side 紅羽:その涙の理由(ワケ)
さくら達がいなくなった後、紅羽はアプローチを続けていた。当初の目標であった俳優と1対1で対面し、遊歩道から帰ってようやく雰囲気が良くなってきたそのときだった。このままいけばみんなの仕事も取れると喜んだのも束の間、すごい音と共に館内に黒ずくめの男達が数十人入ってきた。
「なに? なんなの!?」
出演者達も驚きを隠せない様子で、撮影班も動揺しているのがわかる。襲ってきた集団のなかに、さくらと初めて出会った夜に見た顔がちらほら混じっていたのを紅羽は見つけた。
「はーい、皆さん静粛にー。大人しくしてたら命までは奪わないからねー」
撮影班はもちろん、参加者達の中にも誰一人この状況に対抗できる者はいなかった。みんな言われるがままに、まるでニュースで見る捕虜みたいに身体を拘束されていく。もちろん紅羽も例外ではなかった。口元はテープで塞がれ、手首も縛られてとても自力では解けそうにない。
「ん? お前どこかで」
自分を拘束した男に好奇な目を向けられたが、まともに相手しちゃ駄目だと紅羽は目線をそらした。スマホも没収され、助けを呼ぶ手段も無くなった。
誇張抜きで死ぬ可能性が出てきたと紅羽は絶望した。窓の外の青空が虚しく見える。
自分の人生にはやり残したことが多すぎる、と紅羽は思った。アイドルとしてもまだ大成してないし、お母さんとの関係もギクシャクしたままだ。
それに、わたしは絶対にお父さんともう一度会うんだから。こんなところで終わってたまるか。
これまでの人生で起こった出来事が浮かんでは過ぎ去っていくなか、最後にさくらの笑顔が浮かんだ。
(助けて、さくら……)
紅羽の目から溢れた涙がぽたりと落ちる。いよいよ万事休すかと思ったそのとき、バリバリバリと雷鳴のような耳をつんざく音で紅羽の身体がビクッと反応した。
弾丸みたいに飛び込んで窓ガラスを割って入ってきたその人こそ、紅羽を推してる女の子百合嶋さくらだった。まるで映画みたいな光景に紅羽は目を大きく見開いた。
ガラスの破片が飛び散っているなか、さくらは受け身を上手くとって無傷で立ち上がる。
「いたたた……やっぱり鈍器とかで先に割ってから入った方が良かったかな」
直後ドアが強く開かれ、篁を先頭に襲撃犯達と同じかそれ以上の人数の大人が突っ込んできた。
虚をつかれた襲撃犯達は一瞬動きが硬直したが、さくらはその一瞬を見逃さなかった。数人の男をあっという間に最小限の動きで無力化していく。
やがて篁達増援との混戦になり、その隙にさくらは紅羽の拘束を解いた。
「紅羽、怪我してない? もう大丈夫だから、安心して」
さくらは紅羽の口元に貼られたテープを剥がした。
「さくら……。怖かった、私怖かったよう」
「だから言ったでしょ。必ず助けに行くって」
刃物で切らなければ解けないと思った手首のロープも、さくらは素手だけでしゅるしゅると解いた。まるで手品みたいだと紅羽は思った。
「げっ、お前あのときの怪力女!」
男は驚いた顔でさくらを指さした。
「え、どこかで会ったことありましたっけ?」
「この間の恨みーーッ!」
男は叫びながら警棒でさくらに襲いかかったが、素手で防がれカウンターの右ストレートで即失神した。初めて出会った夜と同じように、さくらは紅羽にふりかかる問題をいとも簡単に解決してみせた。
「ここは大丈夫だから、もう安心して」
さくらがそう言いかけたとき、轟音と共に火薬臭い匂いが館内に充満した。間違いない、これは銃声だと紅羽は思った。
「キャーーーー!!」
「動くな!!」
女性の悲鳴が聞こえた直後、2回目の銃声と共に怒声が聞こえた。
「こっちに来るな! 来たらこの女の頭をこいつで撃ち抜く」
「ひっ……」
撮影中にさくらと蒼依から集中砲火を浴びていた、恋愛リアリティショーで参加者達の中心人物だった女優。紅羽自身も大勢の前で責められて嫌な思いをさせられた相手だ。そんな彼女が鬼気迫る表情で蒼依のこめかみに銃口を突きつけている。
「おら、とっとと来い!」
襲撃犯達の持ってきた警棒やらバットやらとは比べ物にならないエモノを持ち込んできたからか、その場の誰もが蒼依が攫われるのを黙って見ているしかなかった。
「蒼依ーー! 蒼依ーー!」
「さーちゃん、今はまだ……」
茉白がさくらを必死に抑えていたのも無理はない。たとえさくらでも丸腰で銃火器に挑むなんて無謀すぎる。さくらの叫び声は無情にも届かず、蒼依は拐われてしまった。
蒼依の姿が完全に見えなくなったあと、さくらが膝から崩れ落ちた。
「わたしのせいだ。わたしが蒼のそばから離れたから……」
「さーちゃんの最優先は朝比奈さんなのだから仕方ないわ。あなたのミスじゃない」
「蒼依にもしものことがあったら、わたし……」
さっきまであんなに頼りになったさくらが一転してとても臆病な女の子になっている。紅羽はそのギャップに戸惑った。
「わたしっていっつもこう。肝心なところで最後に全部ダメにする。蒼依と付き合ってたときだって!」
さくらは顔を押さえて涙をポロポロ流した。
「だからあなたのミスじゃ……」
「しろちゃんみたいに賢くないし、紅羽や蒼依みたいに真剣に打ち込んでるモノもない。ほんとにただ暴力が、人殺しの技が上手なだけの、人として最低の欠陥品。こんなわたし、大っ嫌い……」
そのときピシャッと氷水をかけたような音がこだました。茉白がさくらの頬を平手打ちしたのだ。
「しっかりしなさい、百合嶋さくら!!」
普段お淑やかで(蒼依以外の)誰にでも優しい茉白が、めずらしく大きな声を出して真剣な表情で怒っている。それも普段激甘なさくらに対して。
紅羽は驚いたが、同時にそれは愛の鞭だと思った。幼馴染として長い間、喜び喧嘩しあって紡いできた繋がりの強さのように見えたからだ。
「さーちゃん、あなたはわたくしに1つ嘘をついたわね」
「なにを言って」
さくらにとって茉白にぶたれた痛みは大したことないはずなのに、それでも母の拳以上に心に強く深く突き刺さった。頬の痛みから茉白の優しさや慈しみの気持ちが流れ込んでくるような気がしたから。
「未練なんかないとか言っていたけれど、まだ森薗蒼依を諦めきれないんでしょう。どうしてそんな嘘をついたの」
それを聞いた瞬間、紅羽はなぜか胸に痛みを感じた。
「違う! わたしはただ」
「あなたの控えめなところ、すごく好き。でもね、あなたが周りに遠慮して苦しんでる顔なんてわたくしは見たくないの」
茉白はさくらの両手を慈悲の心で優しく包み込む。幼少期からみんなと遊ばずに厳しい修行ばかりしてきたであろう、固くなったさくらの指先に直に触れる。
「きっとどれだけ綺麗な言葉を並べても、わたくしではさーちゃんが味わってきた辛さに寄り添えない。けれど、それでも」
自分には伝えなければいけないことがある、茉白はそう決心して言葉を紡いだ。
「いい? さーちゃん。あなたは無力なんかじゃない、ましてや弱虫でもない。あなたには誰かを護れる力があるの、他の人にはない特別な力が」
「特別な、力……?」
「あなたがこの力をどんな過程で手に入れたのかも、あなたがこの力についてどう思っているのかも関係ない」
力そのものに善悪はなく、力はただそこに存在しているだけ。力の良し悪しを決めるのは、使う側の人間なのだから。
「大事なのは今この力をどう使うか、それだけよ。さーちゃん、あなたはこの力の正しい使い方を決められるの」
茉白はさくらの目をまっすぐ見て訴えた。
「あなたの強さは、その肉体でもましてや人殺しの技術なんかでもない。あなたの本当の強さはその誰よりも繊細で優しい心、わたくしはそう信じてる。だからあなたは、自分が正しいと思ったことをやりなさい」
「しろちゃん……」
「篁!!」
「承知しました、お嬢様!」
周りの乱闘騒ぎが続くなか、主の声に呼応してすぐさまスーツ姿の使用人が現れる。
「ここはわたくし達が護るから大丈夫。だから行って、さーちゃん!」
篁もさくらを見てこくりとうなづいた。紅羽は胸の前で祈るように手をぎゅっと握った。
「さくら、森薗さんをお願い! 私のときみたいに彼女を助けてあげて!」
2人の友達から鼓舞されたさくらは涙を拭ってもう一度立ち上がった。
「ありがとう、しろちゃん! 気合い入った!」
さくらは茉白に笑いかけ、それに応じるように茉白も満足そうに笑った。
「紅羽、必ず蒼依を連れて帰ってくるからね!」
「お願い、さくら……!」
ようやくさくらは出会ったときの頼もしい女の子に戻ったのだと紅羽は思った。しかし駆け出したほんの一瞬だけ、今まで見たことのないぐらい不安そうな表情が垣間見えた。そんな取り乱したさくらを見て、紅羽はさらに一層胸の痛みを感じた。
私には一度も見せたことのない、さくらのあんな必死で鬼気迫る真剣な表情。紅羽はあんなに慌てたさくらを今まで見たことがなかった。
私はあなたの推しなんでしょ? デビューライブから応援してくれてるって、私が一番好きなアイドルって言ってたじゃない。なのになんで、森薗さんにだけそんな表情をするの? どうしてその顔を向けるのが私じゃないの?
「朝比奈さん、大丈夫? どこか痛いの?」
さくらが去ったあと茉白に指摘されてようやく、紅羽は両の目から再び涙が溢れていたことに気づいた。
「あれ、私なんで泣いてるんだろう。あはは……」
茉白が震える紅羽をぎゅっと抱きしめた。茉白の胸のなかでさくらと似たような温もりを感じる。嗅いでいると安らげる、上品ないい匂いがする。
「怖い思いをしたのだから当然だわ。でも、もう大丈夫よ」
違うよ。違うの、有栖さん。私が泣いているのは怖いからじゃないの。恐怖の感情はさっきさくらが消し去ってくれたから。そうじゃないの。森薗さんが命の危険に晒されているのに、今嘆くべきことはそれ以外ありえないのに。
「ここには篁も、有栖の精鋭達だっているのだから。あなたの身の安全は保証されているわ」
その言葉は暗に、さくらが自分の身の安全を捨て去ってまで必死に求めるモノがあったことを示していた。
「あの子達を追って! カメラを止めないで!」
「でも今はそんなことしてる場合じゃ……」
「いいから!!」
一瞬外野が騒がしくなったが、紅羽の耳には全く入らなかった。
「お嬢様、さくら様なら大丈夫です。あのお方は私よりもずっとお強いのですから」
「そうね、そうよね……」
茉白の胸に顔をうずめていると、彼女の心臓の鼓動が聞こえてきた。それは明らかに速いものだったので、茉白も不安なのだと紅羽は容易に感じ取れた。
「大丈夫、大丈夫よ。さーちゃんなら絶対……」
まるで自分にそう言い聞かせるように、茉白は同じ言葉を繰り返していた。
紅羽が上を見上げると、天井の眩しい照明が紅羽の瞳に差し込んできた。ああ、そうだったんだね。やっとわかった。私、本当は……。
そのとき紅羽はようやく、この得体の知れない涙の理由を理解したのだった。




