ホームシック。
コンコン。
「……っ」
規則的なノックの音で、俺は泥のような眠りから無理やり引き剥がされた。
途端、頭を内側から万力で締め付けられるような激しい痛みが襲う。
強烈な吐き気と目眩。視界が歪み、頭の奥がズキズキと痛む。……なんだこれ。一体、昨日俺は何をしたんだっけ。
「……どうぞ」
ひどく掠れた声で、なんとかそれだけを返した。
カチャリ。
「アレク様、おはようございます。朝御飯はいかがなさいますか?」
入ってきた侍女の声に、俺はパチクリと目を瞬かせた。窓の外からは、遮光カーテンの隙間を抜けて眩しい朝の光が差し込んでいる。
(あれ……? 俺、昨日は夕飯もすっ飛ばして爆睡してたのか……?)
全く記憶が繋がらない。けれど、酷い疲労感だけが身体に居座っている。
「あ、食べます」
俺の返事を聞き、別の侍女が銀のワゴンを押して入室してきた。上品な湯気を立てるスープや、焼き立てのパンがテーブルへ手際よく配膳されていく。
俺は顔を洗うため、重い身体を引きずるようにして洗面台へと歩き出した。
鏡の前に立ち、自分の顔を映し出す。
「……なんだこれ」
そこにいたのは、まるで一晩中激しく泣き腫らしたかのように、真っ赤に充血して浮腫んだ目をした自分だった。
ズキリ。
その瞬間、胸の奥を鋭い楔で突かれたような、強烈な痛みが走った。
それと同時に、胸の奥からどっと溢れ出してきたのは――理屈なんて何一つない、父上と母上に、今すぐにでも逢いたいという狂おしいほどの情動だった。
(……急に、とんでもないホームシックが来たな)
前世を含めて十六年、こんなに親恋しくなったことなんて一度もないのに。なぜか涙が溢れそうになるのを必死に堪え、冷たい水で何度も顔を洗った。
身支度を終え、温かいスープを口に運んでようやく一息つく。
「当主様にお目通りを願えますか?」
「はい、すぐにお伝えいたします」
控えていた侍女が一礼し、静かに部屋を出ていく。
俺は用意された香り高い紅茶をゆっくりと飲み干し、実家の景色を強く思い浮かべていた。
***
格式高い祖父の執務室。
窓際の本棚からは、古い革表紙の匂いと魔力の残香が漂っている。
「じいちゃん。俺、そろそろ失礼します。両親へ報告しに帰りますね」
俺が切り出すと、机に向かっていた祖父は、どこか寂しげに、けれど全てを包み込むような温かい目を向けた。
「そうか。では、こちらをリナたちに届けてくれるか?」
差し出されたのは、厳重に封印された三通の手紙だった。宛名はどれも『リナルシア大商会主宛』――つまり、父上と母上宛てだ。
その手紙を受け取った瞬間、またしても胸の奥がズキリと痛んだ。
「お世話になりました。ありがとうございました」
「ははは、気にするな。アレク、いつでも遊びにおいで」
「ええ。次は妹のエミリアも連れて来ますね」
「ほう! それは楽しみだ。おちおち死ねないな!」
祖父の豪快な笑い声に、俺もつられて笑みをこぼす。
「じいちゃん、引退する時は、俺たちの家に一緒に住みましょう。絶対に楽しいですから」
「……そうだな。ぜひ、そうしよう」
祖父は一瞬だけ目をごしごしと擦り、嬉しそうに頷いた。
***
キィー。パタン。
静かに馬車のドアが閉まる。
帰り道も来た時と同じように、ふかふかの高級馬車に揺られ、貴族街の大きな鉄格子の門までノンストップで送られた。
「リナルシア大商会の支店までこのまま馬車を出せますが……」
御者が心配そうに声をかけてくれたが、俺は首を振って馬車を降りた。
「いや、ここでいいよ。少し、この街をゆっくり歩きたいからさ」
石橋を渡り、城下町のエリアへと戻る。
ザワザワとした市場の喧騒、馬車の蹄が石畳を叩く音、行き交う王都民たちの営み。笑っている者、怒っている者、悩んでいる者。
(みんな、色んな悩みを抱えながら、それでも必死に生きてるんだよな……)
だからこそ、やっぱり平和が一番だなと、不思議と強くそう思った。
大通りの喧騒からすっと身を滑り込ませ、人通りのない路地裏の影に入る。
「……最奥へ帰る」
路地裏に白い板が浮かぶ。
【承知致しました】
胸元の魔導具を起動させると、俺の姿が背景へと溶け込んだ。
魔の森へ帰るため、俺は王国の外へと繋がる検問所――城門へと向かって、スタスタと足早に歩みを進めた。
認識阻害は完璧だ。槍を携えた門兵たちの横を、何の気配も残さず通り過ぎ――境界線を跨ごうとした、その時だった。
「ちょっと待て貴様。検問がまだだろう?」
背後から、凛とした、けれど鋭い少女の声が響いた。
気にせず、俺はそのままスタスタと歩き続ける。
「ちょ、ちょっと待ちなさいって言っているでしょう!!」
ガシッ!!!
「……は?」
突如として、俺の右腕が強い力でガッチリと掴まれた。
掴んできたのは、王国の軽装の鎧を纏った――同年代の少女だった。
(え? 俺!? 俺が見えてるの!? 認識阻害効いてるよな!?)
俺が驚愕して固まっていると、周囲の門兵たちが不思議そうに彼女に声をかけた。
「おい! スゥ! 誰もいない場所に向かって、お前いきなり腕を突き出して何やってるんだ?」
「え? ……え!? えええ!?」
スゥと呼ばれた少女が、周囲の言葉に驚いたように目を見開く。彼女の視線は、真っ直ぐに俺の顔を捉えていた。
(ヤバい!! ここで捕まったら、それこそ実家の情報から何から全部持って行かれる――!!)
「逃げるしかない!!」
俺は掴まれた腕を力任せに振り払い、脱兎の如く、目の前に広がる魔の森の鬱蒼とした茂みに向かって一目散に駆け出した。
「ちょ! え!? ちょ、ちょっと待ちなさいよーーー!!!!!」
背後から、虚空に向かって絶叫するスゥの悲鳴が遠ざかっていく。
俺は心臓をバクバクと鳴らしながら、我が家を目指して、全力で森を疾走した。




