第83話 格差
勝手に開いた扉を潜り、神殿の中へと足を進める。
誰も、いない。
気配もない。
暗闇に目を慣らそうと目を細めた瞬間──
背後の扉が音を立てて閉まる。
逃さないって?だろうな。別に帰るつもりはない。
「しかし、外からの光すら入らなくなったぞ。何も見えん。」
俺の苦情を受け入れてくれたのか、俺の両横にある燭台に炎が灯り、その一つ前の燭台、さらにその前の燭台へと炎が続いていく。まるでここを歩いてこい、と言っているみたい……いや、言ってるのか。
「ふぅー。とはいえ行くしかないか。」
今更騙し討ちもないだろう。あのテンションで言ったあとにするんならもう俺の負けでいいよ。……いや、良くないけどな!
…………行くか。
ほんの少しだけリラックスをして、再び気合を入れ直す。
道に迷わずに済むのは儲けものだと思おう。
炎と炎の間を縫うように、ひたすら前へと進んでいく。
前へ、前へ、ただひたすら前へ。
微妙にカーブしてグルグル回ってたら嫌だな。ないか。
そうして歩くこと10分ぐらい。
体育館の何倍もあるだろう巨大な空間の中心に、一人の女性が座っていた。
確認するまでもない、邪神だ。
「ようやく来てくれた。アキーラさん、座って?」
邪神がそう言いながら手を差し伸べると、彼女の目の前に椅子と丸テーブルが現れる。
さらにテーブルの上には、ティーポットとカップも。
「なんだ?お茶会でも始めようってか?」
「私、楽しみはできるだけ長く、楽しみたいの。すぐに終わると、つまらないから──」
そう言って笑う彼女の瞳、その冷たさに怖気が走る。
ああ、こりゃバレてるな。俺が何の策もなく来たの。
「それなら、失礼しようかね。」
「あら、意外。初めてだわ、私とお茶してくれる人。」
目を見開いてそう言う邪神。
こんな顔をしておきながら、1秒後に平気で襲いかかってきそうな読めなさが、恐ろしいんだけどな?
「……今更お茶に毒入れて殺す、なんてしょうもないことしねぇだろ?どうやって殺すか考える時間も欲しかったし、渡りに船だな。」
嘘偽りのない本音だ。今俺が邪神に切りかかったところで、八つ裂きにされて終わりだろう。
なら、何か閃くまで時間を稼ぐしかあるまい。
そうやって椅子に座ってふんぞり返る俺を見て、嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに笑う邪神。
「うふ、うふふふふ。嬉しいわ、楽しいわ、素敵だわ。アキーラさんは本当に期待を裏切るのね?怖がって切りかかってきたら、楽にしてあげたのに。」
はぁ、とため息をつきながらカップのお茶を飲むその姿はとても美しかった。
自分でも何言ってるかわかんねーけど、女神様だと言われたら、素直に信じてしまうくらいには。
【魅惑耐性Lv1を取得しました】
「っ!」
「あら、その様子だと、無事に取れたみたいね?」
「食えねぇ奴だな。あわよくば操り人形にでもするつもりだったか?」
「まさか。そんな面白くないこと、しないわよ?アキーラさんが、私の魅力にメロメロなんじゃないの?」
「誰がだよ。残念ながら俺の周りは魅力的な女性が多くてな。もう両手いっぱいなんだわ。」
「あら、そうなの?それは残念……でも、それなら──その娘を殺せば、私の席はあるのかしら?」
ほんの少しだけ、邪神から殺気が漏れでる。
ちょっとだけイラッとしたり、気分が悪いときに話しかけられたりしたくらいの、小さな殺気。
でもそれは、俺が全力で反応するのには十分すぎるほどだった。
「あいつらに手を出したらぶち殺すぞっ!」
反射的にテーブルを蹴飛ばし、剣を抜いてしまう。
だが、ギリギリのタイミングで僅かに残った理性が、切りかかるのを制止した。
「ふふ、本当にお熱なのね?私はあなたに夢中なのに、あなたは私を見てくれないの?」
どんどん膨れ上がる殺気に、その時が近いのだと嫌でも理解させられる。
ああ、くそ!やっちまった!どうする?どうすればいい!?
始まる。
始まっちまう。
そして多分、一瞬で終わる。
終わらなかったとしても、それはただの気まぐれだろう。
「う、ぐ……くおおおお!!」
少しでも自分を奮い立たせる。
これから来る地獄に足を掬われないように。
「うふふ、かわいい。生きようと必死なのね?それじゃあ、行くわよ──」
目の前の邪神から殺気も、存在感も、何もかもがなくなり、その代わりに上から度し難いプレッシャーがやってくる。
「う、お、おおおおお!!」
これは、あの時、あの、フレイヤに助けられた──
頭上から、超々圧縮された空気が塊となって落下してくる。
少しの猶予もない刹那の時間を、スキルをフル動員することでちょっとでも先延ばしにする。
結果、俺の命を押しつぶそうとする即死トラップは、俺の右足を、わずかに削るだけに留まった。
「うふ、避けられるなんて、すごいわ!強くなったのね、アキーラさん。」
声が歓喜に震えている。
何がそんなに面白いのか。
まるで自分で自分を慰めているかのように。
そう錯覚するほどには、俺の耳に届く奴の声は甘ったるかった。




