魔の森に住む一族。
魔王と勇者~次世代編~
「坊っちゃま、そちらは危ないです!」
慌てたノアの声が響いた。
躓いて、僕の身体が前へ大きく傾いた瞬間――。
ズサーッ!!
疾風のような速度で滑り込んできたノアが身を挺して僕を確保し、怪我などがないかを素早く、かつ的確に確認した。
「ノア、ありがと」
「はっ! お怪我がなく、安堵いたしました」
ホッとしていると、遠くから声が聞こえた。
「アレクー! 母さまと一緒に、おやつにしましょう!」
「そろそろ、アレクに本格的な護身術を学ばせるべきだな」
「へ? なぜ護身術?」
「受け身の取り方から、危険を察知して受け流す技術は必須だ」
「まだ五歳よ?」
「何を言っているんだ、リナ。これでも遅過ぎるくらいだぞ? これが普通だ」
「……この世界の『普通』に、私は未だに慣れないわ!」
この世界。
母さまが呆れたように放ったその言葉が、僕の胸にストンと落ちた。
母さまが感じているその感覚は、僕にもすごくよくわかる。
なぜなら、僕には『前世の記憶』があるからだ。たぶん、母さまも僕と同じなのだと思う。
「坊っちゃま、参りましょう」
ノアに抱き上げられ、その腕に揺られながら、母さまたちが寛ぐガゼボへと向かう。
僕はノアの肩越しに、まわりを見渡した。
幾重にも強固な結界が張られたこの広大な領土の外は、『魔の森』と呼ばれ、凶悪な魔物が我が物顔で闊歩している。
ひとたび足を踏み出せば、確実に魔物の餌食になってしまうような過酷な絶対禁足地だそうだ。
しかし、結界の内側は別世界だ。
ここは、春夏秋冬がすべて詰め込まれた巨大な温室。
花が咲き乱れる春の区画のすぐ隣で、冬の区画には雪が舞い落ちている。
天候すら捻じ曲げて閉じ込めているこの異常な空間へ初めて連れてこられた時、僕は驚き過ぎて口が開きっぱなしだった。
前の世界にはなかった魔力。
理解不能なチート魔導具。
しかし、家の中には前世で馴染み深い家電やコンセントのソケットがあり、母さまが作るご飯は前世の記憶にある美味しい食べ物ばかりだ。
温室の中央にある、開けた空間。
その中心のガゼボで、重すぎる忠誠を誓う使用人たちと両親に囲まれながら、僕は美味しいケーキを口に運んだ。
「……前の生活より快適すぎて笑える」
「へ? アレク?」
「……アレクサンダー?」
しまった。
心の声が、うっかりそのまま口から出てしまった。
「……あ、あの。僕、思い出したんです」
……シーン。
ガゼボの空気が凍りついた。
「まさか……え? うそでしょ?」
母さまが目を丸くする。
「前世の記憶があるんだな?」
父さまは、鋭い眼差しで僕を見た。
「……はい。まだ、ぼんやりとですが」
「なんということ……!」
「手を出せ、アレク!」
父さまがガタッと立ち上がり、僕の前に跪いた。
僕の小さな手を握り、身体の中へ魔力を流し込んでくる。
あたたかくて、少しだけくすぐったい。
「……た、魂! 魂は生きてる!? アレクはちゃんとアレクのままなの!?」
慌てている母さまが、よく分からない言葉を言いながらオロオロしている。
「父さま、なんだか擽ったいです」
じっくりと、緻密な魔力が僕の身体の隅々まで巡っていく。
やがて、父さまはホッと息を吐いた。
「……悪霊や他者の憑依ではなさそうだ」
「つまり?」
「アレクの魂そのものだ。前世の記憶が覚醒しただけで、元の魂が天に召されたわけじゃない」
「……よかったぁ……っ」
母さまがへなへなとその場に座り込んだ。
「アレク。後で、父さまにその記憶について詳しくお話できるかな?」
「うん!」
「母さまも、そのお話、聞か……オェッ」
「リナ!?」
「母さま!!!」
唐突に口元を押さえた母さまに、父さまが慌てて駆け寄り、そのまま流れるような動作で母さまの身体へ魔力を巡らせた。
「……これは」
「ルシアン……もしかして」
父さまが、母さまと僕を見比べる。
それから、どこか楽しそうに口元を緩めた。
「ああ。アレクに、妹か弟ができたぞ」
「タイミング!!」
「やったー!!!」
僕に、弟か妹が初めてできる!
「アレクと、新しく増える家族のために……いっそ、世界を落とそうかな」
「それ、勇者に討伐される魔王のセリフだからね!」
父さまの物騒な呟きに、母さまがコロコロと笑いながら突っ込む。
……冗談だと笑い合う両親の光景を見ながら、僕の頭の中に、ふと寝る前に母さまが読んでくれた『勇者の末裔』という絵本の設定が過ぎった。
「母さま! 勇者って、本当にいるんですか?」
「もちろんよ」
「勇者本人も、その末裔も、王都でしぶとく生きてるぞ」と、父さま。
(……えーと、整理しよう)
人間が寄り付かない『魔の森』の最深部に住む僕たち。
圧倒的でチートな魔導具を創り、世界を落とすとか言い出す父さま。
そんな父さまに溺愛されながら、当たり前みたいに笑って隣に立つ母さま。
そして、絶対の忠誠を誓う、明らかに普通じゃない使用人たち……。
(僕って……『魔王一家』の跡取り息子だったのか……!?)
すべての点と点が繋がり、背筋に冷たい汗が流れた。
「……ノア。僕に、勇者から逃げるための護身術をおしえて」
僕が切実な思いで振り返ると、優秀な僕の侍従は、完璧な笑顔でこう言い放った。
「坊っちゃま。逃げるのではなく、そこは完全な勝利を目指しましょう!」
その頼もしくも物騒な言葉を聞いて、僕は悟った。
うん、この環境じゃ、
やっぱり僕たちはどう見てもラスボス陣営だ。
アレクサンダー(アレク)視点




