第10話 懐かしき皇帝陛下
「我が将軍よ」
ヴィルヘルムの発した言葉は、私の脳内を瞬く間に駆け巡った。
頭ではそんなわけがないと思っているのに、どうしてもその人が頭から離れない。
そう、それは私がかつて主君と仰いだ人――
「……私の主君、ヴィルヘルム2世陛下そのお方なのですか?」
「余の左手を左手を見たまえ。なじみがあるだろう?」
目の前に立つその人は、半ば自虐的にそう言った。
その言葉、そのしぐさ……全てがヴィルヘルム2世であると、私の脳が告げる。
そしてそのことを彼は否定しなかった。
「随分ぶりの再会であるな、元帥よ。余がオランダの小さなドールンの城に閉じ込められている間、貴官は我が祖国の大統領になっていたようだな。どうであったか、主君を逃がして自分が国の頂に座った、その座り心地は?」
「……陛下」
「構わんさ。余は貴官より、書簡において退位の責任は貴官にあると認めさせている。余は元帥にそれ以上を求めるつもりは毛頭ない」
確かに、前世においてそのような書簡を交わした思い出はある。
認めているように見えながらネチネチと嫌味を言ってくるのは、何とも陛下らしい。
私は彼の顔を見つめながら、ありし前世の日に思いをはせる。
私はドイツにおいて帝政の復古派であったが、それが終ぞ叶うことはなかった。
代わりに遺言状としてヒトラーに私信を残しておいたが、無事になされたのであろうか?
私には、それ以降の世界の記憶はないのだ。
「そういえば、貴官が亡くなってからのドイツのことを教えてやろう。ドイツは再び戦争に入ったぞ」
「……そうですか。あのボヘミアの伍長が主導したのですな?」
「そうだ。だがあの伍長はよくやったぞ。貴官らが4年かけてできなかったパリ陥落を、伍長の軍はたった1か月と数日で成し遂げたぞ。その後は知ることができなかったが、きっとドイツは華々しく勝利の冠を戴いたのだろう」
私はその話を聞いて、なんとも言えない気持ちが湧いてくる。
ボヘミアの伍長――つまりヒトラーごときの軍がパリを陥落させたというのだから。
たとえそれを実際に指揮しているのがかつての帝国時代の軍の若者たちであったとしても、なんとも納得がいかなかった。
それに、ヒトラーとはいけ好かない男であったと回想する。
私に対してノイディックでの脱税疑惑を吹っかけて脅迫したうえで首相に任命させられた男。
あの男には郵便局長が最適だ――私の肖像画のついた切手でも舐めておけばいいのに!
それに、私の良き次官であったルーデンドルフを狂わせたのもあの男だ。
カップ一揆にミュンヘン一揆――ひいてはドイツ信徒の家なる反キリスト教団体の設立――。
これもそれも全てヒトラーによって体よく利用された末路であり、後年には自覚したのか彼は私に手紙を送ってきたが、その時にはもう手遅れであった。
「……我が元帥よ、貴官がこの世界において目覚めたのはいつだ?」
「産声を上げた、その時からであります」
私は生まれた時から、私としての自覚を持っていた。
だが女性として育てられていくうえで、女性らしいしぐさも覚えている。
そんな不思議な私に、彼は疑問を抱いたのであろうか?
「――余が余であることを自覚したのは1年ほど前のことだ。急に降って湧いたかのように前世のことを思い出してな」
「……」
「神は余にもう一度やり直す機会を与えたもうた、余は最初そう考えた。だが現実はそうとはいかなかったのだ。余の左手、これは私に植え付けられた因縁なのだろうか? この手のせいで私は前世と同じ――母から虐待を受けるのだ」
陛下は生まれ方が少し特殊で、頭と足が逆位で生まれる、すなわち逆子であった。
その為出産の際に左手が15cmほど縮んでおり、その手は思うように動かなかった。
母ヴィクトリアは障害のある彼を嫌い、時期皇帝たるに相応しいよう虐待ともいえる教育を施した。
私は知っている――陛下がそれを克服するためにどれほどの心血を注いだのかを。
彼の努力はついに実を結び、片手で銃を扱い、馬を駆り、食事もとれるようになった。
しかしその過程で身に付いたコンプレックスと過剰な自己顕示欲、そしてそれを投影した『世界に冠たるドイツ』という、帝国の首を絞める観念を抱くことに繋がってしまった。
「私はドイツ人だ、私はホーエンツォレルン家の人間だ、そして私は皇帝だ。違うかね? 元帥」
「――おしゃる通りです、我が陛下」
私は首を縦に振り、賛同の意を示す。
その動きを見た陛下の肩は震えており、彼の目はこちらを見つめていた。
そして嬉しそうに右手で私の手を握った。
「そうだ、その言葉だよ我が元帥! 私がドイツ皇帝であること、それを理解し証明してくれる我が同郷の朋! 臣下も皇帝も関係ない、私がこの1年切望していたものだ!」
「私も、自分と同じアイデンティティを持つ人との再会を喜ばしく思います!」
「おお、元帥もか! ならばここに余はドイツ帝国の復活を宣言するぞ! ヴァイマル共和国のこれまでの決定は全て無効とし、私はここに復位を宣言する!」
陛下は嬉しそうにそう言い、私の手を力強く振った。
私もそれに合わせて笑顔を浮かべていたが、急に手を振るのをやめる。
そして彼は一息ため息をつき、サヴォイア公が座っていた肘掛け椅子に座った。
「……ここにはドイツも帝国もない。我々以外に祖国を知る者はいないのだよ」
「だとしても、私がいます。陛下は私の陛下として君臨されれば宜しいかと」
「……元帥、いやヒンデンブルク卿。私は貴官のこれまでの私の処遇に対する全ての言動を取り消すことを勅令として宣言する。この世界でも、私の元帥でいてくれるかね?」
「もちろんでございます、陛下。我々は新たな祖国を得たのです。『神は我らとともにあり』、これぞ神がわれらに与えし使命であります」
私がそう言うと陛下は嬉しそうに笑い、サロンのワインセラーから一本ワインを開けた。
そのまま私たちは昔話とこの世界での話をつまみに少しの仲直りの時間を過ごした。
――誰かを忘れている気がしながら。




