第5話:102号室のリノベーションはまさかの要望!? 吹き抜ける故郷の風
「よし、それじゃあさっそく102号室を作るか」
腕まくりをして、頭の中で先ほどの管理者権限とやらを意識してみる。さっき感覚を掴んだ『アナライズ』の要領で視界に念じると、淡い青い光とともに現在のステータスがフワリと浮かび上がった。
【アパート全体魔力残量:120Pt】
【状態維持に必要な魔力:50Pt】
Ptというのが魔力の単位らしい。相場はいまいち分からないが、最低限必要そうな50Ptを残すと、今自由に使えるのは実質70Ptだけか。先ほどまでのアパートの状態を見ると、決して余裕がある数字じゃないだろう。無駄遣いは厳禁だな。
チラリと、開け放たれた101号室へ視線を向けた。擦り切れた畳に、黄ばんだ壁紙の埃っぽい六畳一間。
命からがら逃げてきた女の子を、俺と同じこんな殺風景なボロ部屋にそのまま押し込むのは、さすがに気が引ける。せっかくなら、少しでも居心地のいい部屋にしてやりたい。
どんな部屋が良いだろうと考えを巡らせながら、102号室の前で所在なさげに立っていたリッカに向き直った。
「えっと……リッカ。これからお前の部屋を作るんだが、何か希望はあるか? 例えば……どんな風になってたら過ごしやすいとか」
「へ……私の、希望ですか……!?」
リッカは驚いたように目を丸くした。
部屋の希望まで訊かれるとは思っていなかったのか、パタパタと翼を小さく揺らし、恐縮したように身を縮こまらせる。
「あ、あの……! 大家様が作ってくださる場所なら、私、どこだって嬉しいです! 追い出されずに安心して眠れる場所があれば、それだけで……!」
「いや、せっかく作るんだから気を使わなくていいよ。俺だって部屋を自由に改装できる機会なんて滅多にないし、どこまで出来るか色々試してみたいんだ」
笑いながら促すと、リッカはモジモジと指先をこねくり回し、意を決したように小さく口を開いた。
「で、でしたら……っ。……い、いえ、無理なのは分かっています。でも、もし……もし叶うなら……」
リッカはどこか遠くを思い馳せるような、切ない瞳で言葉を紡ぐ。
「私の故郷の……高い山の頂で吹いていたような、冷たくて気持ちいい風を感じられたら……なんて」
「……山の、頂……?」
思わずポカンと口を開けてしまった。
地球の感覚で「日当たりが良い」とか「清潔なベッド」といった答えを想像していたが、鳥人である彼女にとって、四方を壁で囲まれた狭い部屋よりも、高所の澄んだ風と広大な空を感じられる場所こそが『住みやすい環境』なんだろう。
……とはいえ、山の頂上って。ここ木造アパートの102号室だぞ。部屋の中に山を作れってか?
とんでもない無茶振りに頭を抱えかけた、その瞬間――視界のウィンドウがふっと切り替わった。
【解析完了:環境再現が可能です】
【環境再現:高山の頂(完全版)/必要魔力:300Pt】
【環境再現:高山の頂(簡易ミニ空間)/必要魔力:60Pt】
……マジかよ。アパートの皮をかぶった超次元空間かよ。
完全再現の300Ptは到底足りないが、60Ptのミニ空間ならギリギリいける。結界維持の50Ptを残しても、ちょうど10Pt余る計算だ。
少しの不安と、それ以上の好奇心に背中を押され、俺は102号室の金属ノブに手をかけた。
「リッカ、目をつぶって待ってろ」
「は、はいっ!」
リッカが言われた通りぎゅっと目を閉じたのを確認し、ドアノブを力強く捻り込む。
頭の中で発動を強く念じるのは、アパートの構造を自在に書き換えるスキル――『ダンジョン・モディファイ(迷宮改変)』!
「作れ……リッカの望む、最高の住処を――!!」
――バサァッッ!!
扉が開かれた瞬間、真っ白だった無の空間に青い光のグリッド線が縦横無尽に走った。何もない虚無のカンバスに、岩肌や雲海がポリゴンのように瞬時に構築されていく。システムが世界そのものを書き換えるような圧倒的な光景の直後――ゴォッと冷たく澄んだ高山の風が、完成した空間から廊下へと一気に吹き抜けた。
「うおっ!?」
「ひゃいっ!?」
「ぬおっ!? なんじゃこの風はーっ!?」
リッカの髪や翼が激しく煽られ、宙に浮いていたシルヴァがぐるぐると吹き飛ばされそうになる。
「……も、もう目を開けていいぞ」
声をかけると、リッカはゆっくりと瞼を開け――そのまま息を呑んで固まった。
「あ…………あ……」
102号室の扉の先に広がっていたのは、床でも畳でもなかった。
ゴツゴツとした岩肌、足元を静かに漂う白い雲海、そしてどこまでも突き抜けるような青空。広さこそ六畳ほどだが、扉を一歩超えれば、まるで標高数千メートルの山頂に立っているかのような清々しい風が吹き荒れている。
「そんな……こんなことが……っ」
リッカの声が小さく震えていた。両手で口元を覆い、大きく見開いた瞳から次々と涙がこぼれ落ちていく。
「あ、ありがとうございます……大家様……! ありがとうございます……っ!!」
くしゃくしゃになった顔で、リッカは俺の手に両手をぎゅっと重ねてきた。翼を小さく震わせながら、何度も何度も深々と頭を下げる。
その瞬間――リッカの胸元から再びぽかぽかと温かい光の粒が溢れ出し、アパートの床へと吸い込まれていった。
【通知:住人の満足度が極めて高いため、特別な魔力が納入されました】
【アパート全体魔力:+15Pt(現在75Pt)】
「喜んでくれてよかったよ。今日からここがお前の部屋だ。好きに使ってくれ」
「はいっ……! 私、ここが大好きです……っ!!」
最高の笑顔を弾けさせるリッカ。温かな空気が廊下に満ちようとした――その時だった。
「ぬオォォーっ!? すごいぞ! 一瞬で山を作ってしまうとは、ぬしはとんでもないスキルを持っておるのじゃな!」
ずっと横で見ていたシルヴァが、目を輝かせて周りをぶんぶんと飛び回り始めた。
「すごいぞ! これなら我が住むのに相応しい『黄金に輝く龍の城』のような空間も一瞬で作れるはずじゃ! さあ、隣の扉を今すぐ我の豪華絢爛な竜宮城にするのじゃーっ!!」
鼻息を荒くして叫ぶチビトカゲに対し、俺はスッと温度の低い冷ややかな目を向けた。
「却下だ」
「ぶぇ!?」
「勝手に異世界に呼び出して面倒毎を押し付けてくれた件、俺はまだ許したわけじゃないからな」
「うぐっ!? そ、それは……っ!」
「それに、そもそもこの大樹の魔力を回復させるのが目的だろ。お前の部屋なんて作って無駄遣いしてどうするんだよ」
「酷いのじゃーーっ!? わしはこの聖なる大樹の守護竜ぞ!? あんまりな扱いじゃーーっ!?」
「ギャーギャーうるさい。お前のは全却下だ」
「ぶぎゃあぁぁっ!? 扱いが雑じゃーーっ!!」
バタバタと暴れるチビ竜を指先でポイと横に追いやり、俺はリッカに向き直った。
「それじゃ、リッカ。今日は色々あって疲れただろ。ゆっくり休んでくれ。何か困ったことがあったら、隣の101号室に遠慮なく声をかけてくれていいからな」
こうして、居場所を奪われた者たちが集う異世界アパート経営は、初めての「大成功」とともに、温かな日常の第一歩を踏み出したのだった。




