紅い天使の羽根が舞い落ちた夜
「ふぅ、楽しかった〜〜、最高!」
終演後、大満足な気分でライブ会場を出てから近くのファミレスで夕食を済ませた。
「さむっ」
まだ少し肌寒い春の夜風がびゅうっと吹いたから、持ってきたロングカーディガンを羽織った。ライブの熱がなかなか冷めなかったからあてもなく歩いていると、いつの間にかライブ会場に戻ってきてしまった。
「今日のライブ、本当にすごかったなぁ」
さっきまであれほど熱を帯びていた会場周辺は、夜の静けさの中眠っているように落ち着いていた。
目の前の静かな光景と冷たい夜風が、さっきまでわたしの内側にあった熱を嘘みたいに冷ましていく。同時に、わたしの思考も冷静になっていく。
「いいよなぁ、あの子達は。好きなことやって、歌って踊って可愛い服着ていつも楽しそうで」
もちろんアイドルだってファンに見えない裏では一生懸命練習してるだろうし、辛いことだってあるだろう。それでもわたしのつまらない人生に比べたら、なんて邪な感情を抱いてしまう。
ダメダメ、わたしの悪い癖。パンっと頬を叩いて気持ちを入れ替える。
「離して! 離してったら!」
ふいに聞き覚えのある女の子の悲鳴が聞こえた。ライブハウスの隣にある建物の3、4階にある外廊下。声のした方を見上げると、真っ赤な服を着た女の子が男たち数人に身体を抑えられているようだった。背丈がわたしと同じぐらいで深く被った白のバケットハットにサングラスをしている。
「いやーっ!」
華奢な女の子がジタバタしても、複数人相手になすすべもなく。ライブ会場のすぐ隣だったからわたしは走って建物との距離10メートルぐらいまで近づいたものの、その場に行くには階段を使わないと間に合わなかった。助けに行こうか迷っているうちに、最悪の事態に発展してしまう。
「あっ……」
もみくちゃになっているところ誤って足を滑らせたのか、女の子が1人地上に向かって落ちてくる。あの高さから落ちてコンクリートに叩きつけられたら、骨折で済めば御の字。打ちどころが悪かったら最悪死んでもおかしくない。
「危ない!!」
距離を詰めておいてよかった。わたしは高くジャンプして、女の子が地面に激突する前に両腕でしっかりキャッチした。まるで闇夜の空からわたしの手のひらに紅い羽根が舞い降りてきたような、そんな感覚。
「えっ……?」
お姫様抱っこされた女の子はきょとんとした声を出した。空から落ちてきた女の子をキャッチしたとき、闇夜のなか彼女の顔が見える。サングラスが取れたことで顕になった美しいその顔は、さっきまでライブをしていた女の子その人だった。
「櫻咲くれはちゃん……?」
天から降ってきたのは、わたしの推しだった。
わたしは着地したあと彼女をその場に降ろした。
「ふぅ……。大丈夫!? 怪我してない?」
「すごいすごい! 忍者みたい!」
女の子は能天気にパチパチと拍手している。どうやら無傷のようだった。無事でよかった。
彼女のサングラスは地面に叩きつけられ無惨な姿になっていた。おそらくわたしが彼女をキャッチしなかったら、こうなっていただろう。
「ありがとう。あなた、私の命の恩人ね」
彼女がわたしの両手を握る。やっぱりどこからどう見ても見間違いじゃないと思うんだけど。
「あの、人違いだったらすみません。もしかして、櫻咲くれはちゃんですか?」
「ひうっ!?」
その人はビクッと身体を震わせた。
「やっぱり、本物の櫻咲くれはちゃんだ」
わたしは汗ばんでいた手をくれはちゃんからそっと放す。正直、衝撃が強すぎてまだ目の前の光景を受け入れられていない。まさしく普段スマホや雑誌、動画サイトで毎日のように見てきた櫻咲くれはちゃん本人だ。
「……そうです、ハイ。わたしが櫻咲くれはです」
観念したのか、彼女はとうとうその事実を認めた。近くで見るとよくわかる。髪型は三つ編みで普段とは印象が違うけど、顔の形や芸能人のキラキラしたオーラはそのままだ。
「あの、わたしあなたの大ファンです!」
「え、本当?」
こんなところで生の推しに出会えるなんて。でもそんな運命的な邂逅を喜ぶ余裕はなかった。後方から耳障りな足音が聞こえてきた。
「あの人達! あの人達がわたしをあそこから突き落としたの!」
くれはちゃんはわたしの後ろの方向を指差した。振り返ると、男達が5人立っていた。見た目はあまりドルオタっぽくないというか、有り体に言えばすごくガラの悪い5人組。全員が金属のアクセサリーを大量に着けている。
「いや、君が勝手に足を滑らせただけでしょ。俺たちは別に」
先頭の男は必死に弁解しようとしてるみたいだけど、わたしは頭に血がのぼってきていた。わたしの推しに大怪我させようとしたってこと?
「お願い、私を助けてほしいの」
わたしの背中に顔をうずめているくれはちゃんは震えていた。そんなふうに上目遣いで顔面の良い推しに涙目で迫られたら、断れるわけないでしょ。
「大丈夫だよ、わたしに任せて」
きょとんとしたくれはちゃんをわたしの後ろに下がらせる。
華奢な女の子2人相手に野蛮で屈強な男性5人。普通であれば女子高生にとって明らかに危険な状況だ。そう、普通だったらね。
「食後の軽い運動くらいにはなるかな」
「何言ってんのキミ……おごっ」
喋ってる途中に、一番近くにいた男の股間を左足で蹴り上げた。瞬間、1人目の男は下腹部を抱えて膝から崩れ落ちた。
これが百合嶋流剛柔術・ふぐり潰し。ふぐりとは陰嚢の古語。ちなみに今は手加減しているけど、本気でやるときは名前通り睾丸を潰すぐらい強く蹴る。
「へっ?」
目の前で仲間が倒れたことに呆然とする2人目の不意を突く形で、わたしの右ストレートが顎を的確にとらえる。スコーンって良い音がして一閃、2人合わせて数秒かからずに失神させた。
「こっち、ついてきて!!」
「ちょ、ちょっと!」
二度とこんな悪さができないように、この人達を徹底的に叩きのめしたかった。だけど闘いにおいては、怒りこそが判断を鈍らせる。わたしは機械みたいに感情のスイッチをオフにして、目の前の状況を客観的かつ定量的に分析した。
わたしの復讐心よりもまずは推しの安全が優先だ。わたしは冷静に損得勘定した上で行動の方針を決めた。その結果、くれはちゃんの細い手を取って全力で駆け出した。
「おい、ちょっと待てよてめぇ!」
倒れてない残りの3人はすぐ追ってくることはせず、地面に這いつくばってる気絶してる仲間2人の安否を確認してるみたい。だけど、多分しばらくの間はノビて動けないと思う。
誰かに殴ったり殴られたりなんていうのは、野蛮だし好きじゃない。でも今はわたしの流儀がどうとかそんな悠長なことを言っている暇はない。推しを護るためだったらしょうがないよね。
時々後ろを振り返ってさっきの暴漢達が追ってきてないか確認しながら、できるだけ人の多いところを探してわたし達は逃げた。




