第15話 帰国
ヘルベルトの公務の終了に伴い、私もゲルマニアに帰ることになった。
私の留守中もこれまで通り働いてくれるよう、爺らと別れを告げて列車に乗り込む。
そんな私の帰りの荷物には、シーレから貰った絵が加えられていた。
「ほう。銀行家令嬢らしく絵を買ってこられたのですか。大変結構」
「買ったのではなくいただいたのですわ。私の小切手を断って」
私はそう言いながら、ヘルベルトに絵を見せる。
その絵——シーレは『宮殿と泉』と呼んでいたその絵に貼られた金箔が、シャンデリアの光を反射してきらきらと輝く。
その絵を見た彼は、ほうと口ひげを撫でながら言った。
「シーレか。最近のヴィエンヌで有名な分離派の画家だな。皇帝の覚えもいいとか」
「それはどうでしょう? 私は裸婦の絵ばかり描くものだと聞かされていましたが」
「それでもパトロンになろうとしたんだろう? 私はどうも芸術というものに対する理解が乏しくてな。よければ君の芸術に関する見解を聞かせてくれるかい?」
私は前世、武骨な軍人であったころには芸術や文学には関心を持とうとしなかった。
だが今世では、生まれの影響もあってかは分からないが芸術というものに対する関心が湧いていた。
そして私の目は、過去の記憶と溶け合って芸術に対する一つの答えを見出していた。
「……ある人の言葉を借りて答えさせていただきます。『芸術こそ至上である。それは生きることを可能ならしめる偉大なもの、生への誘惑者、生の偉大な刺激剤である』。それが答えです」
「随分と難しい言葉遣いだ。誰の言葉だい?」
「……古く、遠き異国の哲学者の言葉です。昔は受け入れられませんでしたが、今となってはその大切さがわかるようになりました」
「なるほど……ね。随分と長く生きているような物言いだが、銀行家に生まれるとそうなるのかね」
ヘルベルトは、あまり興味がなさそうに絵を見つめる。
きっと私も、前世であれば同じような反応をしていただろう。
かつての自分を見ているような気分になっていると、ヘルベルトは思い出したように言った。
「そういえば、ヴィルヘルム王子殿下はこういった類の芸術がお嫌いであったはずだ。たしか……ドブネズミ芸術と形容していたな」
「……あの人らしい。昔からそうだったかしら」
自分を誇大に扱い、周囲に威張り散らかしていた陛下。
そんな彼は、今でも内側はあまり変わっていないだろう。
私も立場を変えることなく、性別も元のままであったらそうであったかもしれないな。
私は絵を見つめながら、その世界に意識を深く溶け込ませる。
頭の中を駆け巡る様々な前世の光景、それは今の私には違った意味を持つように感じられた。
そうしている間に列車は、再びブランデンブルク中央駅へと戻っていた。
◇
ブランデンブルク中央駅で、私はヘルベルトら外交官一行と別れる。
そして絵を持ったまま駅舎を出ると、そこには車の前で待つサヴォイア公がいた。
彼は私が抱える絵に驚きつつ、車に載せるのを手伝ってくれた。
「随分と大きな買い物をしたんだな。絵か」
「買い物ではないですわ、貰い物です。たまたまカフェで出会ったシーレという画家と打ち解けまして」
「シーレの絵をタダでもらったのか。君も随分とセンスがいい、そして君と仲良くなることを選んだシーレもセンスがいい。さすがはアンゼルムの娘だ」
サヴォイア公は、芸術を愛することでも知られている文化人だ。
車の中で、私は彼の芸術に関するうんちくを聞かされ続けた。
そして彼の話が止まるころ、車は彼の屋敷——ではなくなぜか王宮の前に停まっていた。
「オイゲン様。私は家か士官学校に戻るのでは?」
「ヴィルヘルム王子殿下たってのご希望だと聞いている。もうひと働きしてきなさい」
サヴォイア公は手を振り、王宮に消えていく私を見送る。
絶対に何かを勘違いしている彼だが、私は仕方がなく王宮の廊下を歩く。
陛下が身勝手なのは、今に始まったことなのではないのだから。
「よく帰ってきた、我が元帥よ」
「陛下、オイゲン様が何か勘違いしております。士官学校で報告でもよろしかったのでは?」
「そんなことをサヴォイア公は考えているのか。しかし余と元帥はあくまでも君臣関係、姿は変わろうと本質までは変わらん」
「……おっしゃる通りです」
ヴィルヘルムは、左手をポケットに入れたまま嬉しそうに話す。
私は相槌を打ちながら、彼に勧められて椅子に掛けた。
そしてまた前と同じように彼は酒をグラスに注ぎ、私の前に置く。
私はエスターライヒでまとめておいた、具体的な融資に関する書類を提出する。
ヴィルヘルムはその書類を受け取ってから、書かれている数字をしげしげと眺めた。
そして彼は満足そうに書類を机の上に置き、私の手を取った。
「素晴らしい、さすがは私の元帥だ! これだけの融資があれば軍や関係する企業に十分な投資ができるな!」
「お役に立てたようで何よりです。もっとも、その金は私が直接苦労して稼いだものではございませんが」
「ちなみに、これがベティッヒャーが提示してきた金額だ。元帥が用意してきた予算はベティッヒャーの要求よりも一つ0が多かったようだな」
ヴィルヘルムはそう言い、100億グルテンと書かれた小切手を渡してきた。
100億グルテン、その数字は当時のドイツ帝国の国家予算の半分に相当する。
この金額であれば、内務省が内密に処理することができるだろう。
私はその金額を確認し、ヴィルヘルムに返還した。
彼はその小切手を受け取りながら、何に投資しようかと妄想を語る。
その中で、彼は前世と特に変わらない構想を提示した。
「この金を、余は海軍の増強に使うぞ。今世でも忌々しいことに、イギリスと特に変わらんブリタニア帝国が海を掌握しておる。しかも母上の出身地ときたではないか」
「……ならば、前世のように海軍増強で立ち向かうのではなく、融和を目指した方がよろしいのでは? それに、また水兵が反乱を起こしますよ」
「それは……。分かった、この金はベティッヒャーと相談して使うことにしよう。そもそも、今の余にはそれほどの裁量権はないのであったな」
ヴィルヘルムはそう言いながら、小切手を引き出しにしまった。
ブリタニア帝国——ゲルマニアの北方に位置する島国であり、絶対的な海の覇権者。
再び剣を交えることになるのか、それとも協調路線を取っていくのか……今はまだ誰にも想像がつかなかった。




