17.追試試験が始まりました。
クラーク子爵領の北端に位置するところに、目的地である村はあった。子爵領の中心部から離れていくにつれて悪くなっていった道と、行く手を阻むように現れた鬱蒼とした森が、村のある場所を隔離しているような印象を植え付ける。無論そのような事実はないだろうが、子爵の支援がここまで十分に回っているようにはとても思えなかった。
「……魔物の対応で手いっぱい、といったところなのかな……」
立地の悪さと魔物の出現頻度が、この土地をさらに貧しいものにしているのかもしれない。馬車の小窓を開けて、前方に見えてくる村を視界に入れた。村の周囲は魔物対策なのか大人一人分ぐらいの高さの柵でぐるりと囲われている。けれど柵は木々を繋ぎ合わせただけの粗末なものだし、魔物を防ぐには柵の位置は低い。目を凝らすと所々が崩れて穴が空いていた。つい最近魔物の襲撃があったのだということは事前の情報がなくてもわかる光景だった。馬車はやがて村の入り口で止まる。
「ついたみたいだね」
「……そうですね」
向かいに座っていたリールも、いつのまにか視線を窓の外に向けていた。空は呆れるぐらいの青空だが、王都に比べてどこか空気は淀んでいるように感じた。
「このような辺境の土地まで、ようこそお越しくださいました」
村に入ると、顎鬚を蓄えた小柄な男が私たちを出迎えた。ロイと名乗った男は、この村の長の長男で私たちの案内を任されているらしい。
「このような貧しい土地で大したおもてなしもできませんが、何かご不便なことがあればいつでも私にお申し付けくださいませ」
私は羽織っていた白いローブのフードを目深にかぶったまま、ロイと、代表役として前に出たレオニーのやりとりを眺めていた。私の同行は村側には伏せている。王族が来るとなればそれなりに騒ぎになるし、村側の負担も大きくなる。これはあくまでエイミーの試験なので、変な騒ぎを起こさないよう私は離れてエイミーの試験を見守ることにしていた。
「荷を宿へ運ばせている間に、さっそく聖女候補様を例の湖に案内してほしいのですが」
案内された宿で手際よく荷運びを指示していたレオニーが、ロイに言った。ロイはその言葉に視線をロイの後ろに向ける。ロイの後ろには一言も発さないまま黙って立っているエイミーがいた。
「……この方が、聖女候補様」
「ええ。彼女に聖女試験の一環として、この村の湖の調査をしていただきます」
挨拶を促されたエイミーが一歩前に出る。聖女の正装のスカート裾を軽く持ち上げたエイミーは、静かに口を開いた。
「エイミー・クレランドと申します。よろしくお願いいたします」
表情をぴくりとも変えないままのエイミーにロイは少し戸惑ったようだが、すぐに力強くうなずいて「こちらこそよろしくお願いいたします」と頭を下げる。
「あの湖はこの村の生活源として大切な湖なのです。飲み水も、採れた野菜を洗う使う水も、体を洗う水も、すべてあの湖の水を使っています。けれど先日の魔物の襲撃でとても使える水ではなくなってしまった。今は村の外から水を買っています。けれどこの村の財政的にはそれも長くはもちません。どうにかして、あの湖にかつての美しさを戻してください」
「……できる限りのことは、いたします」
沈痛そうな面持ちで頭を下げるロイに、エイミーはやはり表情を変えないまま首肯した。
エイミーにレオニー、それから騎士数名を連れだって問題の湖まで向かうことになった。騎士の中にはユージーンもいる。準備を終えてロイの先導のもと歩きだした一団についていこうとすれば、後ろから手を引かれた。
「アリスも行くの?」
「当たり前です。そのために来たんですから」
私の手を取ったリールに即答する。ちなみにアリスとはここで身分を隠しているとき用の呼び名である。
「長旅で疲れてるんだし休んでから行けばいいのに」
「私はエイミーの試験を見守るために来たんです。ついていかないわけないじゃないですか」
それにユージーンが同行するのも心配だった。私は歩きだした一団に小走りで追いつく。当然のようについてきたリールが「元気だなあ」と肩を竦めた。
湖に向かう途中で、村の中を通り過ぎることになる。小さいがレンガ造りの可愛らしい家々は窓ガラスが割れたり屋根が崩れ落ちていたり、酷い時は家の壁の半分が崩れ落ちたりしていた。そこに暮らす人々の表情も暗い。復興作業が進められているようだけれど、またいつ魔物がくるかわからない状態では修復したところで壊される未来は想像に難くないのだろう。けれどエイミーが村の中を通り過ぎると、皆が手を合わせて縋るように目を閉じる。
「どうか神の祝福をお与えください……」
「どうか我らをお助けください……」
若者も年老いた者も皆が家の外に出て、煤で汚れた顔で膝をつくさまは異様な光景だった。レオニーの顔も微かに歪んでいるし、騎士たちも顔を強張らせている。私自身も顔が強張っている自覚があった。魔物の動きが活発な土地だとは聞いていたし、被害状況も知っていたはずだった。けれど文字で読むのと実際に見るのとではあまりにも違う。想像以上にこの村は疲弊しきっていた。国として十分な援助ができていない現状にも、そもそも――魔物を活発化させる原因である魔王の復活を食い止められない自分自身にも、不甲斐なさを感じる。ぐ、と手を握りこんだところで、ふと強い視線を感じて顔を上げた。フードを被ったまま辺りを見渡すと、皆が膝をついて祈りを捧げる中でただ一人立ったままこちらをジッと見つめている少年の姿があった。12、3歳ぐらいのその少年の半そでからは、枝のような細い腕が伸びている。何の感情も湛えていない空洞のような瞳は、このような状況でも動じることなく堂々と歩いているエイミーに向けられていた。
「アリス?」
「あ、いえ。なんでもありません」
その表情に何か引っかかるものがあったけれど、先を歩いていたリールに声をかけられて慌てて後を追う。歩き出してからちらりと後ろを振り返った時、そこにはもう少年の姿はなかった。
村の生活居住区から少し歩いて森を抜けた先に、目的の湖はあった。
「……これは」
騎士の誰かが息を呑む。視界いっぱいに広がった湖は、不気味なほどに赤黒く染め上がっていた。聖女の力がない私でもわかるほどに、空気が濁っている。湖の中もその周辺の森からも生の気配をまるで感じられなかった。酷い汚臭もする。レオニーは顔色を悪くして口元をハンカチで覆っていた。
「この間の襲撃では、魔物はこの湖の先、森の奥からも現れました」
暗い顔色のロイが、説明する。
「王都から派遣していただいた討伐隊はこの湖の傍で魔物を討伐しました。討伐隊のおかげもあり、幸いにも人死にがでるような被害はありませんでしたが、そのときに死んでいった魔物の血が、この湖から消えんのです」
ロイは力なく首を横に振った。
「魔物から助かっても、この湖が元に戻らなければ……やがてこの村は駄目になるでしょう。聖女候補様、我々にできることならなんでもします。ですからどうか、どうか……」
ロイは言葉なく項垂れた。それを一瞥したエイミーが、視線を湖の方へと向ける。
「……やってみます」
そして湖の縁まで近づくと、その場にしゃがみこんだ。あっと誰かが声を上げたときには、エイミーの手は湖に突っ込まれていた。
「せ、聖女候補様、」
「黙って」
エイミーはその場で静かに目を閉じる。周りの空気は濁っているのに、エイミー周りだけは不思議と静謐な空気で満ちているようにさえ見えた。その時、ふわりと柔らかい風が通り過ぎる。私たちが魔法を使う時とは違う、別の何か、不思議な力がエイミーの周りを渦巻いているのがわかった。エイミーの唇が震える。何か呪文を唱えたのか、それとも別の何かかわからない。けれど次の瞬間には、エイミーを中心に眩しい光が辺りを包み込んだ。
「アリス」
そっと手を引かれて誰かが私の前に立つ。リールだった。リールは静かな面差しでエイミーの光を見つめていた。やがて光がひと際強くなって、やがて、収束していく。
「……おお、おお、奇跡……奇跡、奇跡だ」
とん、とロイがその場で崩れ落ちる。驚いたように見開かれた瞳は、食い入るようにエイミーと湖を見ていた。私たちも湖から目を離せない。
――湖は先ほどの不気味な赤黒さが嘘のように、美しい自然の青で満ちた水に戻っていた。




