嫁探しは外界で。
書類が整然と積まれた執務机。その奥で目を通していた父上――ルシアンが、ふと顔を上げて低い声を落とした。
「王国に動きは?」
「相変わらずなようです」
淹れたての紅茶から立ち上る香りの中、セバスが静かに一礼して答える。
紙をめくるカサリという乾いた音が、静寂な執務室に響いた。
「引き続き、警戒は怠るな」
「はっ。承知しております」
張り詰めた空気に、俺は思わず眉をひそめて口を開いた。
「父上。王国は、そんなに厄介な相手なのですか?」
「ふん。王侯貴族の連中はふんぞり返っているだけの無能だ。真に厄介なのは、勇者とその末裔共だな」
「勇者は、何百年も前のおとぎ話の存在ですよね? 絵本や書籍で、勇者の武勇伝は知っていますが」
俺の言葉に、セバスが静かに目を伏せ、その双眸に暗い影を落とした。
「ああ。坊っちゃまはまだご存知なかったのですね」
「……勇者は生きている。王国の地下深くで、生きたまま『保存』されているんだ」
「……保存、ですか?」
背筋にゾクリと冷たいものが走り、俺は息を呑んだ。
「聖剣は、勇者しか主と認めなかった。そして、勇者が死ねば王国を守護している強固な結界が消える。だから奴らは……」
セバスの淡々とした声が、室内の温度をさらに下げる。
「あの者たちは勇者を保存し、勇者の御子様を捕らえ、増やし、王国の盾(兵器)として末裔を管理し続けているのです」
「俺が王国に住んでいた時は、そんな人間の事情など気にも留めなかったんだがな」
父上が窓の外を見つめ、忌々しげに目を細めた。
その後を引き取るように、セバスが低く続ける。
「……私の生まれ故郷でも、同じように巫女が保存されておりましたね」
その淡々とした一言に、人間の強欲さと残酷さが透けて見え、俺の口の中に苦い味が広がった。
「……悪趣味すぎるだろ」
「生き残るためにやむを得ない犠牲は、彼らの勝手だ。……だが、少しでもリナを危険に晒す可能性がある火種は、すべて消しておかねばならない」
「……ええ。ここで産まれ育っている、ちび達を守るためにもですね」
俺が深く頷いた、その時だった。
カチャリ。
硬質なドアノブが回る音と共に、甘い花の香りを纏った妹のエミリアが顔を出した。
「お兄さま? 何を難しいお顔をされているのですか。今日は園の運動会ですわよ! お父さまも、開会式の口上をお忘れですか?」
室内の重苦しい空気が、十一歳の妹の明るい声で一瞬にして吹き飛ぶ。
「行くぞ、セバス」
「はっ!」
父上が即座に立ち上がり、俺も慌てて後に続いた。
「俺も行く! ミラが玉入れで、ノワールはかけっこに出るんだったな!」
ミラはセバスとイザベラの子だ。
ノワールはノエルとノアの子。
俺は十六歳を迎え、最近では父上の内政――という名の裏社会の支配に、本格的に関わるようになっていた。
各国にあるリナルシア大商会の支店運営に、奴隷商の元締め、娼館の支配、闇ギルドの統括、カジノの運営まで……。
(……この十六年で、すでに世界の半分が『魔王軍』の手に堕ちてるんだよなぁ)
「アレク?」
思考の海に沈んでいた俺に、優しく――そして恐ろしく――微笑みかけてくる魔王。
「はい! 父上! 今行きます!」
俺は背筋を伸ばし、急ぎ足で歩き出した。
***
「ミラ! 投げる時はもっと肩を使って投げなさい!」
「はいっ! お父さま!」
青空の下、土埃の匂いと陽だまりの熱気が満ちる園庭。
五歳用の低い籠に向かって、園児たちが必死に玉を投げ入れている。その中で、セバスが普段の冷静さを投げ捨て、鬼コーチのように娘へ檄を飛ばしていた。
(……いや、必死なちび達、可愛過ぎるだろ!)
「ノワール! 駆ける時は、腕をしっかり振って走るんだぞ!」
「あいっ! とーさま!」
四歳のノワールが、トテトテと砂を蹴立てて二十メートルほどのコースを必死に走っている。ノアがコースの脇を大声で並走していた。
「あぁん! みんな可愛過ぎて堪らないわ!」
「リナ。ほら、あーん」
「ちょっと! ルシアン、今は運動会を見てるんだから……あ、美味しいわね」
ちらっ。
甘い焼き菓子の匂いが漂う観覧席。相変わらず父上は、母上の関心が自分以外――たとえ子供たちのお遊戯であっても――に向くのを嫌がりつつ、彼女の思い付きで作られた『保育園』や『運動会』の運営を完璧にサポートしている。
「……これ、カメラとかビデオが欲しいですよね。将来、卒園アルバムとか作れないのはもったいないなぁ」
俺が前世の記憶からポロッとこぼした一言に、母上の動きがピタリと止まった。
「……今、なんて言ったの、アレク!?」
「え? カメラがあれば、卒園アルバムが……」
「……なんてこと!!」
母上が頭を抱えて、この世の終わりのような悲鳴を上げた。
「リナ!? どうしたんだ!? どこか痛むのか!?」
「……ルシアン。わたし……わたし……写真、撮りたかったぁぁ……っ!」
一瞬きょとんとした父上は、次の瞬間すべてを察したように母上の肩を抱いた。
「生きろ! 死ぬな! 俺がすぐにリナの求める魔導具を開発してやる!」
相変わらず重すぎる寸劇が、園庭の片隅で始まった。
パーン!
合図用の魔導具が、乾いた空砲音を園庭に響かせた。
「はーい! みんなー! よく出来ましたー! 優勝は~、みかん組でーす!」
園の先生――精鋭部隊員であり、年少組の監督官――の明るい声と、割れんばかりの歓声が園庭を包み込む。
「やった!! よくやったぞ!! ミラ!!!」
「ええ、セバス様の子ですもの」
「ベラ。君と私の血を引いているからな」
セバスと妻のイザベラが、嬉しそうに微笑み合って娘の頬に擦り寄っている。
一方、ノワールがノアとノエルのもとへ砂まみれで走ってきた。
「とーさま! かーさま! 1番星だった!」
「ああ! おめでとう!」
ノアが力強く我が子を抱き上げる。
「このまま日々の鍛錬を怠らず、どんな戦いでも勝ち続けてゆくのですよ?」
「あいっ!」
ノエルの教えに元気よく頷いたノワールへ、ノアが苦笑しながら口を挟んだ。
「いや、ノワール。将来、好きな子が出来た時のために強くなるんだ」
そう言って、ノアは甘く蕩けたような顔でノエルを見つめた。
「……精進なさい」
ノエルが少し照れたように顔を逸らす。
周りを見渡せば、使用人(精鋭部隊)たちの親子が、悔しげに、あるいは楽しそうに、我が子達の頑張りを称え合い、温かな笑い声が満ちていた。
……いいなぁ。
「……くっ。羨ましい!!」
俺が思わず呻くと、隣でエミリアが呆れたようにため息をついた。
「はぁ……。ですから、お兄さまも早く伴侶をお探しになればよろしいのに」
「いや、どう考えても無理じゃないか? この地に住まう精鋭たちは、入る時点で完璧な男女ペアで来てるんだぞ?」
残っているフリーの人間といえば……。
チラリと園庭に視線をやる。
「……産まれたてのちび共は、全員0~5歳だぞ!? 俺はそんな幼子を狙うような趣味はない!!」
「なら、外界から攫ってきてはいかが?」
可愛い俺の妹が、サラッととんでもなく物騒なことを言った。
「お前……攫ってくるって、いくらなんでも悪党すぎるだろ」
「次期魔王ですもの! 黒馬に乗ってカッコ良く攫ってくるのが良いと思いますわ!」
……前世の常識なら完全にアウトだ。
だが、この魔の森の価値観に浸かりきった耳には、妙に筋が通っているようにも聞こえてしまう。
「……それも一理あるな」
防衛は、もう十分すぎるほど強固だ。少しぐらい次期魔王が不在でも、無敵の現役魔王――父上――と四天王がいるんだから問題ないだろう。
「……ちょっと、嫁を探しに外界へ出てくる」
俺の唐突な宣言に、両親が顔を上げた。
「アレク。出るなら、砦街の炙り肉の土産を頼む」
「毎日、魔導具で連絡をいれるのよ? 落ちてるものを拾い食いはしちゃダメよ?」
「もう十六歳なんですけど!? 去年、俺は成人してますからね!?」
両親のあまりの過保護っぷりに、俺は思わず声を荒らげた。
「では、すぐに護衛の精鋭を厳選いたします」
セバスが鋭い視線を向けて真顔で言った。
いや、嫁探しに護衛付きとか、恥ずかしくて死んでしまうだろ!
「……目立つから、俺だけで行く! ぜったいに!! 誰一人としてついてくるなよ!?」
「承知いたしました。坊っちゃまの視界に一切入らぬよう、隠密に長けた者を厳選いたします」
セバスの即答に、俺は悲鳴を飲み込んだ。
誰がどう見ても「フリ」にしか聞こえない捨て台詞を残し、俺は足早に外界へ飛び出したのだった。
アレク視点




