第7話:外観はまさかの【巨大樹】!? 未知の森探索と鳴り響く『鋼』の剣戟
大浴場化という壮大な野望――と、必要な魔力ポイントを胸にアパートの玄関前に立つと、目の前には重厚な鋼鉄の扉が立ちはだかっていた。昨日、自分が『ダンジョン・モディファイ(迷宮改変)』で作り出し、魔狼の突進すら弾き返した防衛力を誇る扉だ。念のため『アナライズ』で状態を確認してみる。
『正面玄関ドア(防犯用鋼鉄扉)/耐久力:4900/5000』
昨日の体当たりで百ほど削れてはいたものの、依然として圧倒的な数値を保っていた。この値がどの程度なのかは分からないが、あの突進を食らってこれなら当分はびくともしないだろう。
ただ、視線をそこから横へスライドさせると、黄ばんで薄っぺらい壁紙や、古びたすりガラスの窓が目に入る。
扉だけガチガチに硬くても、壁をぶち破られたら終わりだよな。大浴場も欲しいが、いざという時のために『アパート全体の防衛力・耐久力の補強』にも魔力を残しておかないとダメだ。いつまたあの魔狼みたいなヤツが襲ってこないとも限らないし、予想外の事態が起きるかもしれない。
よし、と小さく息を吐いて気持ちを切り替えたところで、背後から元気な声が飛んできた。
「大家様、準備できました!」
「おお、じゃあ開けるぞ」
リッカとシルヴァを従え、重厚な金属音を響かせて扉を開け放つ。外の世界――鬱蒼とした大森林へと足を踏み出した途端、むせ返るような濃密な湿気と、腐葉土の生臭い匂いが肺を侵食してきた。アパートの中の澄んだ空気とはまるで違う、むき出しの『野生』の気配だ。
アパートの敷地から数歩離れたところで、何気なく出てきた方向を振り返り――俺は思わず目を丸くした。
「うおっ!? アパートが消えた!?」
そこにあるはずのボロアパートの姿はどこにもない。代わりにそびえ立っていたのは、苔むした途方もなく巨大な『大樹の幹』だった。当然のように扉も窓もなく、ただの立派な自然の一部にしか見えない。
「ふふん、驚いたか! これが神樹の力……アパートを隠す隠蔽結界じゃ!」
シルヴァが小さな胸を反らし、得意げに鼻を鳴らした。
「外からはこのようにただの大樹にしか見えん。じゃが、魔力が枯渇すればおぬしも知っての通り、この結界が解けてアパートの姿が丸見えになってしまうからのう。気を抜くでないぞ」
「……お前、なんでそれ最初に言わなかったんだよ。地鳴りがして部屋を出たら、いきなり扉の前に森ととんでもなくでかい狼が現れて、こっちは寿命が縮んだんだぞ」
思わず睨みつけると、シルヴァはビクッと肩を揺らし、気まずそうに視線を泳がせた。
「そ、それは……我も、おぬしにまさかあんなことを言われるとも思ってなくて動揺しておってな……。しかも、そこまで神樹の魔力がギリギリだったとは気づかなんだのじゃ。……すまなかった」
しょんぼりと小さな翼を垂らし、素直に頭を下げるシルヴァ。偉そうなチビ竜にそうまで謝られると、どう返せばいいか分からず、「あ……いや……」と逆に気まずくなって頬を掻いた。
そんな二人の微妙な空気を察し、リッカが慌てて間に割って入る。
「だ、大丈夫ですよ! だって、あの時結界が解けていなかったら、外を逃げていた私はここがただの木にしか見えなくて……きっと魔狼に殺されてました。結界が解けて扉が見えたから、私は大家様に助けてもらえたんです!」
リッカがパタパタと翼を揺らしながら明るくフォローを入れてくれると、毒気を抜かれた俺は、小さく息を吐いた。
「……まあ、そうだな。過ぎたことは仕方ない。とにかく、もう二度と結界を割らないように魔力を稼ぐしかないってことだ」
「うむ……! 感謝するぞ、二人とも!」
ちょっぴり絆を深めた?俺たちは、改めて気合を入れ直し、森の奥へと歩き出した。
周囲には見上げるほど巨大なシダ植物が群生し、足元では不気味に淡く発光するキノコが怪しい影を落としている。どこからか、得体の知れない獣のようなくぐもった遠吠えも、時折木霊した。
一歩間違えれば命を落としてしまいそうな魔境。背筋に冷たい汗が伝うが、それでも未知への探求心からか不思議と足取りは重くなかった。周囲への警戒を怠らないようにしつつ、前を進むリッカに尋ねてみる。
「なあ、この世界にはどんな種族がいるんだ? 『人間』はいるんだよな?」
「はい。ここからずっと離れた場所に大きなお城や国を作って暮らしていると聞いた事があります。ただ、国の周りを見回る兵の方たちは、辺境のこのあたりまで来ることもあるみたいで……」
周囲を警戒しながら歩いていたリッカが、振り返って答えてくれた。
「他にも、エルフやドワーフ、私のような亜人など、たくさんの種族がいます。ただ、お伝えした通り、人間の国では迫害されて、森などの辺境へ追いやられる者も少なくなくて……」
「なるほどな。じゃあ、この森を探せば、うちのアパートの入居条件に合う『ワケあり』が見つかる可能性は高いってことだ」
「はいっ! きっと見つかると思います!」
――グゥゥゥゥ。
二人が頷き合った直後、俺の腹の虫が盛大に鳴り響いた。
「あー……そういえば、この世界に来てから何も食ってないな……」
今朝感じた通り、おそらく大樹の魔力さえ循環させていれば餓死したり衰弱したりする危険はない。だが身体が保つというだけで、空腹や渇きといった生理的な欲求はしっかりと残っているのだ。
「任せてください、大家様!」
頼もしく胸を張ったリッカが、すいすいと前を歩き始める。シルヴァと共にその小さな背中の後をついていくと、リッカは時折立ち止まり、鼻をくんくんと鳴らしたり、木々の隙間を鋭い目で見極めたりしながら進んでいく。そして、慣れた手つきで大きな木の根元に実っていた鮮やかな果実を摘み取ると、手渡してくれた。
「この赤い実は甘くて美味しいですよ! あっちの青い葉っぱは毒があるので触らないでくださいね。あ、あそこの岩陰に綺麗な湧き水があります!」
手渡された真っ赤な果実を一口かじり、続いて木陰に流れる清流を手ですくって口に含んだ。果実の強烈な甘みと、湧き水の冷たさが喉を潤していく。
「うまっ……! リッカ、お前すごいな!」
「えへへ……山肌を駆け回ってた頃の知恵ですから。お役に立てて嬉しいです!」
褒められて照れるリッカを微笑ましく見つめながら、俺は手元の果実をまじまじと見つめた。
……これ、アパートに持ち帰って保存できないだろうか。
魔力に余裕ができたら、簡易的なキッチンや冷蔵庫をスキルで作るのもありだな。森の恵みを備蓄しておければ、毎日の食料問題も解決できるし、リッカにも温かい飯を作ってやれる。大浴場だけじゃなく、生活スペースの充実も大家として考えておきたいところだ。
そんな考えを巡らせつつ、ふと視線を横に向けると、そこには落とした果実の種を呑気に突っついているだけの白いチビ竜がいた。
「……それにしても、そっちの自称・守護竜様は随分とのんびりしてるな」
呆れ交じりに放った弄りに、シルヴァがキーッと牙を剥く。
「失礼な! わしだって本来の力さえ戻れば、こんな森の魔物など一息で吹き飛ばせるんじゃぞ!」
「はいはい、頼もしいな。じゃあその凄い力を早く取り戻してくれよ。どうやったら回復するんだ?」
呆れ半分で突っ込むと、シルヴァの動きがピタッと止まった。スーッと冷や汗を流し、気まずそうに目を泳がせる。
「うぐっ……そ、それはじゃな……」
「なんだよ」
「……わ、分からんのじゃ」
「はあ!?」
「仕方がなかろう! 今まで魔力をすべて使い切るなどという事態を経験したことが無かったゆえ、回復方法など気にしたことも無かったのじゃ……!」
逆ギレ気味に言い訳をするシルヴァに、俺は盛大なため息をついた。
先が思いやられるな。
呆れ果てつつも、ふと冷静に考える。でも、こいつの言う通り本当にドラゴンなんだとしたら――なんとかして魔力を回復させる方法を見つければ、アパートにとって強力な用心棒になるはずだよな。
これからどんな危険なトラブルが来るか分からない。強力な戦力になるのなら、いつかこの置物トカゲの回復手段を探る価値は十分にあるだろう。
シルヴァがさらに言い訳を口にしかけた、その時――。
ビリッ、と森の空気が張り詰めた。
風向きが変わり、生い茂る木々の奥から、これまでとは違う異質な気配が漂ってきた。
――キンッッ!! ガキィィィンッ!!
静まり返っていた深い森の奥から、鋭い音が響き渡る。
それは、自然界には絶対に存在しない音。鋼と鋼が殺し合う、明確な『闘争』の響きだった――!




