美少女を一人暮らしの部屋にお持ち帰り、何も起こらないはずがなく
いつも1人で生活しているアパートの1室。そのお風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。
「着替えの服とタオル、ここに置いておきますね」
「ありがとう」
今頃になって緊張してきた。自分以外の女の子がお風呂に入っている状況に今までなったことがなかったのだから。あれ、しろちゃんは使ってたことあったっけ。わたしの家のお風呂。
薄いドア越しに布1枚纏わないあられもない姿で推しがいる。ドクン、ドクン。心臓の鼓動は加速する一方だった。こういうときこそ冷静になれ、落ち着け、普段の修行を思い出すんだ。百合嶋流剛柔術・瞑想(※ただの瞑想なんだけど)。
しかし延々と浮かんでくる雑念を振り払っても、ムラムラしてくる一方だった。
正直にいうと、見たい。覗きたい。推しの生まれたままの姿を見たい。なんなら湯船張っておけばよかった。あとで味見ができたのに。っていかんいかん、何考えてるんだわたし!
そうこうしているうちに、湯気をまとって推しがわたしの自室に降臨した。
「ごめんなさいね。お風呂までいただいてしまって」
「いえいえ!」
髪の毛の水分をバスタオルでふき取る仕草でさえ艶めかしさが漂ってくる。わたしのルームウェアなのに、着ている人が変わるだけでこうも服の見栄えも違うのかと感動した。
「これ、お口にあうかわからないですけど。よかったら」
「ありがとう」
わたしは温かい紅茶の入ったマグカップを手渡した。この家にはわたしの分含め2つしかカップがなかったから、しろちゃんの使っちゃってゴメンね! くれはちゃんは両手でゆっくりとカップを口に運ぶ。萌え袖がかわいい。
「……美味しいわ。この紅茶」
「よかったです。それ、紅茶に詳しい友達から貰ったものなんです。味のほうはバッチリかと」
しろちゃんから貰った本場イギリス産の高級な茶葉。気に入ってくれたようでよかった。
「て、テレビとかつけますか?」
無言の空間に耐えられなくなったので、つい無粋な提案をしてしまった。
「いい。プライベートでは見ないようにしてるから、テレビ」
しろちゃんと蒼依ぐらいしか呼んだことのないこの部屋で、今目の前にわたしの最愛の推しがいる。いまだにその事実が受け入れられない。
わたしがくれはちゃんを見ていたのは、いつも観客席や動画サイトだった。芸能人と一般人の間には、見えない透明の壁みたいなものがある。そんな隔たりの先で輝いていた宝石みたいな女の子が、今わたしの手の届くところに実体を持って存在している。
「ごめんなさい。一般人のあなたをわたしのゴタゴタに巻き込んでしまって」
くれはちゃんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「助けてもらったどころか服まで貸してもらって。本当になんてお礼をいっていいか」
「いえ、こうしてくれはちゃんと喋れてるだけで夢のようなのに。役に立てたなんて言ってもらえて光栄すぎるというか」
「そんな」
それからしばらくお互いに話すこともなく沈黙が続いた。わたしのカップに入ったお茶の量がだいぶ減ってから、くれはちゃんの方から話を切り出した。
「それで、さっきはファンだってはぐらかされたけど。あなた、いったい何者なの?」
くれはちゃんの接し方が、身体的にも精神的にも心持ち半歩ほど距離が遠くなった気がした。わたしが実際に喧嘩するシーンを見た人はみんなこんな風になる。昔からそうだったからもう慣れっこだ。大好きな推しにドン引きされてしまったかもしれない。
「百合嶋流剛柔術って言って。室町時代だか戦国時代だったか忘れたけど、そのぐらい昔から受け継がれてきた古武術なんです。簡単にいうと、殺人術」
「殺人……」
剛柔術という名の通り打撃から絞め技まで多彩な技術体系を持つ暗殺拳。食事や回復術、噂によると”ベッドでの夜の寝技”までオカルト技以外ならなんでもありらしい。
「わたしは十七代目継承者らしいです」
当事者なのに、まるで他人事みたいに話すわたし。
「気味悪いですよね。出会ったばかりの男の人にガチの三角絞めキメて失神させる女の子なんて」
「そんなこと……」
自分で言っていて泣けてくる。長年の稽古で染みついた、反射的に相手を制圧・無力化する格闘マシーンのような自分が恥ずかしい。路上で挑んできた男性5人を1人でボコボコにする女の子なんて普通じゃない、異常だ。
「本当は自分でも恐ろしいんです。身体が勝手に反応しちゃって、気づいたら相手を倒してる」
野蛮で凶暴なこの身体。一度ファイトが始まれば機械みたいに正確に、反射的に無感情に次々と技を決めて相手を仕留めてしまう。
「わたしだって放課後に友達とおしゃべりして、休日は可愛い服着て街に出かけて、スイーツ食べながらガールズトークや恋バナに花を咲かせるみたいな。そういう青春を送りたかったんですけどね」
そんなありふれた普通の女の子らしい人生を送りたかっただけなのに。普段は喋るのなんて全然得意じゃないくせに、自分を卑下するときだけつらつらと言葉が出てくるのが実に情けなかった。
「さくらなんて女の子らしい名前、わたしには似合わないですよね。こんな全身凶器みたいなわたしなんか、大っ嫌い……」
大好きな推しに自分語りしていることに自己嫌悪して、この部屋から飛び出してしまいたいと思ったそのときだった。
「似合わないなんて言わないで」
「え?」
「さくらって名前。すごく可愛いし、百合嶋さんに似合ってるよ。ご両親がつけてくれた素敵な名前だと思う」
くれはちゃんは澄んだ目をしてにっこりと微笑んだ。
「だから、その素敵な名前を大切にしてあげて。あなたがそんな風に言わないであげて」
「ありがとう……ございます」
「それにさっきの百合嶋さん、すごく頼りになったっていうか。カ、カッコ良かったし……気味が悪いとか、恐いとか全く思わなかったよ」
「そ、そうですかね?」
くるくると指で髪の毛を回すくれはちゃんは、照れているのか視線を逸らしていた。予想とは異なる反応をするくれはちゃんに戸惑ってしまう。
「百合嶋さんが助けてくれなかったら、今頃取り返しのつかないことになってたかもだし。だからありがとうね、百合嶋さん」
くれはちゃんの指が寄り添うように、そっとわたしの両手を包み込んだ。爪に丁寧に塗られた桜色のネイルがキラキラと反射する。
「いえ、当然のことをしたまでですし」
今までは口では感謝を述べられても、その日以降わたしを怖がってるような人ばかりだったから。しろちゃんと蒼依を除いて、だけど。
わたしの家業の話はさっきしてしまったから、話のネタがなくなってしまった。くれはちゃんの服を洗濯してる間、話すのが苦手なわたしはなにを話していいのか全然わからなくて。でも沈黙には耐えられなかったから、無理矢理口火を切った。
「もう1つ弱音を吐いてもいいですか」
「どうぞ?」
「わたし、最近恋人と別れちゃって。その子のこと、いつまでも忘れられなかったんです」
「その人って、もしかして……女の子?」
「はい、女の子です。彼女でした」
静かな室内でゴウンゴウンと洗濯機の音だけが聞こえる。
「2年生になって新しいクラスメイトから『今いるグループの子たちと釣り合ってない』って陰口を言われちゃって。まさに泣きっ面に蜂って感じで嫌なことの連続でした」
コーヒーカップに映るわたしの表情は相変わらず自信なさげだった。
「そんなとき、いつもくれはちゃんのパフォーマンスがわたしに元気をくれました。動画でも音楽でも、今日のライブだって。だから、くれはちゃんには感謝してるんです。すごく」
くれはちゃんはわたしの話を黙って最後まで聞いてくれていた。それからぽつぽつと話し始めた。
「私の頑張りがあなたの活力になれたのなら、すごく嬉しい。社交辞令じゃなくて本心よ。でもなんで?」
「なんで、っていうのは」
「学校のこととか、彼女さんのこととか。なんでそんな話を私にしたの? 人に積極的に話したいことでもないでしょう。ましてや目の前にいるのはあなたにとって」
くれはちゃんの言うとおりだ。赤の他人にさえ話すのがキツいことを、よりにもよって大好きな推しにするなんて普通じゃないと思う。
「自分語りがしたかったわけじゃないんです。本当はアイドルのこととかプライベートのこととか、いろいろ聞きたいことが山のようにあるんです」
そう、わたしは身の上話をしたかったわけじゃない。推しにそれを話して認知されたかったわけでもない。
「でも自分の弱みを曝け出さずに相手にそういう質問するのって、フェアじゃないかなって」
くれはちゃんは意外そうな顔でぽかんとしてから、時間差で吹き出した。
「ぷっ。フェアかどうかって……面白いわね、あなた」
小動物みたいにくすくすと笑う我が推し。かわいい、まさに天使。
「私からも1つ聞いていいかしら。……恋愛って楽しい?」
くれはちゃんからの質問は意外なものだった。恋愛に興味あるのかな。
「どうなんでしょう……わかんないです、今じゃもう」
「そう、なのね。……ごめんなさい、ヘンなこと聞いてしまって」
「いえ、全然大丈夫ですから!」
それからも、服が乾燥するまでのあいだ、わたし達はおしゃべりすることにした。昨日見たドラマがどうだったとか、最近のファッションがどうだとか、アイドルとは関係のない他愛もない話を。それから口外しない約束でほんの少しだけ今後のアイドル活動の話も聞かせてもらえた。絶対オフレコの、世界中でわたしだけしか聞けない話。
あまりにもこの時間が楽しくてテンションが上がりすぎたからか。柄にもない提案をしてしまった。
「あの、もしよかったら今日泊まっていきます?」
くれはちゃんの返答を待つ間ドキドキが止まらない。
「ごめんなさい。明日も朝早いから帰って準備しないといけないの」
「そ、そうですか……」
ですよねー。よく考えたらキモすぎるでしょわたし! そのあともくれはちゃんとわたしの会話は変わらず盛り上がった。
ガールズトーク中、くれはちゃんは普段見てる以上によく笑ってくれた。もちろんわたしも。彼女のその笑顔は、ファンから神格化されて希望を一身に背負うアイドルのものではなくて。わたしと同い年の、恋や勉強を頑張るただの普通の女の子だった。そしてとうとう、くれはちゃんのスマホが鳴った。
「迎えがきたみたい」
夢のような時間はあっという間に過ぎ去っていき、くれはちゃんの服も乾いて帰る準備ができた。事務所のマネージャーさんが車で迎えにきてくれたみたい。
「楽しかった。こんな風に話を誰かと話したのは久しぶりかも」
帰り際、くれはちゃんは玄関に置いてある写真立てに気づいたようだった。
「その写真、クラスの友達と?」
「はい。いつも一緒にいる子達です」
「すごくいい笑顔してるわ、みんな」
仲良し4人組で撮ったお気に入りの写真だったから、そう言ってもらえて嬉しかった。
ドアを開けると、くれはちゃんは意味深な言葉を残して微笑んだ。
「それじゃ。近いうちに、また」
「あ、はい。じゃあまた」
一歩ずつ遠くなっていく彼女の背中を見て、わたしはふと叫びたくなった。
「くれはちゃん!」
彼女はふわりと振り向いた。
「もしまた何かあったら、わたしが絶対に助けに行きますから!」
本当はもう2度とこうやって対面で喋ることなんてないだろうし、これじゃあまるで推しに何かあって欲しいみたいじゃないか。馬鹿なことを言っているのはわかっている。それでも、わたしの憧れの女の子に幸多からんことを、とエールを送りたくなったのだ。
「ありがとう!」
くれはちゃんはにっこりと笑って手を振ってくれた。
認知はされないだろうけど、くれはちゃんとはこれから先もライブ会場で会える。ステージで輝くアイドルと、それを応援する観客席のファンの関係として。わたしはそう思っていた。




