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18.追試試験は前途多難なようです。

 

 「奇跡だ、」とロイが膝をつく。周りの騎士たちも、レオニーさえも唖然としたような表情で騒ついていた。私も今自分で目にした「奇跡」に心が震えているのがわかる。


「エイミー……」


 すごい。リールに肩を掴まれていなければ、エイミーにかけよってしまっていたかもしれない。けれど、当のエイミーは湖に手を入れたままどこか浮かない顔をしていた。


「聖女候補様?」


 レオニーが訝しげな表情をする。エイミーは俯いていた顔を上げると、ゆっくりと首を横に振った。どうしたんだろう。


「これでは、駄目みたい」

「は、だめ?」


 そう言ってエイミーが湖から手を抜いて立ち上がった、その時だった。ぷつん、と糸が切れたように、周辺に立ち込めていた静謐な気配が霧散する。そしてまるで波紋が広がっていくように、エイミーに近いところからみるみるうちに湖はもとの赤黒い湖に戻ってしまっていた。


「な……」

「ただ浄化をするだけでは、この湖は元に戻らないわ。何か、他の原因があるのだと思う」


 息を呑む私たちの前で、エイミーは表情を変えぬままそう言った。

 私はエイミーの後ろにある、再び赤黒く染まった湖を見た。エイミーが聖女の持つ奇跡の力を使ったとき、確かに湖は元に戻った。けれどその力を止めた途端、湖は元に戻ってしまった。湖がただ単純に魔物の血で汚れているだけであれば、エイミーの奇跡の力で浄化は可能のはずだ。けれど、それが上手くいかなかったのは、エイミーの力が足りなかったか、エイミーが言う通り現在進行形で湖を濁らせるような他の「原因」があるのか。原作通りエイミーが本物の「愛の乙女」としての力を持っていると仮定すれば、彼女の力が不足しているなんてことはないはずだった。であれば。


 再度湖を見る。赤黒く濁った水は、魔物から発せられる瘴気のような嫌なものが充満していた。湖が濁った原因は、ただ単純に魔物の討伐によって流れた血のせいだけではないのかもしれない。そう思ったときだ。ふと視界に端にユージーンの姿が見えた。ユージーンは驚いた表情をしている他の騎士とは違い、ただ無表情でその場に立っていた。その表情が妙に気になって視線の先をたどれば、エイミーがいる。私は、は、と息を呑んだ。ユージーンの、いつも浮かべている人当たりの良い笑みを閉まって無表情でエイミーを見つめている姿にどきりとする。敵意、とまではいかなくても、少なくとも好意的な瞳の色ではなかったからだ。


「……わかりました。今日はもともと聖女候補様に現場の確認をしていただくことだけが目的でしたから、ひとまず今日はここまでといたしましょう。ロイ殿も、それでよろしいですかな」

「え、ええ……」


 ユージーンの姿に戸惑っている間に、レオニーが固まっていた一団を動かすように声を上げた。惚けたように座り込んでいたロイも声を掛けられて我に返ったように立ち上がる。

 ロイに先導されて騎士たちが動き出す中で、ユージーンの表情もまたもとの彼の表情に戻っていた。


「アリス」

「え、あ、リール?」

「ぼーっとしてるけど、どうかした?」


 不意に私の視界を遮るようにリールが顔を覗き込んでくる。私はあわてて首を横に振って距離をとった。

 ユージーンの表情が気になったが、今ここで言うわけにもいかない。私はちらりとエイミーに視線を向ける。エイミーは周りが動き出す中でも最後まで穢れた湖をジッと見つめていた。


「いえ、なんでもありません。私たちも戻りましょう」

「そう?」


 エイミーと、あとで話せる時間があればいいのだけれど。そう思いながら、騎士たちと共にリールと私たちも一度村に戻ることにした。


■



 村の西側に日が沈んでいく。もう間もなく夜が訪れるだろう。

 湖から村に戻った私たちは、ロイの先導のもとこの村に滞在する間に泊まる宿に案内された。宿と言ってもこの村に宿はない。騎士団が寝泊りするのは、雨風はとても凌げそうにない開けたキャンプ地のような場所だった。ここで野営をするらしい。慣れているらしい騎士たちは特に気にした風はなく、さっそく野営の準備を始めている。エイミーとレオニーは教会側の人間ということもあり、ここではなく村にある小さな教会で寝泊りをするようだった。一時解散となった一団に、私はどこで寝るべきなんだろう、と思案する。特にどちらで寝ろという指示を私は受けていなかった。この一団の責任者であるエステバンとレオニーに確認しようと思ったが、彼らは明日以降の打ち合わせのために休む間もなくロイとともに席を外していた。ずっとそばにいたはずのリールも今はどこかに消えている。

 うーん、と私は顎に手を当てた。この旅に勝手に同行した身としては、自分の身の回りのことは自分でするつもりである。身分を隠した状態だし、エイミーたちと同じところに寝泊りをするというのは流石におかしいだろう。騎士たちと同じところへ行った方がいいのかな、と結論付けて騎士たちの野営地へ向かおうとすれば、一番近くで野営の準備をしていた騎士の一人がぎょっとした顔をした。


「あ、あの、殿下」

「あ、こんにちは。すみません、野営をした経験があまりなくて勝手がわからないんですが、道具はお借りできるんでしょうか。あ、あとここでは私は殿下ではなくアリスと」

「え、あ、はい、失礼いたしました、アリス様。いえ、違う、そうではなくてですね、アリス様もこちらでお休みに……?」


 恐る恐る尋ねてくる騎士にそうだと頷けば、騎士と騎士の近くにいた数名の他の騎士たちもぎょっとしたような顔で固まった。そしてあわてて誰かを探すようにあたりを見渡して、やがてがっくりと肩を落とす。

……やはり私みたいなのがいきなり一緒に野営をするといっても気を使わせてしまうのかもしれない。


「あの、今の私は姫でも何でもないただの同行者です。本当に道具だけお借りできればどこかで適当に夜を明かすので、気遣っていただかなくても」

「そういうわけにはいかないですよ、変に勇ましいアリス様」


 不意に聞きなれた声が私の言葉を遮った。振り返れば、呆れたような顔をしたユージーンが立っていた。


「ユージーン!」

「ユージーン、じゃないです。まったく、あなたがここで俺たちと一緒に雑魚寝していいわけがないでしょう。当然あなたも聖女候補様と同じ教会で部屋を借りていますよ」


 ユージーンがざわついていた周囲の騎士たちに「ここは俺が対応するから準備に戻っていい」と告げた。ユージーンの言葉に騎士たちは安堵したように息を吐いて、私に一礼してこの場を離れていく。私はそれを見送ってから、首を傾げた。


「でも、私の部屋は準備がないんじゃないですか」

「あるに決まってるでしょう。というか、そこで疑問に思わないでくださいよ。当然、あなたも聖女候補様と一緒にそちらを使う想定ですよ。あなたの選択肢にここでの野宿があったことに驚きです」


 「レオニー殿の方から、村側にあなたは神殿側の人間と伝えているはずです」とユージーンは苦笑して肩を竦めている。なるほど、どちらに泊まるべきかの指示がないのではなく、教会の方に泊まるのが常識だったようだ。

 「実はちょっとだけ野宿をしてみたかったんですよね」と軽く本音を言ってみれば、ユージーンは呆れたように「物好きな人ですね」と言って笑った。


「もし本気でやりたいなら、ちゃんと事前に申告しておいてください」

「申告したらやっても良かったんですか?」

「そうですね。こういういつ魔物が現れるかわからない場所では是非やめていただきたいですが、どこか安全な場所であれば。確か貴族用のテントもあるにはあるので、その時は僭越ながら俺がご準備させていただきますよ」


 護衛も兼ねてね、と慣れたようにウインクされた。貴族用のテント、と言われると私がイメージするようなキャンプとは程遠い感じがするけれど、それはそれでどういうテントなのか気になる。

 そんなことを思っていると、「それはそれとして」とユージーンが話題を変えるように口を開いた。


「おひとりですか? リール様は?」

「え? ああ、それがさっきから姿が見えなくて」

「そうですか。でしたら私が教会まで送りましょう」


 ユージーンがエスコートするように手を差し出す。教会の場所は覚えているし、ここからそう離れているわけでもない。一人でもいける、と言おうとしたところで「ひとりで行けるという言葉は聞きませんよ」と先手を打たれた。う、と口を噤めば、ユージーンはおかしそうに笑う。その表情は先ほど湖で見かけた無表情とは程遠い柔らかい表情だった。それだけに、さっきエイミーに向けていた表情との差が気になる。


「アリス様?」

「……いえ、それでは、案内をよろしくお願いします」


 とにもかくにも、今日はもう遅い。日はすっかり暮れていた。ユージーンの件も、湖の件も、一度エイミーに相談してから動いた方がいいだろう。

 私は不思議そうな顔をするユージーンに笑って、彼の手を取った。





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