第25話 希望と栄光の国
事件の翌日、ロッキンガム宮殿の一室。
柔らかい何かに包まれているのを感じながら、私は身を起こした。
陽光がカーテンを通して、部屋を優しく照らしている。
意識が戻ると同時に、私の左腕には鋭い痛みが走った。
左腕を見てみると、白い包帯がぐるぐる巻きにされ、首に固定されている。
そしてその包帯の上には、血が染みた真っ青なサッシュが、勲章とともに巻き付けられていた。
ベッドから身を起こした私は、窓辺に近づいて外の景色を眺めようとする。
丁度部屋は建物の正面を向いており、窓からは正門が見える位置であった。
そしてそこには大勢の群衆がおり、なにやら私を見ては盛大に手を振っていた。
「アリス様、目が覚められましたか」
私が窓越しに手を振っていると、部屋の扉が開かれる音がした。
音のする方向を見てみると、そこには白衣に身を包んだ医者がいた。
彼は安堵の表情を浮かべながら、こちらに近づいてくる。
「……あなたは?」
「自己紹介が遅れて失礼しました。私の名前はジェームズ・リード。女王陛下のもとで主治医を任されているものです」
「あなたが私の手術を担当してくださったのかしら。傷は如何ほどで?」
「弾の当たった場所が幸いし、大事に至ることはないでしょう。しかし今は安静にしていただくことが肝心です。あまり動かれない方がよろしいかと」
ジェームズは置いてある水瓶から水を注ぎ、私に渡す。
それを受け取った私は、気を失っている間に乾いていた喉を潤した。
そしてもう一度窓の外を見て、私は彼に尋ねる。
「宮殿の外にいる彼らは?」
「彼らは皆、アリス様の容態回復を祈っているロンディニウム中の市民たちです。昨日からああしていますよ」
「それは申し訳ないわね。私は無事だと示したいのだけれど」
「……少しだけ、バルコニーに出られてはいかがでしょうか?」
そう薦めるジェームズに連れられ、私はバルコニーに向かう。
そしてバルコニーに立った私は、その群衆の多さと熱意に圧倒された。
タンネンベルクの英雄と評された前世でも味わったほどの熱狂ぶりであった。
「昨日より新聞各社はアリス様の英雄的行動でもちきりです。ロンディニウム、いえブリタニアの国民でアリス様のことを知らない人が存在しないほどに」
「本来は女王陛下が主役となるべき祭典で私が注目を集めてしまうことは、何とも申し訳ないことです」
「陛下はそのようなことを気になさるお方ではございません。むしろアリス様の献身に感謝しておられました、今は、国民の思いにこたえ、主役であってください」
少しためらいながらも、私は集まった群衆に敬礼を行う。
すると、彼らの中から自然と歌が聞こえ始めた。
それは波のように全体に広がり、宮殿を覆うほどの大きさの合唱に発展した。
”Land of Hope and Glory, Mother of the Free,
How shall we extol thee, who are born of thee?
Wider still and wider shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty, Make thee mightier yet,
God, who made thee mighty, Make thee mightier yet!”
その騒ぎを聞きつけたのか、廊下があわただしくなってきた。
ジェームズもこれ以上は外にいない方がよいと進言してきたので、私は宮殿の中へと戻る。
バルコニーから戻ると、そこにはヴィルヘルムがいた。
「ヴィルヘルム殿下。お怪我はございませんか?」
「当たり前だ。私が受けるべき傷を貴官が受けたのだから。全く、死んだらどうしようかと……」
「……アリス様、まだ手術したてですのでいったん部屋に戻りましょう」
ヴィルヘルムは私の左側を支えるように立ち、連れ添って歩いた。
眠っていた部屋に戻ると、私はベッドに横になる。
そして私が目覚めたためにまだ確認していなかった、術後の経過の診察を始める。
その様子をヴィルヘルムは見守っていたが、問題なさそうだと言われると彼は胸をなでおろした。
そしてジェームズは一旦部屋を離れると言い、静かに部屋から出ていった。
そして先ほどまで彼が座っていた椅子に、ヴィルヘルムは座る。
「ヒンデンブルク、なぜあのような真似をした?」
「……私はまだ若き頃、こう宣誓しました。『私は、全知全能の神にかけて誓います。私の最高総司令官であるプロイセン国王陛下に、いかなる戦況、陸上、海上、その他いかなる場所であっても、忠実かつ誠実に奉仕すること。軍律を厳守し、常に勇敢な兵士として行動し、神と私の名誉にかけてこれらを全うすることを。神よ、我が支えとなり給え。アーメン』と。その宣誓の通りに行動したにすぎません」
「忠誠宣誓か。それはもはや空虚な観念に過ぎないとグレーナーは言っていたが、やはりプロイセン軍人の中には生き続けているのだな」
「その通りです。私は陛下に使える軍人として、身命を賭して陛下をお守りする義務がありました。誓いはまだ生きているのですから」
ヴィルヘルムは感極まったような表情で私の顔を見て、嬉しそうにうなずく。
だが彼の目が私の左腕に移った時、彼の表情は曇った。
彼はその申し訳なさそうな顔で、私に向かって言う。
「その、助かったとはいえ余は令嬢の体に傷をつけることになってしまった。本当に申し訳ない」
「何を言っているのです、陛下。私の体は確かに令嬢ですが、中身は肥えた老将軍です。誰が軍人の体に傷がつくことを躊躇うでしょうか。それに陛下とはお揃いではありませんか」
「だから申し訳ないのだ。余と同じ目に合わせることは……」
「ならばご教授願いましょう。この体でも美しく立ち振る舞う方法を」
私がそう言うと、ヴィルヘルムは嬉しそうに微笑んだ。
その表情は、自分が隠してきたことを初めて他人と共有できる嬉しさに満ち溢れている。
その後あれもこれもと教えられ、すこし疲弊したのはまた別のお話。




