第4話:102号室はどこに!? 大家の権限と初めての部屋作り
「えっと……リッカ、だっけ。とりあえずその翼の怪我を手当てしないとな。俺の部屋に入ってくれ」
促すと、リッカは「お邪魔します」とでも言いたげに身を縮こまらせ、おずおずと室内に足を踏み入れた。だが、部屋に上がった途端、ぴたりと動きを止める。
「すごいです……見たこともない空間……!」
足裏から伝わる『畳(い草)』の不思議な感触に、彼女はぱちぐりと目を丸くした。
整然と区切られた四角い壁や、すりガラスの窓枠。未知の文化に触れた好奇心からか、リッカは痛む翼も忘れたように、部屋中をきょろきょろと見回している。
ひとまずリッカを畳の上に座らせると、俺は部屋の押し入れへ向かった。この101号室ごと転移してきたのなら、あの備品も残っているはずだ。
衣装ケースの奥をガサゴソと探ると、思惑通り、使い古された救急箱と清潔なタオルが見つかった――だが、意気揚々と取り出したものの、鳥人の手当てなんて当然ながらしたことなどない。
……ん、待てよ。さっきアパートの扉を変えた時、頭の中に浮かんだ『アナライズ』ってやつ……生物相手にも使えるんだろうか?
半信半疑のまま、さっきの感覚を思い出しながらリッカの翼へ意識を集中させてみる。
すると、視界に淡い青い光が走り、リッカの翼の構造がボヤッと浮かび上がってきた。
『右翼関節/状態:重度の打撲・亀裂』
うわ……マジで出た。建物だけじゃなくて、生物の状態まで大体分かるのかよ。さすが異世界チート。
完全に折れてはいないようだが、関節を痛めていて激痛で羽ばたけないらしい。とりあえず関節が動かないよう、しっかり添え木をして固定する必要があるな。
「おい、そこのトカゲ……じゃなかった。シルヴァだっけ。外から添え木になりそうな、頑丈で真っ直ぐな木の枝を拾ってきてくれ」
「ぬ! わしはおぬしの子分ではないぞ!? 守護竜じゃぞ!?」
「いいから早く行け!」
キーキー騒ぐシルヴァを外へ追い出すと、俺は救急箱から消毒液とガーゼを取り出し、リッカの前にかがみこんだ。
「少しじっとしてろよ。消毒するから染みるぞ」
痛ませないよう慎重に、翼についた血や泥汚れをガーゼでそっと拭い去っていく。「ひゅっ」と消毒液が染みたのか、リッカが小さく息を呑んで身を強張らせた。痛みに耐えながらも、その潤んだ瞳は俺の手元と顔をじっと不思議そうに見つめている。
やがて、何かを確かめるように、ふと恐る恐る口を開いた。
「あの……大家様は、本当に『人間』……なのですか?」
「ああ、人間だけど……」
答えかけて、手がピタリと止まった。
待てよ。俺は前の世界で死んだ、あるいは消えたはずだ。今の俺って、この世界で本当に『人間』と言っていいのか。
少しの沈黙とともに気まずそうに思案していると、リッカは俺の顔と自分の手を交互に見つめ、どこか不思議そうに小首を傾げた。
「あ、すみません! 不躾なことを訊いてしまいました……でも、私を助けてくれた時の叫び声も、今のお話も……まるで昔から知っている言葉のように、すごく自然に心に届くので……質問を変えますね」
リッカは真摯な瞳で見つめ直してくる。
「あの……大家様は、なぜ私を助けてくださったのですか? 大家様には何の得もないのに……」
「……得とか損とかじゃないよ。目の前で傷ついて助けを求めてる奴がいたら、見捨てられないだろ。……ただそれだけだ」
「……そうですか……人間の中にも、大家様のように優しい方がいるのですね……」
まっすぐな感謝の瞳を向けられ、なんだか気恥ずかしくなって思わず視線をそらしてしまう。
ちょうどそこへ「持って帰ったぞーっ!」とシルヴァが手頃な枝を抱えて戻ってきた。受け取った枝を添え木にして翼の関節に当て、救急箱の湿布と包帯で頑丈に固定する。
「よし、これで少しはマシだろ。骨が落ち着くまで無理に羽ばたいちゃダメだぞ」
「はい……! 痛みがずっと和らぎました……大家様、ありがとうございます……!」
リッカは包帯の巻かれた翼を慈しむように見つめると、感謝を噛みしめるように深く、深く頭を下げた。
◇
「よし、それじゃあ手当ても終わったし、隣の部屋を使ってくれ」
一心地ついたところで、『102号室』のドアノブをガチャリと回し、勢いよく開けた。
「……ん?」
そこに広がっていたのは――何もかもが真っ白な『無』の空間だった。床も天井も壁すらない。
「あ……あれ?」
二度見して開け閉めしてみるが、やっぱり真っ白だ。焦って他の空き部屋も確認するが、さっきまでいた101号室以外はすべて、奥行きすら分からない真っ白な空間だった。
外観はどう見ても慣れ親しんだボロアパートなのに、ドアの向こうには物理法則を完全に無視した亜空間が広がっている。
「どういうことだ……アパートの形をしてるのに、中身がバグりすぎだろ……!?」
頭を抱えて困惑していると、リッカが申し訳なさそうに消え入りそうな声で呟く。
「あ……あの……大家様。私のために色々とありがとうございます。でも……住処がないのでしたら……私、大家様と同じ場所でも……大丈夫ですよ……?」
「「だめだ!!」/「だめじゃ!!」」
俺と、ぷかぷか浮いていたシルヴァの声が、見事なハモりで重なった。
「ふぇっ!?」
「だめに決まってんだろ! 狭い1Kだぞ!?」
「そうじゃぞ! おぬし、純朴そうな顔をして何という破廉恥な提案をしておるのじゃ! 男と女が一つ屋根の下、しかもあの狭い空間で同居など……!」
シルヴァが真っ赤になってキーキーと騒ぎ立てる中、大きくハァと息を吐き出し、改めて少し離れた位置からリッカの姿を観察した。
……冷静に考えてみたら、こいつ、かなり可愛いんだよな。
背中に生えた立派な羽といった特徴はあるが、顔立ちやスタイルは地球の基準で見ても文句なしの美少女だ。整った顔立ちに、守ってあげたくなるような濡れた瞳。
そういえば、さっき「私の身体でよければ」とか、とんでもないこと言ってたな。
今更ながらそのフレーズを思い出し、顔が一気に熱くなった。
生前、異世界転生もののWeb小説を読みあさり、「ハーレムとかいいなぁ」と呑気に憧れたことがないと言えば嘘になる。だが、現実の女性経験ゼロの男にとって、本物の美少女――しかも人外――と狭い1Kで二人きりなんて、刺激が強すぎて心臓が破裂しそうだ。何より、基本インドア派で一人の時間が大好きな身にとって、パーソナルスペースを脅かされるのは耐えがたい。
無理無理無理。一人の時間がないと死ぬ。どうにかして部屋を増やせないのか?
頭を抱えて必死に考えを巡らせていると、目の前を漂っていたシルヴァが不思議そうに首を傾げてきた。
「ぬ……? おぬし、急に黙り込んでどうしたのじゃ」
「いや、そういえば聞きたいことがある。このアパート、部屋を増やす方法くらいあるんだろ? お前、守護竜なら知ってるよな」
「も、もちろんじゃ! 我を誰だと思っておる!」
胸を張るシルヴァだったが、視線がわずかに泳いだのを俺は見逃さなかった。
「……本当に知ってるのか?」
「う……そ、それは……その……多分、魔力を使えば何とかなるはずじゃ! アパートというのは、大樹が管理者――ぬしの知識に応じて姿を変えたものじゃからな!」
「多分、って何だよ」
「ええい、細かいことは気にするな! とにかく、この大樹には魔力という『資源』があるのじゃ。それを使って部屋を増やしたり、造り替えたりできるはず……できるといいのう……」
自信なさげに尻すぼみになっていくシルヴァに、思わず頭を抱えたくなった。
「シルヴァ、じゃあその魔力ってやつは、今どのくらいアパートに溜まってるんだ?」
「さ、さあ……? わしにも分からん」
「え、守護竜のくせに把握してないのか?」
「仕方なかろう! わしの魔力とアパートの魔力は、そもそも別物なんじゃから!」
「別物って……お前が大樹を管理してるんじゃないのか?」
「管理者はぬしじゃ! わしはあくまで守護竜! しかもおぬしを召喚するだけで全魔力を使い果たして、とうにすっからかんなのじゃからな……ふん!」
胸を張って威張りながら、盛大に役に立たない宣言をするチビ竜に、思わず頭を抱えたくなった。
小さくため息をつくシルヴァを横目に、意識を頭の中に向けてみる。管理者権限とやらで何とかならないか――そう強く念じた瞬間、視界の端に淡い光が灯った。
【通知:管理者権限が確認されました】
【アパート全体魔力残量:確認可能】
無機質な文字列が、静かに浮かんで消える。あれこれ説明してくれるわけではないが、拠点拡張に必要な数字だけはちゃんと見えるらしい。まあ、詳しい仕組みは追々覚えていけばいいだろう。
「……よし。とりあえず魔力を使えば、この空っぽの102号室をどうにかできるってことだよな。リッカ、悪いけどもう少し待っててくれ」
「あ、あの……! 助けていただいた上に、何から何まで……私なんかのためにご迷惑ではありませんか……?」
申し訳なさそうに身を縮こまらせるリッカに、俺はかつての自分を重ね、まっすぐな目を向けた。
「迷惑なんかじゃないさ。……安心しろ、自分の家がない辛さは俺もよく知ってる。ここはお前の家だ。……よし、リッカ。まずは……お前の部屋(102号室)を作るところから始めよう」




