第19話 出立の日
「……ブリタニア、ですか」
皇帝から告げられた、突如のブリタニアへの外遊。
それも、ヴィルヘルムの付き添いとしての外遊とのことだ。
陛下の意図はわかりかねるが、大方ブリタニア嫌いの彼の補助をしてほしいのだろう。
「知っているかは分からないが、来月にブリタニア女王であるヴィクトリア1世の即位50周年記念の式典がある。そこにヴィルヘルムも孫として呼ばれていてな……それも父や母と同じく」
ヴィクトリア1世――それはブリタニアの女王にして帝国繁栄の象徴。
今世紀のブリタニアの隆興は、巷では女王陛下の世紀とたたえられていた。
そんな彼女を祖母に持つヴィルヘルムであるが、ブリタニアのことは好いていない。
これは昔のヴィルヘルムの育った環境にも由来し、彼は母から虐待に近しい扱いを受けていた。
そして彼を取り巻くのが軍部の人間であったこともあり、リベラルなブリタニア、そしてその傾向の強い父王太子や母には嫌悪感を示すようになった。
それを今世でも引き継いでいるのは、彼との会話から容易に想像できる。
「ブリタニアは我が帝国と同じくして、ガリアとノヴゴロドを敵に持つ関係。それにブリタニアは現在世界で最も勢いのある国だ。そんな国を敵に回すのは余としても望んでいないし、できる限り友好関係を築いていたい」
「……恐れながら、それは陛下のお考えでしょうか? それとも宰相閣下のお考えですか?」
「どちらでもある。あの宰相は確かにガリアを孤立させる政策にこだわっておるから、ブリタニアは何としても味方に引き入れたいと考えておる。そして余も、我が息子の嫁家族と面倒ごとを起こすことは望んでおらん。何の利益もなかろう?」
「おっしゃる通りでございます、陛下」
宰相に良いように扱われてる駒、我らの良き老皇帝――。
ヴィクトリア1世の評判に対して、ヴィルヘルム1世の市井からの評判はそんなものであった。
しかし、噂とはやはりあてにならないものだ。
「孫はどうも不満を周りにあたる癖がある。よくコントロールし、できれば親ブリタニアにしてほしいものだ。もちろんそこまで求めるとは言わんが」
ヴィルヘルム1世はそう言い、にこやかに微笑む。
その顔には、前世の主君――名前も同じヴィルヘルム1世のことが思い起こされた。
思わず口角が上がったのを紛らわすため、私は紅茶に口を付けるのであった。
◇
ヴィルヘルム1世との会談から一月ほどが経過したとある日。
私はブランデンブルクを離れ、北海と呼ばれるその名前の通り帝国の北方にある海に面する港町、レーゲンスハーフェンのホテルにいた。
ホテルの窓から顔をのぞかせると、港には真っ白な船と数隻の濃灰色の艦艇が停泊しているのが伺える。
私は荷物をまとめると、置き鏡を覗き込む。
そこにあるのは、いつもの軍服姿の私ではなく、華麗なドレスに身を包んだ姿だ。
さすがに他国に行く際に軍服を着ていては不審がられるから、軍服は避ける選択をした。
父から譲り受けたカバンを携えて、私はホテルの部屋を出る。
胸に輝くロケットペンダントが小気味良く揺れ、私はそれをそっと胸の内にしまう。
そしてホテルを出ると、海から吹き付ける潮風が私の頬を優しくなでた。
私は、ホテルの部屋からも見えた白い艦艇へと足を進める。
その周りには遠目にも人が集まっているのが分かる。
彼らは今回、ヴィルヘルムやその父母に同行する外交官や武官たちだ。
「ヒンデンブルク伯爵令嬢様ですね。お待ちしておりましたよ」
私が桟橋まで行くと、軍人の一人がにこやかに話しかけてくる。
着ている軍服からして、ヴィクトル大尉と同じ近衛兵だろう。
そう思い会釈していると、ちょうど後方からそのヴィクトル大尉が姿を現した。
「ヴィクトル大尉。お久しぶりです」
「オイゲン少将のお宅で会って以来だね。アリス君、いやヒンデンブルク嬢」
「いつも通りで構いませんよ、大尉」
「そういう訳にもいかないんだが……まあともあれヴィルヘルム王子殿下がお呼びだ。行って差し上げなさい」
わざわざヴィクトル大尉に伝えなくとも今から行く……。
久しぶりの海軍ということで、ヴィルヘルムもテンションが上がっているのだろうか。
彼は、昔から海軍には並々ならぬ情熱を注いでいたから。
「おお、よく来たヒンデンブルク」
ヴィルヘルムはいつもとは異なり、海軍の軍服を着て甲板に立っていた。
そんな彼は、ドレスを着ている私の姿を不思議なものを見るような目で見てくる。
いまさら私の姿に驚くことはないだろうに――。
「ま、まあ。ところでヒンデンブルクよ、この船はどうだ? 装甲艦カイザー・デア・グローセは」
「素晴らしい艦であると思います。白亜の船体が、帝国の優雅さと威厳をよく示しているかと」
「その通りだ。ただ、ホーエンツォレルン号に比べれば優雅さでは劣るがな」
軍靴をコツコツと鳴らしながら、ヴィルヘルムは甲板を歩き回る。
彼はかつて自分が手塩にかけて育てた艦隊に思いをはせながら、同時に苦々しい記憶を思い出していた。
ふうと一息ついた彼は、私の目ををまっすぐに見つめる。
「貴官はこの間、ブリタニアとの融和を説いたな。おじいさまがこうして随伴させたのも、余に改心させるためであろう?」
「……」
ヴィルヘルムは確信を持った口調でそう尋ねる。
その言葉に私は何も返さない。
沈黙を貫く私を見つめながら、彼は小さく自虐的に笑った。
「沈黙は肯定と受け取るぞ。……余も久しい以前から分かってはいたのだ。ドイツとイギリスは対抗するべきではなく協調するべきであったと。その意味ではビスマルクの政策も正しかった。しかし私の、皇帝としてのプライドが許さなかったのだ」
「……」
「しかし今世には、ホーエンツォレルン家のヴィルヘルムとしてのしがらみは何もない……。変わることが出来るとすれば今であろう。ヒンデンブルクよ、余は変わることが出来ると思うか?」
「陛下が望めばいつでも」
そうか、とヴィルヘルムは小さく言ってその場を離れていった。
その背中は、葛藤が渦巻く彼の感情が透けて見えるようであった。
私は手すりに体重を預けて、地球と何一つ変わらない青くきらめく海を眺めた。




