第3話 帝国に「初めまして」を
列車に揺られること幾日――。
私の体は国境を越え、ゲルマニア帝国の領土にあった。
流れゆく異邦の地の光景を眺めながら、私は父から渡された旅行かばんを撫でる。
「失礼いたします、マドモアゼル。当列車はまもなくブランデンブルクに到着いたします。ご荷物の用意をどうぞよろしくお願いいたします」
「あら、もうそんな時間なのね。快適な旅であったわ」
財布から紙幣を一枚出し、私はボーイにチップを渡す。
額面は一万グルテン、だいたい彼の一週間分の収入に相当する額面だ。
恭しくチップを受け取った彼は、次の客室へと案内に回っていく。
それから30分ほど経った後、列車はブランデンブルク中央駅に入線した。
私は車掌から偽造パスポートを受け取り、ゲルマニアの地を初めて踏む。
その時、改めて私は亡命してきたのだと、そう感じさせられた。
長く伸びたホームを、私はただ一人で歩く。
改札を出たところで私はトランクを受け取り、駅舎の外に出る。
そこは初めて見る街並みであったが、妙な心地よさがあった。
(この街並み……そうか、ベルリンに似ているのか。それも、戦争前の美しい……)
生まれた時から抱いてきた、もう一人の自分の記憶。
パウル・フォン・ヒンデンブルク……それが、地球での私の名前であった。
87年、帝国の終焉と共和国の混乱に揉まれたその人生が、私には生まれた時から刻まれていた。
「――久しぶりだね、アリス君」
感傷に浸っていると、背後から声を掛けられた。
振り向くと、そこに立っていたのは一人の初老の男性。
サヴォイア公オイゲン、父の往来の友人で会った。
「お久しぶりでございますわ、プリンツ・オイゲン様」
「ははっ、プリンツ・オイゲン様とな。昔の通りオイゲンと敬称抜きで呼んでくれても構わないのだぞ? というよりそう呼んでほしい」
「……承知しました、オイゲン様。本日はこうして私を受け入れてくださり感謝申し上げます」
「構わないさ。君の父は同じ釜の飯を食べた友だからね。ささ、立ち話もなんだ、あとは屋敷で話を聞こう」
私はサヴォイア公に連れられ、用意されていた黒塗りの車に乗り込む。
車はブランデンブルクの市街地を縫うように走り、時折町の喧騒が聞こえてきた。
その様子は、ルテティアよりも幾段も活気があるように見えた。
車は10分ほど走った後、貴族街の一角の邸宅の前で止まった。
その邸宅こそが、私が亡命先としてお世話になるサヴォイア公の住居であった。
宮殿のような外観から『小宮殿』の異名を付けられている邸宅を見上げる私を、サヴォイア公は面白そうに眺めていた。
「すごく立派な邸宅ですね。オイゲン様の栄光を映し出しているようです」
その言葉に、サヴォイア公は笑いながらこう言った。
「はは、立派な邸宅か。君の家と比べたらこんなもの大したことないと思うのだがね。ロートシルド家に金では誰も勝わんよ。……おっと、今の君はフォン・ヒンデンブルクだったね。気を付けるとしよう」
サヴォイア公はそう言い、私を家に招き入れる。
私は用意された部屋に自分の荷物を置き、サヴォイア公が待つ書斎へと向かう。
書斎で待っていた彼は、わざわざ淹れてくれた紅茶を私に勧め、椅子に座るように促した。
「さて、話は大方アンゼルムから聞いているし、それ以上の詮索をするつもりはない。この館では好きに過ごしてくれたまえ」
「多大なるご配慮、感謝申し上げますわ」
「そして君から要望にあった例の物も用意させている。ただ……本気か?」
サヴォイア公はちらりと後ろを見て、マネキンに着せられている服を見る。
マネキンに着せられているのは、令嬢の華美なドレスとは真反対の、武骨な軍服だ。
私は軍服を一瞥した後、サヴォイア公に笑みを向けて言う。
「もちろんですわ、オイゲン様。私はこのゲルマニアでは、軍人として生きていく所存でございますわ」
「……何も無理をしなくても、ただこの館にいるだけでもいいのだぞ?」
「なりませんわ。亡命した私が祖国を救うために、どうしても必要なのですわ」
「そうか、君の意見は尊重する。君がしたいというのであれば私に止める権利はないさ。受け取りなさい」
仕立ての良い軍服を受け取り、私は部屋へと持ち帰る。
そして来ていた豪奢なドレスを脱ぎ、私は軍服に袖を通した。
鏡を通して見える私の姿は、本来自分があるべき姿のように思えた。
私は、前世ではドイツのドイツの陸軍元帥であった。
軍服に袖を通すということは、今までの仮初の令嬢の姿を捨てるということ。
その行為自体が、本来の自分への回帰を意味しているであった。
前世の経験で、私は革命下のフランスの鎮圧に参加したことがある。
その経験は、未曽有の革命の恐怖にさらされている祖国ガリアの救援にも役立つかもしれない。
そう考えた私は、自ら志願して軍に入ることを選んだのであった。
勿論元が老将軍といえど、今は貴族のいち令嬢だ。
身長が190cmと高いが、それ以外の部分では男性に体格や体力で負けるだろう。
だが、脳では誰にも負けていないつもりだ。
そこで私は、陸軍の士官学校を受験することにした。
男女不問、実力のあるものであればだれでも受け入れる、そんな風潮がこの国にはある。
その風潮は、今の私に最適であった。
(陸軍大学校の試験は確か明日……疲れがたまっていると判断に影響を及ぼすだろう。今日は最低限の荷解きをして眠りにつくとしよう……)
私はそう思い、ある程度片づけを終えたところで就寝する。
その時の私は、生涯の関係となる人間に初めて出会うこととなるとは思ってもいなかった。
――そしてそれが、出会いではなく『再会』であることに気が付くのは、もう少し先のお話。




