第17話:無事帰還のご褒美!?遠征の終わりと、黒猫の感謝
木々の合間を抜け、見慣れた大樹の巨躯と、その根元にあるアパートの前へ滑り込む。
大樹の領域に戻った瞬間、途絶えかけていた魔力の循環が一気に再開した。
全身を縛り付けていた窒息感と悪寒がふっと霧散し、凍りついていた手足に温かい血が巡っていく。
「ふいぃぃ……もう限界じゃぁぁ……!」
見上げれば、大樹の梢の隙間から、プシュウゥゥゥ……と風船がしぼむような情けない音と白い煙を立てて、元のチビトカゲサイズに逆戻りしたシルヴァが必死に小さな羽を羽ばたかせながら降りてくるところだった。
先ほどの白銀の威厳はどこへやら、フラフラと頼りない軌道で滑空し、俺の肩口へパフッと不時着してそのまま胸元へしがみついてくる。
「ぶふっ!?」
「待っておくれぇ……我を置いていくでない……!」
胸にしがみつくシルヴァを抱え、俺たちはそのまま鋼鉄の玄関扉へ雪崩れ込んだ。
力任せにノブを押し回して廊下へ転がり込み、背後で勢いよく扉を閉めて内鍵をかける。
カチャリ、と重い金属音が響いた瞬間、張り詰めていた空気が一気に弛緩した。
「はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……!」
鍵をかけた安心感からか足から力が抜け、俺は冷たい廊下の床へ仰向けに倒れ込んだ。
扉の内側は、先程までの喧騒が嘘のように静まり返っている。追手を完全に振り切ったのだと頭が理解した途端、溜め込んでいた疲労と脱力感が全身へ一気に押し寄せてきた。
「お、大家様……っ、大丈夫ですか……っ!?」
隣でじっと立っていたリッカが、涙目で俺の顔を覗き込んでくる。肩を大きく上下させ、羽毛を逆立てて震えていた。
「あ、ああ……なんとかな。……リッカも、よく走ったな。怪我はないか?」
「は、はいっ……! 私はどこも怪我してません……っ! よかった……本当に、よかった……っ」
リッカは胸元を押さえ、へなへなとその場に座り込んで深い安堵の息を吐き出した。
「……ふぃ〜……我も、もう一歩も動けん……」
俺の胸の上では、シルヴァが手足を投げ出してペタッと伸びていた。
いつものサイズに縮んだ白いチビトカゲは、舌をペロッと出して完全にエネルギー切れを起こしている。
「お前に関しては色々と聞きたいことがあるが……だけど、よく踏ん張ってくれたよ。ありがとな、シルヴァ」
人差し指の腹で小さな頭をそっと撫でてやると、シルヴァは小さく喉を鳴らして目を閉じた。
息を整えながらゆっくりと上半身を起こして周囲を見回すと、少し離れた壁際――そこに、黒猫族の少女が座り込んでいた。
大剣を膝の上に抱え、壁に背中を預けて荒い息を吐き出している。
包帯越しに痛々しく血が滲んでいたが、その金色の瞳は、静かに俺たちの様子を見つめていた。
「……傷、痛むか?」
「……いや、問題ない」
少女はまるで慣れ合う気がないかのように、短く首を横に振った。
だが、最初に見せていたような張り詰めた空気はもうない。
「改めて……さっきは助かったよ。俺はこの建物の……そうだな、主みたいなもんだ。『大家』とでも呼んでくれ」
「……クロエだ」
少女――クロエは、黒い猫耳をわずかに揺らしながら、ぽつりと名乗った。
それから何かを迷うように少しの間、視線を伏せていたが、やがて意を決したように金色の瞳を真っ直ぐ俺へ向けた。
「……あたしを逃がすために囮になってくれたこと。それと……さっき、あいつらを倒す隙を作ってくれたこと。……本当に、助かった」
ぶっきらぼうではあるが、一言一言を噛みしめるような声だった。
「……あたし……幼い頃に両親を亡くしてから、誰かに助けてもらったことなんて一度もなかったから……。あんたたちがいなきゃ、間違いなくあのまま捕まってた……本当に、ありがと」
鋭く人を寄せ付けないような金色の瞳が、この時ばかりは微かに優しく揺れていた。
血の滲む唇を噛み締め、消え入りそうな声で紡がれた言葉。孤高の少女が初めて見せた、あまりにも無防備な少女の素顔だった。
心の底から絞り出された、嘘偽りのない真っ直ぐな感謝の言葉。
――ボワッッ!!
言葉の終わりと同時に、クロエの胸元から視界を埋め尽くすほどの黄金の光が溢れ出した。
リッカの時と同等、いやそれ以上の眩い奔流となって、俺の身体やアパートの床、壁へと一気に吸い込まれていく。
【通知:極めて深い感謝・信頼が納入されました】
【アパート全体魔力:+150Pt(現在200Pt)】
「……うおっ!?」
あまりの魔力の熱量に、思わず身体がのけぞった。
頭の中に浮かんだとんでもない数値を二度見して、俺は目を丸くする。
「ひゃ、百五十……!? すごいな、最初の時のリッカよりもさらに多いぞ……?」
「えっ!?」
その呟きを聞き逃さなかったリッカが、バッと勢いよく身を乗り出してきた。
「だ、大家様! 私より多いって……どういうことですか!?」
「いや、俺にも詳しい仕組みは分からないけど、この建物の魔力は住人の『感謝や信頼』の深さで増えるんだよ。……ん、待てよ。ってことは、クロエのやつこんなクールな感じなのに、実はかなり心を開いてくれてるってことか?」
「っっっっ!?」
言われた瞬間、クロエの顔が一瞬で耳の先まで真っ赤に染まった。
黒い猫耳がペタリと伏せられ、細い尻尾がボワッと膨らんでピーンと跳ね上がる。
「な、ななな……何を馬鹿なこと言ってるんだッ!! し、信頼なんかしてない! ただの礼だ、礼!! 変な言いがかりをつけるなッ!!」
「いや、でも実際、増えてるし……」
「うるさい!!」
大剣を抱え直してプイッと背中を向け、耳を真っ赤にして縮こまるクロエ。
その横で、今度はリッカが両手をぎゅっと握りしめ、頬をぷくーっと膨らませていた。
「むぅ……! 私だって、大家様への感謝なら誰にも負けてないのに……! クロエさん、ずるいです……っ!」
「ずるいとかじゃないから! あたしは何もしてない!!」
さっきまで死線をくぐり抜けていたとは思えない、廊下に響く賑やかな言い争い。
顔を真っ赤にして威嚇する猫耳少女と、対抗心を燃やして詰め寄る鳥耳少女を交互に見やり、俺は思わず口元を緩めた。
「ハハ……まあ、何はともあれ全員無事でよかったよ」
泥と汗にまみれて身体は限界だが、心はどこか晴れやかだ。
こうして命がけの遠征は、俺自身の生還とクロエの救出、そして十分すぎる魔力の確保という目的を無事に果たして幕を閉じた。




