第12話:命の【タイムリミット】!迫りくる影と見えない砂時計
こうして手に入れた補修係の立場だったが、一息つく余裕など微塵もなかった。
初めは新参の俺を舐めていた作業員たちも、指摘した欠陥がことごとく的中したことで、今では大人しく従うようになった。
とはいえ、表面上は馴染んだふりを続けているものの、背後には常に監視の目が光っている。少しでも不審な動きを見せれば、すぐに奥の地下牢へ逆戻りだ。
手にした羊皮紙の図面と木組みの防壁を見比べ、真面目に点検している素振りを取り繕う。そうやって周囲の警戒を解きつつ、俺は近くの兵士たちが交わす雑談へ神経を集中させていた。
「……なぁ、本国から視察が来るって話、マジなのか?」
「ああ。この砦の進捗を見に来るらしい。辺境の魔物対策と亜人の排除……表向きはそんな名目だが、要は領地拡大の手柄争いさ」
「それだけじゃない。今度来る特使様はヤバいらしいぜ。機嫌を損ねた奴隷の首を、その場で余興代わりに刎ねたって噂だ」
「ヒッ……マジかよ。俺たちだって、ヘマすりゃどうなるか……」
なるほどな……。人間の国は、この森一帯を強引に自分たちの支配下に置こうとしてるわけか。それに加えて、上に来るのは血も涙もないイカれた権力者ときた。
手柄、領地の奪い合い、弱者の排除。
異世界に来てまで耳にする生々しい欲のぶつかり合いに、小さく胃の奥が重くなった。
……住む世界が変わったところで、人間の本質なんてどこも変わりやしないな。
吐き出しかけたため息を飲み込み、図面を丸めて腰に差し込むと、俺は何食わぬ顔で作業へと戻った。
◇
やがて日没が近づき、周囲の作業が一区切りついたところで、人目を避けて見張り台の陰へ腰を下ろす。
「……っ、はぁ……っ」
壁にもたれかかった瞬間、どっと鉛のような重みが全身にのしかかった。
膝が微かに震え、肺の奥がひどく冷たい。最初はただの作業疲れかと思っていたが、徐々に酷くなっていくこの嫌な気だるさと息苦しさには、はっきりと覚えがあった。
――召喚された初日、あの何もない1Kで飢えと渇きに喘いでいた感覚だ。
恐らくだが、管理者である俺がアパートから離れているせいで、魔力の循環が滞っているんだ。魔力自体についてはまだ少し余力を残していたので、今はなんとかなっているが、消費量が早く、俺の身体を確実に蝕んできている。
……まさか、こんな罠があるとは。
離れている今も、見えない砂時計の砂は確実に零れ落ちている。
もしこのまま魔力を消費して結界が完全に破れれば、あのアパートは外から丸見えになり、傷ついたリッカたちまで危険に晒される。それに……もしアパートの魔力が完全にゼロになったら、俺自身の命だってどうなるか分かったもんじゃない。
ここは敵地のど真ん中だ。彼女たちがすぐに助けに来てくれるなんて都合のいい展開はないだろう。残された体力があるうちに、何としてでも自力でここを抜け出さなければならない。
腰の図面にそっと指を滑らせる。
昼間の作業中、俺は『アナライズ』を頼りに、北側の防壁に手を打っておいた。意図的に補修の手を抜き、強度を極端に落としてある。あそこなら、大人の体重で強く蹴りつければ音を立てて外側へ崩れるはずだ。
徒歩で連行されたお陰で道中の方角はしっかり覚えている。これでも元不動産屋として建物の位置や距離間の記憶力はいい方だからな。
狙うのは、真夜中の見張りが交代するわずかな隙。頭の中で脱出の算段を組み立て、ふっと息を吐き出した――その時だった。
「おい、補修係! どこにいる!」
地面を踏み鳴らす重い軍靴の音に、心臓が跳ね上がる。
咄嗟に図面を隠し、ただの疲れた作業員の顔を作って立ち上がった。
見張り台の角から姿を現したのは、先日俺を補修係に任命した隊長だ。鉄の鎧を軋ませながら、太い腕を組んで俺を見下ろしてくる。
「予定が早まった。本国から視察の特使……お偉い貴族様が、今晩この砦へ到着される」
「……今晩、ですか?」
「ああ。砦の案内役としてお前の知識を使わせてもらう。だが、その薄汚いボロ布姿じゃ格好がつかんからな」
隊長が顎で合図すると、後ろに控えていた兵士が重々しい木箱と水桶を足元へ置いた。蓋を開ければ、糊のきいた清潔な服と、鈍く光る剃刀が収まっている。
「さっさと無精髭を剃り落として、それに着替えろ。粗相のないよう控えておけよ」
「……分かりました」
表面上は恭しく頭を下げたが、内側では心臓が警鐘のように早鐘を打っていた。
受け取った剃刀の柄を握る指先が、小刻みに震える。それを隊長に悟られないよう、必死に太ももの裏で手を握り込んだ。
今夜だと……!?ふざけるなよ……。
立てていた脱出計画が、決行直前で一気に狂い始める。
背中を嫌な冷や汗が伝い、全身の血の気が引いていくのが分かった。
――今日逃げられなければ、恐らく……いや、間違いなく俺はここで終わる。
砦全体を包み込むピリついた緊張感の中、運命の夜が、最悪の形で幕を開けようとしていた。




