私たちの愛の結晶。
「いたぁーーい!!」
腹の奥が、ぎゅううっと雑巾みたいに捻り上げられる。
腰の骨を内側から割られるみたいな鈍い痛みが、背中から太腿の付け根まで一気に走って、私はシーツをぐしゃりと握り潰した。
「リナ。まだだ、まだ気張ってはダメだぞ」
「ひっ、ひっ、ふぅー。ひっ、ひっ、ふぅー……!」
熱い。痛い。苦しい。
額に張りついた髪が鬱陶しいのに、それを払う余裕すらない。
薄く汗ばんだ寝間着が肌に貼りつき、呼吸のたびに胸が浅く上下する。
下腹の奥で、何か大きなものがじわじわ、ぐいぐいと押し下りてくる感覚だけが、どうしようもなく生々しかった。
(あ、なんだか……すごく、眠い……)
痛みの波がふっと引いた瞬間、全身から糸が切れたみたいに力が抜ける。
まぶたが落ちる。
頭が、ふわりと沈む。
「痛い痛い! いっったぁぁぁーーい!!!」
次の瞬間にはまた腹の底から焼けた杭をねじ込まれたみたいな痛みが跳ね上がって、私はベッドの上で跳ねた。
「あと少しだ。頑張って耐えてくれ!」
「……想像、以上だッ!!」
痛いのに「気張ってはダメ」というのが、本当にわけがわからない。
いや、産道が開ききるまではいきんではいけない云々……というのは、前世の知識として頭では理解できるのだが、本能がそうではないと叫んでいる。
押したい。出したい。逃げたい。
身体の奥のほうで、理性を置き去りにした獣みたいな叫びが暴れている。
私の唯一の救いは、陣痛の合間に強烈な睡魔に襲われる『眠り陣痛』という謎の現象が発動していることだ。
ほんの数分、いや数十秒でも寝ようぜ!! と、脳が勝手にシャットダウンしてくる。
頬の下の枕が妙に冷たくて気持ちいい。
すぴー、すぴー。
「……ぐぁっ! いだだだだっ!」
また波が来た。
今度は腹だけじゃない。
腰の骨を中心に、びりびりと痺れるような痛みが輪になって広がっていく。
「あとほんの少しだ!」
(まだなのー!? ねぇ、まだなのー!?)
ルシアンの声が、近いのに遠い。
視界の端で、いくつもの魔導灯が白く滲む。
シーツは汗で湿って、握るたびにじっとりと嫌な感触を返してきた。
ガクッ。
また、意識が落ちる。
すぴー、すぴー、すぴー。
「これ、ちょっと無理なんじゃないかなぁぁあああ!?」
出産中あるあるで、極限状態の産婦さんがわけのわからない叫び声や罵詈雑言を吐くことがあると、前世の知識では知っていた。
まさか、自分がそうなるとは……。
「やっぱり調味料を色々ふやし……ぃだぁあああーい!!」
「わかった! 後で詳しく聞かせてくれ!!」
「ていうか、産婆さんどこー!?」
「リナ! しっかりしろ! 俺が取り上げる!!」
「なんで取り上げるのがルシアンなのよぉっ! いだぁぁだぁだぁあ!!」
叫ぶたびに下腹が引き攣れて、痛みがさらに増す。
ひどい。全部ひどい。
なんでこんな時に限ってルシアンしかいないのよ、と半泣きで思うのに、そのルシアンの声に縋っている自分もいる。
すぴー、すぴー、すぴー。
「リナ、次、気張れるぞ!!」
「……へ?」
「今だ!!」
「んんんんんんっっ!!!ぐああぁぁぁぁっ!!!」
全身の力が一箇所に集まる。
腹の底から、骨盤の奥から、何か大きなものがずるりと押し出されていく。
熱い。裂けそう。怖い。
でも、止まらない。
ずるり、と滑り出る感覚がした。
……。
……あれ?
一瞬、世界から音が消えた。
耳鳴りだけが高く残って、部屋の空気が凍りつく。
泣き声が、聞こえない。
私の、私たちの赤ちゃん……。
「……なぜだ!! 頼む!!!」
ルシアンの悲痛な叫びと共に、部屋中に幾重もの魔術陣が展開し、眩い光が弾けた。
青白い光が壁にも天井にも走り、熱を持った魔力が肌に刺さる。
血と薬草の匂いが鼻を刺した。
「わたしの……私たちの、赤ちゃん……」
「泣け!! 息をしろ!!!」
嫌。
そんなの、絶対にいやよ……いやっ!
胸の奥がぎゅっと潰れる。
さっきまでの痛みとはまるで違う。
凍るみたいな恐怖が喉を塞いだ。
……。
…………。
「……ほぁ……ほぁっ、ほぁっ、ぎゃあぁぁぁぁ!!」
「……っ!!!」
泣き声だ。
震える空気を切り裂く、細くて、でもたしかに力のある声。
生命力に溢れた、私たちの宝物の声。
肺の奥に溜まっていたものが一気にほどけて、私は涙でぐしゃぐしゃのまま息を吐いた。
「……抱かせて?」
私は、ルシアンの手からそっと、愛しい我が子を胸に抱き寄せた。
あたたかい。
思っていたよりずっと小さくて、軽くて、でもたしかにそこにいる重みがある。
濡れた髪が額に張りつき、しわくちゃの顔を真っ赤にして、ふにゃふにゃと口を動かしている。
「リナ、そのまま少しだけ待ってくれ」
ルシアンが私の身体に手を翳す。
グッと下半身が押され、引っ張られるような感覚。
続いて、ジンジンとした痺れとチクチクする痛みが走る。
思わず太腿に力が入る。
けれど、その上から包むように落ちてきたルシアンの魔力は、驚くほどやさしかった。
暖かな流れが、強張った身体の奥へとゆっくり浸透していく。
裂けるような熱が、じわじわと引いていく。
ひどく疲れているのに、その温かさだけは鮮明に分かった。
「……よし。これで大丈夫だ」
ルシアンの声と同時に、下半身に残っていた熱と痛みが、ゆっくりと遠のいていく。
荒れた呼吸の合間に、私は腕の中の小さな重みを抱き直した。
胸元にすっぽり収まるその身体は、まだ頼りないほど軽いのに、驚くほど確かに温かい。
濡れた睫毛の向こうで、ルシアンがようやく息をつく。
張り詰めきっていたその顔に、ほんのわずかに安堵の色が滲んだ。
「……ルシアン。本当にありがとう」
掠れた声でそう言うと、ルシアンは返事の代わりみたいに、何度か浅く息を吸った。
「……無事で、本当に安心した」
強張っていた肩が、ようやくほんの少しだけ落ちる。
「……愛してるわ。ルシアン」
「……リナ。俺も愛している」
その低い声は、いつもみたいに揺るぎなく聞こえるのに、まだ落ち着かないみたいに掠れて震えていた。
「見てくれ……俺、今更だが、手が震えてる」
私の額に口付けを落とすルシアンの大きな手は、本当に、生まれたての子鹿のようにガクガクと震えていた。
その震えがこめかみにも頬にも伝わってきて、私は堪えきれずに吹き出した。
「ふふ、あははは!! ……あっ、痛い」
「ははは! リナ! 笑わすなよ」
笑うたび、下腹が鈍く痛む。
それでも可笑しくて、嬉しくて、涙と笑いがごちゃ混ぜになる。
「ぷすっぷすっ」
可愛らしい音が聞こえてきた。
ふにゃふにゃの小さな顔を見つめ、私は涙混じりに笑った。
「見て! すごくブサイクで笑っちゃう」
「はは、数日したらしわくちゃじゃなくなるさ。……俺たちの息子だ」
その一言が、遅れて胸の奥へ落ちてくる。
この小さな熱も、頼りない重みも、震える泣き声も、全部、私たちのものなのだとようやく実感した。
本当に……長かった。
世の中のお母さんは、こんなに大変な思いをして産んでくれたんだと、改めて心から感謝した。
腕の中の小さな体は、時々ぴくりと動いて、私の胸元にほやほやした熱を置いていく。
それだけで、もう何もかもどうでもよくなるほど愛しかった。
「……私の両親とルシアンのご両親にも報告できたら良かったのにね」
「それは……まだ、難しいな」
「そうよね。この子を守るためにも……」
「ああ。リナたちは、俺が全てから守り抜く」
その言葉は、いつもの重たさを含んでいたのに、今はただ静かな誓いみたいに胸に落ちた。




