第14話 黄金の絵
ヴィエンヌについてから数日、私はヘルベルトの帰りの列車に便乗するため街に滞在している。
その間、私は昔なじみの店や、子供のころに行ったことがある近郊の森の散策などをして過ごしていた。
ただ今日は少し趣向を変え、リングシュトラーセ沿いに新しくできた喫茶店を訪れることにした。
昼どきに訪れたそのカフェ――グリンシュテーには、すでに大勢の客がいた。
ここは文学喫茶とも呼ばれ、ヴィエンヌの芸術家たちが一堂に会する場所として有名だ。
そんな喫茶店に足を踏み入れた私は、相席であったが座ることが叶った。
席に着いた私を、元々座っていた男はちらっと見てきたがすぐに視線をそらされた。
きっと彼も芸術家気質なのだろう、そう思った私は特に話しかけることもなく、あらかじめ受け取っておいたメニューに目を通す。
どれもこれも美味しそうなメニューの数々、だが私の注文はすぐに決まった。
「すみません」
「はい、すぐに伺います」
私は目が合った隙に、タキシードを着た給仕に声をかける。
愛想よく返事をした彼は、すぐに私のもとへ丸いお盆を持ったままやってきた。
そして私は、渡されたメニューを指さして言う。
「この、ヴィエンヌ・ラガーをひとつ――」
「おいおいお嬢さんよ、こんな時間から酒かい?」
私が名物のラガービールを頼もうとすると、前の男が突然割り入ってきた。
別に人が何を飲もうが勝手だろう、と思いつつも昼間からアルコールも問題か、とも思う。
そこで私は、給仕に何がおすすめかを聞いてみた。
「……では、何かおすすめしてくださるかしら?」
「では、アインシュペナーは如何でしょうか? グラスに入ったモカに、たっぷりのホイップクリームを乗せた、ヴィエンヌっ子に人気の一品となっております」
「そうしておけ。お嬢さんにはそれぐらいが丁度にあっているさ。甘々でフワフワのアインシュペナーがな」
「な、なんなのよ貴方! いいわよ、ブラックを、シュヴァルツァーを頂戴!」
給仕はにこやかに笑い、メニュー表を下げていった。
そして顔を元に戻すと、にやけ顔でこちらを見ている男がいる。
この男、一体何様のつもりなのだろうか。
「……貴方、一体何のつもりよ?」
「別に。ただお嬢様はお嬢様らしいものを飲んだ方がいいのではとお節介を妬いただけの芸術家さ」
「芸術家、ね。それだけ言うのであればさぞかし有名なのでしょうね!」
「どうだろうな。俺の名前はグスタフ・シーレ。まあお嬢さんは知らないだろうな」
ニヤニヤと笑う男は、グスタフ・シーレと名乗った。
シーレ、シーレ……どこかで聞いたことがあるような気がするが。
そう思っていると、私の中で何かが結びついた。
「グスタフ・シーレ、そう、思い出したわ! 貴方、ヴィエンヌ分離派の人間ね」
「ほお、お嬢さん。見かけによらず博識ではないか。その通り、分離派の創始者のシーレだ」
「……まったく、人は見かけによらない者ね。特に芸術家は!」
私はからかわれた悔しさから、渡されたコーヒーをぐっと飲む。
淹れたてのコーヒーは喉を焼くほどの熱さであったが、気にしない。
空になったコーヒーカップをソーサーに置いた私を見て、シーレはほうと感心する。
「砂糖もミルクも入れず一気飲みか。見かけによらず豪気だな。気に入った、俺の名前を知っていた褒美だ、このコーヒーは奢ってやるよ」
「……そう、ならお言葉に甘えましょうか。そして何かの縁、私に作品を見せてくださらないかしら?」
私がそう言うと、シーレの目つきが変わった。
先ほどまでのおどけた態度はどこにも無く、あるのは真理を見据えんとする鋭いまなざし。
芸術家として見せる、彼の別の一面であった。
「分かった。お嬢さんの言う通り折角の機会だ。特別に見せてやろう」
シーレはそう言うと、給仕を呼んで会計をすました。
そのまま彼はずかずかと喫茶店から出ていく。
それを追いかけるように私は立ち上がり、彼が払った金額以上のチップを給仕につかませて、せっかく入ったグリンシュテーを後にした。
◇
「ここが俺のアトリエだ。容易にものに触らないように」
私がアトリエの応接室に踏み入れると、そこにはモダンな家具と東洋的な芸術が入り混じった部屋が広がっていた。
この光景からも彼が何を愛し何に影響を受けているかがはっきりと見て取れる。
彼はその応接間も越え、奥の制作室に案内してくれる。
制作室に入った先には、思わず目を疑うような光景が広がっていた。
無味乾燥な白一色の壁と、床を駆け回る数匹の猫——そしてキャンバスに置かれた金色の絵。
金箔がふんだんに用いられたその絵は、私の目をくぎ付けにした。
「ここが俺のアトリエだ。とはいっても面白いものは何もないがな」
「……貴方の言動と性格からは想像できないぐらい、ストイックな部屋ね」
「俺は芸術には一途だ。どうだ、お嬢さんも俺のモデルをやってみる気はないかね? 綺麗に描いてやろう。長身の女性モデルは描いたこともないしな」
「お断りするわ。貴方は裸婦ばかり描いているでしょう。それもあなたの個性の表現なんでしょうけど」
実際、シーレは放蕩な女性遍歴で少し有名になっていた。
それは彼の持つ芸術への思いの表れなのか、それともただの趣味なのか……。
それが分からないのも、芸術家としての性なのだろう。
「この政治的に不安定な情勢下で、人々は政治に関心を向けず芸術にばかり目を向け、その結果を反映したような煌びやかでどこか退廃的な美しさを持つ宮殿の絵……まさにこの国を的確に表しているわね」
「芸術とは、時にしてその時代の風景を現す力がある。『時代には芸術を、芸術には自由を』。それが俺たち分離派のポリシーだ」
「……貴方は変な人だと思っていたけれども、そうではなくただ芸術家であったようね。気に入ったわ。私にあなたの芸術のパトロンにならせて頂戴。貴方の描く世界が見たいわ」
私はそう言い、小切手に数字を書き込み、署名した。
そしてシーレに手渡すと、彼は信じられないという目でその紙面を見る。
だが彼はボサボサの髪を掻くと、その小切手を私に返してきた。
「……絶対にモデルにしてはいけない側の人間だったな。気持ちだけは受け取っておくことにする。だが今パトロンになると決心することはない。この絵を持ち帰って、それでもいいと思ったらもう一度訪ねてくれ」
シーレはそう言うと、立てかけてあった宮殿の絵を指さしてそう言った。
「本当にいいのかしら? その絵は貴方にとって大事な作品でしょう?」
「見込んだからいいと言っているのだ、お嬢さん。ここはひとつ受け取ってくれないか?」
「……分かりました。ではありがたくいただきますわ。でもこれだけは受け取って頂戴」
私は小切手に書いた数字を消し、文言を上に付け加えた。
それはシーレが困った際に、アンシュタルト銀行を通じて私に直接連絡できるよう計らってほしいというものだ。
彼は今度は受け取り、再会を約束して私はアトリエを後にした。




