第8話:大家の決断!傷だらけの黒猫少女を救う『声』の導き
――キンッッ!! ガキィィィンッ!!
静寂を鋭く切り裂く金属音が、再び木々の間を抜けて耳を打った。
「な、なんの音だ……!?」
「大家様、隠れてください!」
リッカに手首を引かれ、俺たちは息を殺して大木の幹の陰へ滑り込んだ。
木々の隙間からそっと視線を向けると、少し開けた場所で激しい戦闘が繰り広げられている。
戦っていたのは、漆黒の髪と揃いの猫耳、しなやかな尾を持つ小柄な少女だ。
汗と血に濡れた黒髪が頬に張り付き、ボロボロに引き裂かれた服の隙間からは、痛々しい切り傷と生々しい白い肌が覗いている。身の丈ほどもある大剣を構えているが、全身の消耗は激しく、肩で激しく息を切らしていた。
そんな彼女を包囲しているのは、揃いの甲冑を身につけた数人の屈強な人間の兵士たちだった。
「チッ、こんな森の奥まで逃げ回りやがって! おい、顔や手足には深い傷をつけるなよ! 売り値が下がるだろうが!」
「分かってるよ。だがちょっと痛めつけねぇと大人しくならねぇだろ、この薄汚い商品(亜人)が!」
兵士たちが下品な嘲笑を浴びせる。対する黒猫族の少女は、口元から血を垂らしながらも鋭い眼光で睨みつけ、喉を絞り出すように叫んだ。
「■■……ッ! ■■■■■■……っ!!」
「ハハッ! 何か喚いてるぜ。言葉も喋れねえくせに、どうせ命乞いか負け惜しみだろ!」
兵士たちのゲスな態度に怒りが湧くと同時に、俺は奇妙な引っかかりを覚えた。
……なんだ? 口論しているようで、まるで会話が噛み合っていないぞ。
首を傾げていると、頭上を漂うシルヴァが呆れたように鼻を鳴らした。
「相変わらず、人間の言語は耳障りじゃのう。まるきり不協和音じゃ」
「……不協和音?」
「人間と亜人の言葉はそもそも別物じゃからの。人間どもにはあの娘の叫びがただの『獣の唸り声』にしか聞こえておらんし、あの娘にとっても人間の声は不快な『雑音』にしか聞こえておらぬ。言葉が通じぬのじゃから、会話などハナから成立せんわな」
シルヴァの言葉に、思わずハッと息を呑む。
兵士たちの怒鳴り声も、少女の必死な叫びも、俺の耳にはどちらも「意味の通る言葉」としてハッキリ届いている。
……そうか。そもそも、リッカと最初から当たり前のように会話できていたこと自体、普通じゃなかったんだ。そうなると、やはり俺は果たして――
だが、今はそんな理屈を考えている余裕はなかった。凄まじい剣戟の音が響く中、このままではあの子がやられてしまう!
「おい、手間取らせやがって。手足の一本くらい折って運んでも文句は言われねぇよな」
「ああ、早く終わらせて酒でも飲もうぜ」
卑屈な笑みを浮かべ、兵士たちがじりじりと少女を追い詰めていく。
言葉すら伝わらない相手に囲まれ、傷だらけで追い詰められていく少女の絶望に濡れた瞳。それは、かつて誰にも声が届かずに路地裏で朽ちていった自分自身の姿と痛いほど重なった。
――クソッ、見過ごせるわけがないだろ……ッ!
怒りで奥歯を噛みしめ、飛び出そうとした俺の腕を、隣にいたリッカが強く引いた。真剣な眼差しで、早口に耳元へ囁いてくる。
「大家様……私に案があります。離れた木の上から『魔法』を放ち、泥や落ち葉を巻き上げてあの人間たちの視界を奪います」
「魔法……!? いや、待て!この世界の魔法って言うのがどういうものか分からないが、それじゃリッカが危険だろ! 翼だってまだ治りきってないのに、見つかったら多分逃げられないぞ!」
俺の咄嗟の言葉に、リッカは真っ直ぐに俺を見つめ返し、力強く首を横に振った。
「大丈夫です。魔狼に襲われた時は、恐怖で何もできませんでしたが……今の私なら! 大家様のお役に立ちたいんです……っ!」
必死に訴えかけてくるリッカの瞳に、迷いはない。その必死な声に胸を突かれ、俺は小さく息を吐いた。
「……分かった。でも、目眩ましが成功したとして、あの子をどうやってアパートまで誘導する? 急に知らない奴から声をかけられたって、警戒して逃げ出すんじゃないか……?」
「大丈夫です。 猫の獣人さんはすごく耳が良くて、勘も鋭いですから、嘘や敵意が無ければすぐに気づいてくれます。……それに、私が助けられた時もそうでした。大家様の声が聞こえた瞬間、なぜか怖くなかった。大家様が『本気で助けたい』って想いを込めて叫べば、彼女にも絶対その声が届くはずです」
「俺の、声……」
まっすぐ向けられた信頼に、気恥ずかしさと同時に、腹の底に火が灯るような感覚を覚えた。
「……よし、そこまで言ってくれるならやってみよう。ただ、ここまで聞いた上で情けない話だが、長年運動不足のこの足じゃ前線まで走っても、やつらに追いつかれるのがオチだ。どうやって誘導しながら逃げるかだが……」
「ぬはは! ならば我の出番じゃな!」
浮遊していたシルヴァが、小さな腕を組みながら素早く前に飛び出してきた。
「おぬしの鈍足では間に合わんじゃろうが、宙を飛べる我が身なら一瞬じゃ! 泥嵐を突っ切ってあの娘の近くへ先回りし、『聞こえる声の方へ走れ!』と案内してやろう。おぬしは出来る限り離れた場所から叫べ」
「……頼めるか、シルヴァ」
「任せるのじゃ! 我は聖なる大樹の守護竜じゃからな!」
急ごしらえな作戦ではあるが、全員の役割が決まった。
リッカに作戦完了後の動きを最後に伝え、それぞれの無事を祈るようにリッカとシルヴァの顔をしっかりと見据える。
「よし……あいつをうちのアパートへ連れ出すぞ! 作戦開始だ!!」




