存在しない者たちとの邂逅。
最高位の認識阻害結界が放つ、耳鳴りのようなキィィィンという微かな高音。
その中に隔離された応接室は、世界のすべてから切り離されたかのように、ただ張り詰めた沈黙だけが支配していた。
ソファの対面に座る、格式高い正装を纏った壮年の夫婦。
その二人は、じっと俺の顔を見つめたまま、瞳を激しく揺らしていた。
「……気付いているだろうが」
祖父である王宮魔術師団長が、苦渋を噛み締めたような低い声で沈黙を破った。
「……リナとルシアンの子、なのね……?」
そう呟いた婦人の目から、大粒の涙がハラハラと零れ落ち、上質な絹のハンカチを濡らしていく。
俺は、すぐには口を開けなかった。
婦人は涙を拭い、壊れ物を扱うかのような優しい声音で、ゆっくりと語りかけてきた。
「私たちは、リナの――貴方の母親の両親よ。お前からは、外祖父母にあたるわね」
「母上の……ご両親……」
ゴクリ、と喉が鳴った。
よく見れば、その婦人の目元や柔らかな面影は、確かに俺の大好きな母上によく似ていた。
そこから放たれる眼差しは、どこまでも温かく、慈愛に満ちている。
「リナは……私たちの愛しい娘は、息災か?」
隣に座る壮年の男性もまた、引き裂かれそうなほど悲痛な面持ちで、掠れた声を絞り出した。
「……はい。母上は、息災です」
「アレク……。抱き締めてもいいかしら?」
俺が小さく頷いた、その瞬間だった。
婦人が立ち上がり、香る薔薇の匂いと共に、俺の身体を壊れ物を扱うように、けれど全力でぎゅっと抱き締めてきた。
「ああ、本当に立派に育って……!」
……温かい。
これが、母上を育てた手の温もりか。
続いて、外祖父も立ち上がり、外祖母ごと俺を包み込むように強く抱き締めてきた。
「リナの子が……っ、こんなに大きく……!」
胸の奥が熱くなった、その刹那。
「アレク……っ! 私たちもよ!!」
「ルシアンの息子を、これ以上ないほど誇りに思うぞ!」
なぜか、じいちゃんとばあちゃんまでソファから弾かれたように立ち上がり、外祖父母ごと俺を盛大にホールドしてきた。
……いや、多くね!?
隙間なく密着する四人の大人の体温と、圧倒的な包容力のインフレ。
「……あ、あの、じいちゃん、ばあちゃん、ちょっと苦しいんだけど」
「すまない、アレク」
祖父が、痛みを堪えるように拳を固く握りしめ、俺の肩に手を置いて言った。
その双眸には、王国を統べる魔術師としての冷徹さと、孫を想う祖父としての苦悩が混ざり合っている。
「お前がこの王国にいる、そしてリナの血を引く孫が存在するという事実が、万が一にでも上層部に漏れれば、王国は総力を挙げてお前を確保しにくるだろう」
外祖母が、震える指先でハンカチを握り締めた。
「私たちも……本当は、もっと早く会いたかったのよ……!」
掠れた声が、応接室の静寂を震わせる。
「リナたちが消えてからの数年、私たちはただ嘆いて、泣いて……それでも何も出来ずに暮らしていたわ」
隣の外祖父も、苦しげに目を伏せた。
「生きているとも、死んでいるとも分からなかった」
「……でも、ある時から隣国で『リナルシア大商会』の名が広まっていったの」
外祖母の瞳が、涙の奥で大きく揺れた。
「あの名前を見た瞬間、分かったわ。ああ、生きているのだと。あの子たちは生きているのだと……!」
胸の奥が、どくんと鳴る。
「だが、私たちは見張られていた」
低く絞り出すように、外祖父が言った。
「下手に動けば、あの子たちへ繋がる。もしも我々が人質となり、足枷にでもなれば……そう思うと、何も出来なかった」
「だから、ただ祈るしかなかったの」
外祖母が涙を零しながら笑った。
「二度と会えなくてもいい。ただ、あの子たちがどこかで生きて、幸せでいてくれればと、ずっと……」
その声を、祖父が静かに継ぐ。
「ルシアンの両親とは、学園時代からの親友だった。あの二人が消えてからも、両家の行き来は続いていた」
「あの子たちが、いつか逢えるかもしれないと……そんな願いを、捨てきれなかったのよ」
外祖母の声が、ふるりと震える。
「まさか……こんなに立派に育った孫に会える日が来るなんて、思ってもみなかった」
祖父の声だけが、容赦なく現実へ引き戻した。
「かつてあの研究所がリナの無尽蔵な魔力を搾取し、魔導具へ詰め込み、好き勝手に利用していた。お前が生きていると知れれば、リナが生きている証拠になるだけではない。お前自身が新たな魔力炉として囚われ、死ぬまでその力を搾り取られることになる」
祖父はそこで一度、深く息を吐いた。
「だから、ここで今から見聞きしたことは、すべて――後でここにいる全員の記憶から抹消させる」
その場の空気が、ひやりと凍った。
外祖母は泣きながら頷いた。
外祖父も、唇を引き結んだまま静かに目を閉じる。
ばあちゃんまで、膝の上でぎゅっと手を組み、何も言わずに受け入れていた。
そこでようやく、俺はすべてを理解した。
目の前で涙を流す母方の祖父母を、ただ見つめることしかできない。
「だから、会った記憶ごと、すべて消さなければならないのか……」
王国という巨大な狂気からすべてを守るため、彼らは最愛の娘の孫に会った記憶を失う。
俺は、初めて出逢った外祖父母の温もりの記憶を、この部屋を出る瞬間にすべて手放さなければならない。
……くそっ。
この国は、一体どこまで歪んでいるんだ。
外界へ、王国へと来てからというもの、世界の裏の事情や血筋にまつわる重さばかりを突きつけられ、俺の胃はもう悲鳴を上げていた。
それでも、この部屋に満ちる温もりだけは本物だった。
だからこそ、俺たちの最初で最後の邂逅は、あまりにも残酷だった。




