15.お兄様を説得しました。
「絶対に駄目だ」
顔を顰めたルカスお兄様が、ちょっとやそっとじゃ覆せそうにない強い声色でそう言った。
「そこをなんとか!」
「駄目だ」
取り付く島もない、とはこのことを言うのだろう。人払いのされた執務室。執務机に向かって書類の処理をしていたお兄様は、私の言葉に「駄目だ」ときっぱり断言した。そして「言いたいことはそれだけか?」と私から視線を外して、そのまま書類仕事に戻ってしまう。
ユージーンに接触してから数日後、私はルカスお兄様の空いている時間を見計らって交渉にやってきていた。何の交渉かなど言うまでもない。エイミーの追試試験に同行する許可を得るための交渉である。あれから色々と調べてはみたものの、結局ユージーンやバートン伯爵が何かを企んでいる、という決定的な証拠は見つけられなかった。それでも、杞憂や考えすぎと言うには、どうにも嫌な予感が拭えない。けれどただの嫌な予感だけで動いてくれる人もいなかった。だからこその直談判である。
お兄様はやはり私の同行には大反対で、意思を曲げるつもりはない様子だった。けれどぶっちゃけ、お兄様が断るのもわかる。むしろ「そりゃそうだよな」と思う。無茶を言っている自覚は、もちろんあるのだ。正攻法ではお兄様を説得できないだろうことも。それでも、こうして直談判にきたのには、理由があった。
すでにこちらを見ていないルカスお兄様の前に立った私は、食い下がるために口を開いた。
「かつて行われた聖女試験の記録を調べてみましたが、聖女候補様たちが外で試験を行う際には、王族が一人代表で同行していたという記述もありました」
「それで?」
「過去にそういう実績がある以上、私が同行しても問題はないのではないかと思うのです」
ルカスお兄様は手にしていた書類を机の上に置く。そして机に頬杖を突くと、相変わらずの仏頂面で言った。
「確かにお前の言う通り、王族が同行する習わしはあった。だがその王族が、お前である必要性はどこにある?」
「それは、」
「第一、お前が行って何ができる? 俺やシリルならば自分の身ぐらいは自分で守れる強さがある。だがお前はどうだ? 行っても危険だとわかっていて俺が行かせると本気でそう思うのか?」
「私だって自分の身は自分で守れます。お兄様だって私の器用さはご存じのはずです。ちゃんと準備をしていけば、邪魔になることはありません」
「先日の一件をもう忘れたのか?」
お兄様の怒気に肌がヒリヒリとする。珍しいぐらいにお兄様が怒っている。怒られるのは百も承知だった。お兄様の言うことは正論で、事実私が行かなければいけない理由などどこにもない。むしろ足手まといになる可能性だってあるのだ。
お兄様がため息を吐く。
「……あの時お前が倒れたと聞いて、俺がどれだけ心配したと思っている」
お兄様は私が怪我をしたり、危ないことをしたりしたらすぐに拳骨を飛ばしてくるけれど、同時にすごく辛そうな顔をすると知っている。無茶で無鉄砲の私を誰よりも心配してくれているのはお兄様だった。
「お前はどうしてあの聖女候補に固執する? あの誘拐事件の時から、お前はあの聖女候補のことになると必死だ」
何かあるのか、と以前にもされた質問を、けれどあの時のように見逃してくれる雰囲気は消して、お兄様が尋ねた。お兄様の翡翠色の目が、私を見透かすようにじっとこちらに向けられている。この質問にちゃんと答えなければお兄様は絶対に許可を下ろしてくれないだろうということがわかった。
エイミーに固執する理由。それは誘拐事件が起きた日、お兄様に助けを求めて駆け込んだ時と今とでは大きく変わった。前者の時、私はあくまでゲーム通りのシナリオが続くようにヒロインを上手く誘導することしか考えていなかった。けれど、今は違う。
「……放っておけない、と思ったんです」
あの日のエイミーの姿がどうしたって頭から離れない。誘拐されて独房に閉じ込められていたエイミーを見つけた時、一人で勝手に絶望して死んで行こうとするエイミーを見たとき、この子をこのまま一人にしてはいけないと思った。この子を助け出して、明るいところに連れ出したい。そう、あの瞬間に思ってしまった。
昔から時々考えていたことがある。どうしてこんなモブ王女に、前世の記憶を持って私は生まれてきたのだろうと。考えてもずっとわからないままだったけれど、今ならぼんやりとだがわかった気がしている。
もしかしたら私は、彼女の力になるためにこの世界に前世の記憶を持って生まれてきたんじゃないだろうか。
本当は理由なんて何もないかもしれない。でももしあるなら、それがいいなと思った。
今後エイミーの身にはゲーム通り様々な危険が起こるだろう。けれどゲーム通り攻略を進めていないエイミーは、得られていたはずの攻略対象のサポートを今後得られないという状況が続く。それを助けることこそ、私が前世の記憶を持って生まれてきた理由にしたい。
それは前世の乙女ゲームを知っている私がこの世界の未来ために何かしたい気持ちでもあるし、ただのエイミーの友達として彼女の力になりたいという気持ちでもあった。
だから、何かあるかもしれない可能性が残されている追試試験へこのままエイミーを送り出すなんて、到底できそうにないのだ。
「放って置けない、という理由だけで俺が同行を許可すると思うか?」
「……いいえ。確かに今、私に、お兄様が納得するだけの理由を用意することはできません」
「だったら」
「でも、近い未来にそれを証明することはできます」
私の言葉にお兄様がいぶかしげな顔をする。エイミーの力になりたいなら、ここが踏ん張りどころだった。
「私は、先日のエイミーの誘拐事件の真犯人に心当たりがあります。もし私の動向を許してくれるのなら、誘拐事件の真相をすべて暴いて、真犯人をお兄様の前に連れてくると約束します」
お兄様は一瞬驚いたような表情になった。けれどそれは一瞬で、すぐにもとの表情に戻る。
「……どういうことだ?」
「今はまだ私が同行する理由が用意できません。でも今回の同行を通して、必ずお兄様が納得するだけの『私が同行した意味』を提示して見せます。もしそれがなされなかったのなら、今後一切お兄様を困らせるようなわがままを言いません」
「今ではなく未来の結果を信じてお前の行動を許せと? お前、自分がめちゃくちゃなこと言ってるのわかってるか?」
「わかってます、でも、今私が担保にできるものは、それしかありません」
お兄様が押し黙る。けれど考えを変えてくれた、というわけではないだろう。お兄様は頑固だ。これぐらいでは意見を覆してくれない。はったりでもなんでもいいから、もっと強い理由が必要だった。私は口を開く。
「お兄様、私は、」
「いいんじゃない? 面白そうだし」
けれど、駄目だと断りそうなお兄様になおも食い下がろうと口を開いたところで、急に別の誰かの声が聞こえた。気づけば執務室の扉の前に人が立っている。
「リール……」
扉のもたれかかるようにして立っているのは、リールだった。リールは私たち兄妹の視線を受けて扉から背中を離すと、こちらに近づいてくる。どうして彼がここに。私とお兄様の浮かべる疑問に答えることなく、リールは言った。
「この子、たぶん今ルカスが駄目だって断っても、きっと何かしら無茶な方法でついてきちゃうと思うよ」
机の前に立っていた私の隣に、リールが並ぶ。一瞬目が合ったリールは、にこりと笑ってすぐに視線をルカスお兄様に向けた。リールが見下ろす先にいるお兄様の表情は、一気に苦々しいものになる。
「……これは兄妹の話だ。部外者は出て行ってもらおう」
「ルカスもこの子の無鉄砲さはよく知ってるでしょ。だったらいっそ最初から同行を認めてしまったほうがいいと思うんだけど?」
「リール」
「その方が、事前にこの子も含めた計画を立てられるし、この子が無茶しないように監視することだってできる」
お兄様が、まるで苦虫を嚙み潰したような表情をする。こんなに嫌そうな顔をしているお兄様は初めて見た。
「……妹は一度考えを決めると後先考えずに行動するきらいがある。魔物が活発な土地に一人で行かせるなんて危険すぎる」
「だから騎士も連れて行くんでしょう?」
「それだけでは安心できない」
駄目だ、と断るお兄様に「うーん、じゃあこういうのはどう?」とリールは少し考えてから言った。
「俺も護衛として追試についていくよ」
私もお兄様も驚いてリールを見た。
「……留学生のお前を同行させてどうする」
「この国の文化を学ぶために来てるんだから、聖女試験に同行するのはいい勉強じゃない?
それにルカスは俺の実力を知ってるよね? この間はアリシアの無鉄砲さを把握できてなかったせいで彼女の無茶を止められなかったけど、俺はもうこの子がどういう無茶をするタイプかは理解した。絶対に怪我をさせない自信があるよ」
リールの言葉にお兄様が押し黙る。普段一度決めたことをなかなか覆してくれないお兄様が、判断に迷っている。私が想像している以上に、お兄様はリールを信頼しているのだと思った。これはチャンスだ。私はリールに続くように口を開いた。
「ルカスお兄様。お願いします。今度こそ誘拐事件のような無茶はしません。だからどうか、同行を許可してください」
頭を下げる。お兄様は私の言葉にこれでもかと言うほど眉間にしわを寄せて、数秒唸った。そして「あーくそっ」と頭を抱えて、項垂れた。
■
絶対に怪我をしないこと。怪我をした時点で今後一切お前のわがままは聞かない、ついでにリールもどうなるかわかってるな、と苦虫を千匹ぐらいかみ殺したような顔をして、結局お兄様は同行を許可してくれた。
執務室から退出したところで、立ち止まって、一緒に出てきたリールを見る。
「……あの、間に入ってくださって、ありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして?」
リールはにっこり笑う。
こうしてみると、リールはやっぱり不思議な人だと思う。ルカスお兄様とただ親しいだけでなく、あのお兄様が折れるだけの信頼を得ているなんて。隣国――婚約者様のいる国から来たという彼は、私に親しくしてくれるし、さっきもまるで助けてくれるみたいに間に入ってくれたけれど、実際に彼が何者なのかということを、私はあまり知らなかった。
しばらく一緒に廊下を歩く。リールは何もしゃべらなかった。そこで私は、そういえば以前リールと別れたとき、割と最悪な別れ方をしたのだと思い出す。さっきはお兄様もいてなんともなかったけれど、自覚した今すごく気まずい空気が流れている気がした。
「あの、リール」
「ところでさっきの話、『真犯人』って君は言っていたけれど、アリシアは誰のことだと思ってるの?」
とりあえず謝ろう、と口を開いたところで、リールが私に問いかけた。
「ごめんね、途中から話聞いてたからさ。アリシアがこの追試試験で真犯人を捕まえるって話も聞いちゃってたんだけど、それって誰のことなのかなって」
私は口を噤んだ。ユージーンのことを、第三者に言ってしまってもいいのだろうか、と。証拠も何もない状態で言ってしまって、もし違ったとき、彼の名誉に傷をつけることになるかもしれない。だからこそエイミーも私にしか話していないのだ。
「言えない? じゃあ当ててみようかな」
黙り込む私に、リールは穏やかな表情を変えないままだった。そしてさらりと告げる。
「ユージーン・バートンでしょう?」
思わずリールの顔を見ると、リールは「その反応じゃわかりやすすぎ」と苦笑した。
「まあ彼の妹は聖女候補だし、バートン伯爵も色々キナ臭そうだし、当然怪しむべきはそこだよね。そっか、アリシアもそう思ってたんだ」
「あの、リール」
「わかったよ。俺も彼のことにはちゃんと目を光らせておくことにするから」
リールの話を聞くにつれて、何だか言い知れない「違和感」がこみ上げてくる。何か重要なことを見逃している気がした。
――そもそも、この追試試験の護衛にユージーンを選んだ理由はなんだ? リールの言う通りユージーンはエイミーを害する理由を少なからず持っている人間だ。お兄様も当然ユージーンの義妹のことは知っているだろうし、私以上にバートン伯爵と交流もあるだろう。確たる証拠がないとはいえ、エイミーを傷つける可能性がゼロではないユージーンを、今回の追試に同行させることにしたのはなぜだ?
そりゃあ確かに、ユージーンは優秀な騎士で、戦力を考えたら入れるべきなのはわかる。彼が公正で誠実な人間だとお兄様が判断して入れた可能性もある。でも本当に、そういう理由なのだろうか?
「……お兄様、と、リールは追試試験で、何か企んでいる……?」
例えば、そう。エイミーを囮にして、あの誘拐事件の犯人を炙り出そうとしている、とか。
リールの表情は微塵も変わらなかった。目元を緩めて、柔らかな笑みを浮かべている。お兄様だけなら、エイミーを囮にしようなんて計画を立てるわけがない。絶対に、リールも絡んでいると確信があった。
「怪我をしないように、頑張って『真犯人』を捕まえようね?」
アリシア、といつもの糖分をたくさん含んだ優しい声色で、名前を呼ばれる。私は今目の前のこの人の心がまるで読めなくて、初めて怖いと思った。
※六話後半で説明が足りていない部分がありましたので、ちょびっとだけ加筆しています。




