ。そもそも、こういった(まつりごと)を嫌って軍に在籍していた男であるが、腹を括ってしまえばその秀逸な能力を如何なく発揮した。一時はレオンハルトを王にと画策する者たちもいたが、レオンハルトが決してシルヴィアの前に出ようとしないこと、そしてシルヴィア本人の統治能力が想像以上に優秀であったことで黙ってしまっていた。


 おそらくそう遠くない未来に、レオンハルトは『女王の夫』になるのだろう――。




 さて一方、軍部はといえば。


 重傷を負ったシュテーゲルは全快したが、アシュリーの継承権返上と同時に退役を選んだ。だが軍から完全には去らず、特別顧問として名は残している。


 代わりに陸軍総帥に選ばれたのは、槍歩兵隊隊長アーデル・キーファーであった。陸軍の他部隊の隊長よりも経験があり、実力も人望もあった。総帥には代々騎士隊出身者が選ばれがちだったが、久々に歩兵隊出身の総帥が生まれたのだった。現在はシュテーゲルの指示を受けつつ、キーファーが軍の統率を執っている。


 シャルが率いていた親衛隊は「アシュリーを守る部隊」として設立させたものであったから、親衛隊も解散となった。ただ、人員は全く変わらず『ハールディン部隊』と名称が変わっただけで活動を続けている。少人数で動きやすいこともあり、復興の手伝いのためにこの半年近く、国内外をあちこち駆けまわっていた。



「あー、久々にゆっくり休みが取れましたね」


 ヴィッツが大きく腕を空に突き上げて伸びをした。アンリがその横で顎鬚を撫でつつ頷く。


「ここ最近、なかなかに激務であったからな。ここまで忙しいのは、以前からは考えられぬことだ」

「前はここで鍛錬していただけだったしなあ」


 カインも同意の声をあげた。


 王城に隣接するように建つ、陸軍本部。その騎士隊宿舎の外には屋外演習場があり、もっぱらシャルらはここで日々修行に明け暮れていた。今はその地に全員が集まり、久々に空いた時間を談笑しながら潰している。


 別に休暇ではないのだ。連日の激務が落ち着いただけで、仕事は今日もある。しかし、アジールとの国境近くで戦争の飛び火を受けた街に支援物資を届け、半壊した家屋の修復を手伝ったりと、数日間にわたって王都を留守にしていた。やっと落ち着きを見せてきたので、シャルたちは王都へ戻ってきたのだ。


 いまこの場にシャルとイルフェ、フォルケ、リヒターはいない。シャルたちは帰参の報告をシルヴィアにしにいっている。が、さすがに帰ってくるのが遅いので、おそらくそれぞれ待ち人のもとへ向かったのだろう。シャルはアシュリーのもとへ、フォルケはテューラのもとへ。他ふたりはシャル待ちか。



 と思ったら、その四人が帰ってきた。イルフェとフォルケは何やら荷物のようなものを抱えている。


「准将、早かったですね」


 ヴィッツが呼びかけると、シャルは頷いた。


「アシュリーに会いに行くのはちょっと後回しだ」

「後回し!? 准将が!?」


 居残り組であった三人の声が見事に被る。もはやシャルとアシュリーの関係はバレバレであった。


「うるせぇ、事情があんの。まずはこっちだ」


 シャルの指示で、イルフェとフォルケが大きな箱を土の上に置いた。その蓋を開けると、大量の葡萄酒の瓶が詰められていた。


「シルヴィア女王陛下からの褒美だ。最近の疲れをこれで取ってくれ!」


 おおっ、と部下たちから歓声と拍手が上がった。気前の良くて綺麗な女王様に、みな喜んでいるのだ。


 とりあえず今は真昼間なので、祝宴は夜に持ち越しとなった。と、カインがふとシャルを見やる。シャルが葡萄酒とは別に、ひとつ軽そうな荷物を持っていることに気付いた。


「准将、なんだいその荷物? どこか行くのか?」

「……ああ。行くといえば、行くな」


 その言葉に、イルフェがちらりとシャルを見やる。シャルは微笑み、しゃがんだ態勢から立ち上がった。そしてぱんぱんと手を叩き、部下たちの注目を集める。


「ひとつ話がある!」


 急な声に、驚いて部下たちが振り返る。


「あー、急な話、いや、別にそんな急でもないか。だいぶ前から決まってたんだが、そのー、時期がいいというかな、今言おうと思って……」

「なんだよ准将、歯切れ悪いぞ!」


 部下の一人が声をあげ、笑いが起こる。シャルは頭を掻き、さらっと告げた。



「俺、今日で退役する」



『……はあ!?』


 これはイルフェらしか知らなかった事実である。カインとアンリはあんぐり口を開けて、ヴィッツは涙目だ。


「う、嘘ですよね? 嘘ですよね、准将!?」

「悪い、ほんと」


 食って掛かるヴィッツの期待を無情にも一言で切り捨てる。


「復興作業も終わりが見えてきた。よくここまでやってきたよな。もうこれから俺たちは、殺すために戦わなくても良い存在になれる。お前ら、ちゃんとやれよ。守るべき奴らを傷つけでもしたら、元部隊長として成敗に行くからな」


 シャルは制服の襟についていたボタンを取ると、それをイルフェに放った。受け止めたそれは、親衛隊部隊長としてシャルがつけていた紋章であった。


「……じゃ、俺はお宝もらってとんずらするかね」


 シャルは爽やかに笑ってそう言い残すと、身を翻して軽やかに駆け出して行った。まだ事情が分からずに呆然としている面々を見やり、イルフェは苦笑する。


『頼むよ』。事前にイルフェが受け取った、シャルの言葉。



「……みんな聞いてくれ。ハールディン准将から、私が指揮を引き継いだ」


 イルフェは静かに語りながら、ボタンを制服の襟に留める。


「早速だがひとつ任務がある。祝宴前の準備運動だと思ってくれればいい――」



 リヒターが苦笑し、フォルケが肩をすくめる。その横で、イルフェが声を張った。



「アシュリー殿の身柄を狙う不埒者が王城に入り込んだ! 総員、犯人を追え!」



★☆



 季節は春になり、国内外の情勢は落ち着きを取り戻しつつあった。


 自分の執務室へ書類の束を持ち込んだアシュリーは、それを机の上に置いて溜息をつく。多忙であることは嫌いではないけれど、それでもどこかぽっかりと心に穴が開いている。


 自分を取り巻く環境はすべて変わった。変わりゆくものを引き止める力は、アシュリーにはない。シルヴィアがいて、シャルとレオンハルトがいて、シュテーゲルたちが見守ってくれている毎日。――もう、みんな遠い。自分で決めたことでも、この虚しさに耐えるのはなかなか苦だった。


 シャルは。シャルはどうしてしまうのだろう。戦地の復興のため毎日忙しく働いてくれていたけれど、もうそれも終わりが近づいてきた。『役目は終わった』と、本当に姿を消してしまったら――。


「……そんなことになったら、私」


 ぽつりと呟いたとき、部屋の扉がノックされた。応えると、現れたのはシルヴィアであった。


「女王陛下。どうなされました?」


 にっこりと微笑んで声をかけると、シルヴィアはむくれたように姉を見やる。


「そんな他人行儀な話し方はやめてくださいませ。いかに身分が変わろうと、わたくしたちが姉妹であることに変わりはないのですから。ね、お姉さま?」

「……そうね。有難う、シルヴィア」


 口調を崩したアシュリーに、シルヴィアは満足そうにうなずいた。


「実は、お姉さまに大事な話がありますの。でもその話をする前に、これをお渡ししておきます」


 シルヴィアは、持っていた袋をアシュリーに差し出した。何が何だかわからず、アシュリーは瞬きをする。


「これは……?」

「開ければ分かりますわよ。……さて、本題に入ります。単刀直入に、お姉さまの今後のことですわ」

「私の今後……」


 アシュリーは身を固くした。


「そうです。お姉さまがこれからどうしたいのか、それをお聞きしたいのです」

「どうするも何も……このまま外交官として、インフェルシアを支えていけたらそれで」

「本当に? お姉さまがしたいことって、そんなことですか?」


 シルヴィアが鋭く問い返す。


「それを選んだことで、ハールディン准将と二度と会えなくても?」

「どういう……意味?」

「准将は、先刻を以って指揮権をイルフェ・ハインリッヒ大佐に譲渡し、陸軍総帥キーファー大将が退役届を受理しました。そのままの足で、王都を出るのだそうです」


 アシュリーがさっと血の気を失った。シルヴィアは軽く腕を組み、室内に視線を彷徨わせる。


「『アシュリーはいま忙しいだろうし、変に動揺させたくない。だから黙っていくことを許してほしい』との伝言を、預かっていますわ」

「……そ、んな」

「お姉さま、仕事を貫く意志も大事です。でも、わたくしはお姉さまに幸せになってほしい。自分の幸せを潰してまで、お姉さまをこの国に縛りつけたくないのです」


 追いかけろ、というのか。シルヴィアは、アシュリーにそれを促している。その眼は真剣だった。


「でもっ……それじゃ、シルヴィアだって!」

「あら、わたくしは幸せですわよ? レオンさまが傍にいてくれますもの……大抵のことは乗り越えられます。けれど、お姉さまを見ているとどうしても幸せそうには見えない。寂しそうですわ。目の前にある幸せに、お姉さまは手を伸ばそうとしないから」


 アシュリーの頬を、一筋の汗が流れ落ちる。


「どうしますの? こうしている間に、ハールディン准将は遠くへ行ってしまいますわよ」

「……ッ! 嫌、そんなの嫌……ッ!」


 絞り出すように口から出た本音。シルヴィアが場違いなほど不敵な笑みを浮かべた瞬間、背後から声をかけられた。



「そう言うと思って、迎えに来たぜ」



 はっと振り返る。ベランダにシャルが佇んでいたのだ。思わず悲鳴があがりかけ、アシュリーは慌てて声を抑える。シルヴィアはにやにやと笑ってシャルを見やる。


「あらまあ、ここは地上五階ですわよ? ベランダ伝いに上がってくるなんて、無茶なことをしますわね」

「他に方法なんてなかったんですよ。それに、盗人は盗人らしくね」


 シャルは堂々と室内に足を踏み入れる。アシュリーは動転してしまっていて、シャルとシルヴィアを見比べている。驚くのも無理はない、退役して遠くへ行ってしまうはずのシャルはここにいて、シルヴィアはそれを見て面白そうに笑っているのだから。


「アシュリー」

「は、はい!」


 シャルはアシュリーと距離を取って立ち止まると、彼女に向かって右手を差し出した。


「俺と一緒に逃げないか」

「逃げる……?」

「ああ。そこを蹴って飛び出してこい。俺がお前に、本当の自由を教えてやる」


 アシュリーが一歩シャルへ向けて足を踏み出したとき、執務室の扉が開いた。


「なりません、アシュリー!」


 戸口に立って矢を引き絞っているのは、なんとレオンハルトである。彼は狙いをシャルに定め、獲物を狩る目つきをしていた。


「王城、しかもアシュリーの部屋へ侵入するとはなんたる暴挙! そんな男の口車に乗せられてはいけませんよ!」

「え、え!?」


 突如現れたレオンハルトと、彼の口から飛び出した言葉に、アシュリーの動揺は更に増す。その中でシルヴィアは平静で、そっとアシュリーの肩を支える。


「お姉さま、選んで。准将と行くか、それともここに残るかを」


 アシュリーの真正面で、シャルは黙って手を差し出したままだ。



 自分の幸せを追うか。それとも、一生を国のために捧げるか――。


 自由か。それとも、仮初の自由か――。



 こんなチャンスを潰せるわけがない。



「――私はっ、シャルと行きます!」


 そう宣言して、アシュリーはシャルの胸の中に飛び込んだ。抱き留めたシャルはにっこりと笑って頷く。


「よく言った!」


 そうしてシャルはレオンハルトに気安く片手をあげて見せた。


「ってなわけで、アシュリーはもらってくよ!」


 レオンハルトが矢を放つ。ふっと顔を横にずらしてそれを回避したシャルは、アシュリーを抱き上げて身を翻しながら地上へと飛び降りた。五階の建物から何の躊躇いもなく身を躍らせ、難なく中庭に着地する。


 アシュリーを下ろしてやり、シャルは先程までの演技がかった口調をやめていつも通り静かな口調に戻した。


「走れるか?」

「え、ええ……あの、何がどうなって?」

「悪いな、お姫さんもレオンも全部演技だ。真実なのは、俺が退役して王都を出るってことだけ」


 小走りに駆けだしながら、シャルが言う。


「頼まれていたんだよ、あのふたりに。戦争が終わって事が落ち着いたら、アシュリーを城から連れ出してくれってな。臣籍に降ったお前は塞ぎ込む。それはみんな分かってた」

「あ……」

「でもきっとお前は自分では何も言わない。だから俺が、お前を誘拐するんだ」


 にやりと笑う、シャルの不敵さ。アシュリーは、その笑顔が大好きで。


「それにこれは、俺自身の意思でもある。前に言っただろ、『妹たちみたいに生きたかった』って。その願い、叶えてやりたかった。お前は今、ただの『アシュリー』だ。俺もただの『シャル』。これぞ自由、なんだぜ」


 その言葉が、嬉しくて嬉しくて。



「いたぞ、追え!」


 若々しい声が響く。後方から追いかけてきたのは、イルフェたち元親衛隊の面々だった。だがみな事情を察したのか、遊んでいるのではないかと思うほど満面の笑みで、しかし足の回転だけは本気だった。


「くそっ、あいつら遊びだと思って張り切ってやがる!」


 シャルは自然と手を伸ばしてアシュリーの腕を掴み、一気に加速した。その俊足に敵う者などおらず、親衛隊の面々は次第に足を止めていく。小さくなっていくシャルの後姿目がけ、彼らは叫んだ。祝福するような笑みで、こんなことを。


『もう二度と、帰ってくるなよ――ッ!』



★☆



 城門を抜けた先の橋には、フロイデンとシュテーゲル、そしてラヴィーネがいた。フロイデンは欄干にもたれたまま、シャルの姿を見てにっこり微笑む。そして、橋の下を指差した。


 シャルはアシュリーを抱えて欄干を飛び越え、水路に飛び降りた。そこには船が用意してあり、そこに着地する。


「シャル! アシュリーさまを泣かせるなよ!」


 シュテーゲルが橋から身を乗り出して叫ぶ。シャルはにっと笑う。


「当たり前だ! じいさんは自分の老後の心配でもしとけ!」

「ふたりとも元気で!」

「怪我するんじゃないよ!」


 フロイデンとラヴィーネはにこやかに言う。別れを惜しむ言葉ではない。出発を祝う言葉であった。シャルは深く世話になった先輩ふたりに頭を下げ、櫂を取って自ら漕ぎ出す。


「あの、勢いで飛び出してきたから何も……」


 アシュリーが乱れた呼吸を整えながら訴えると、シャルは振り返って、アシュリーが大事に抱えている荷物を指差した。


「それ、開けてみろよ」


 言われるがままシルヴィアに先程渡された袋を開くと、中には衣服などが詰められていた。シルヴィアはこうなることを考え、渡してくれたのだろう。


「みんなここまでしてくれたんだ。今更戻るってのは無粋だろ」

「……はい」


 アシュリーは頷いた。と、上空からヴェルメが舞い降りてきた。アシュリーが差し出した腕に、ヴェルメは優雅にとまる。シャルが苦笑した。


「やっぱ、お前も一緒だよな」


 ヴェルメが鋭い声をあげた。それが警告の鳴き声であるというのを知っているシャルがはっとして顔をあげると、シャルの顔のすぐ横を何かが豪速で通過した。これにはさすがのシャルも驚愕してのけ反る。


「うおっ!?」

「わっ……こ、これ、レオンの矢です!」


 船の床に浅く突き刺さっているのは、確かにレオンハルトが使う矢であった。シャルは呆れたように城を見やる。だいぶ距離があり、人の姿は確認できない。


「あの野郎、どこから射かけやがった……!」


 その矢には紙が括りつけられており、それを解いたシャルは紙面に視線を落とす。そこにはレオンハルトの流暢な字が書かれていた。



『君たち二人が、幸せでありますように』



 その一文だけ、けれどむしろ短い分、万感の思いが伝わってきた。シャルは苦笑し、大きく櫂を漕ぐ。


「……なあ、アシュリー。まず最初にどこ行く? お前が行きたいところ、どこにでも連れて行くよ」


 前を見たまま、シャルが問いかける。後ろにいるアシュリーは少し考え込んだようだが、ぱっと答えを出した。


「フォロッドに。フォロッドの皆さんに、会いに行きたいです」

「……ふっ、奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」


 シャルが身を寄せていた山奥の街、フォロッド。アシュリーとシャルが出会った原点。




 ――俺がこれから、彼女にしてやれることはただひとつ。



「アシュリー」



「はい」



 ――一緒にいること。必ず、守ること。



「俺を選んだこと、後悔させない」



 ――どうなるかは、正直まだ分からない。けれど今は、共にいられることを喜ぼう。





 二人の影が、静かに重なった。

これにて『不遜な騎士と仮面の王子』完結となります。

お読みくださった皆様、ありがとうございました。


狼花

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