女主人としての初仕事は……。
「リナ! ただいま」
「ルシアン、おかえりなさい!」
玄関の扉が開くや否や、両手を広げているルシアンの胸に勢いよく抱きつく。
すると、待ってましたとばかりに、ルシアンの甘い口付けが雨みたいに降ってきた。
顎をクイッと持ち上げられ、唇に軽く、そして深く……。
ちゅっ。くちゅり。
「はぁ……んっ……」
ちゅ、ちゅちゅっ、んちゅ……ぽんッ!
「る、ルシ……長いわッ!!」
息継ぎの隙に抗議するものの、ルシアンは「まだ足りない」と熱っぽい瞳で私を見つめ、スリスリと首筋に擦り寄ってきた。
「俺が、リナのためにどれだけ外で頑張ってきたか……」
「うっ。す、少しだけだよ!」
ほだされた私が、自分からルシアンの唇へ背伸びをしてキスを返そうとした――その時だった。
(……あれ? ドアの先に、人が……)
「ひゃあああ!!」
「どうした、リナ!?」
私が悲鳴を上げた瞬間、バッとルシアンが警戒態勢に入る。
それと全く同時に、ドアの外に並んでいた『人たち』も、一糸乱れぬ動きで私に背を向け、結界の外(森側)へ向けて完璧な戦闘態勢をとった。
「……え!?」
「……ん?」
緊迫する私に対し、何かを察したルシアンが、喉の奥でククッと笑い出した。
「ル、ルシアン! 人様の前でえちちな事はしちゃダメです!!」
信じられない!
私は人前で、夫の口付けに蕩け切っていた姿を見られてしまったのだ……!
「も、もうお嫁にいけない!!」
私が顔を真っ赤にして叫んだ、次の瞬間。
「…………どういう意味だ」
ゾクリ……。
ルシアンから発せられた、地の底から響くような冷え切った低い声に、全身に鳥肌が立った。
「こ、言葉の綾です! 恥ずかしいって意味です!!」
「……たしかに、リナの蕩けた顔は俺以外に見せるわけにはいかないな」
納得したように頷くルシアンの脇腹に、私は無言で肘鉄をぶち込んだ。
気を取り直して。
「えっと……この度は、わざわざこんな魔の森までお越しいただきありがとうございます」
私は大きなお腹を両手で支えながら、精一杯の笑顔で挨拶をした。
すると、ドアの外で警戒態勢をとっていた人たちが、ザッと一斉に向き直り、地面に膝をついた。
「「「拝謁が叶い、有り難き幸せにございます」」」
全員が揃って深く頭を垂れる。
(な、何これ……! この世界での雇入れ時の挨拶って、これが普通なのかしら?)
戸惑ってチラッとルシアンを見ると、彼はものすごいドヤ顔で「どうだ?」と褒めて欲しそうにしている。
「わ、わぁ! とても頼りになりそうな方々が来てくれて嬉しい! ルシアン、ありがとう!!」
私が褒めると、ルシアンはパァっと花が咲くような嬉しそうな笑顔になった。
「リナに仕える者たちが揃うまで時間が掛かってしまって、すまなかったな」
「……というか、なんだか人数多くない?」
私がコソッと耳打ちすると、ルシアンは首を傾げた。
「そうか? まだ半分も来ていないぞ」
へ!?
一、二、三、四、五、六、七……ざっと見て十二人はいる。
「順次、こちらへ転移してくるからな」
「総勢……何名の予定なの?」
「今のところ、内側には三十名の予定だ」
三十名……。そんなに?
「ん? 内側って……?」
「ああ。養成所が、結界の外側にあるんだ」
養成所? ああ、学校みたいな場所ね!
なるほど、へぇー!
隣国は人材育成に積極的なのね。
条件に合う忌み子の奴隷がなかなかいないって言ってたものね。
手に職をつけるのは大事だわ。
「リナが望むなら、他の国でも探してこようか?」
「要らないからね!?」
あ、いけない! せっかく来てくれたみんなを跪かせたまま放置して、ルシアンと夫婦漫才をしている場合ではない。
「み、みんなの歓迎会を……」
「しないぞ」
「こんなに多いと思ってなくて、私が作った料理じゃ足りない……」
「俺が食べる」
ルシアンが深くため息を吐き、独占欲剥き出しで言い切った。
「リナの手料理、一欠片さえ奴らに渡してたまるか!」
(どんだけ!!)
その後、ルシアンにより新生活の要となる人物が紹介された。
「我が家の執事だ」
「初めまして、リナです!」
優雅に礼をとる執事さんが、恭しく口を開いた。
「私めは無名のため、奥様より名付けを頂戴できますでしょうか?」
へ? 名無しさん?
ど、どうして……名前がないの?
……シーン。
明らかに、待っている。
執事さんの微動だにしない、完璧な『名付け待ちポーズ』。
ルシアンを見ると、彼はニコニコと満面の笑顔で私を見守っている。
「あ、えっと……『セバス』なんてどうかな?」
あっ、しまった!
執事といえばセバスチャンという、前世の貧困なボキャブラリーに引っ張られた!
「我が名はセバス。新たなる名に恥じぬ働きを、命に代えてもお約束いたします」
えっ……めっちゃ恭しく、神聖な儀式扱いみたいにされてる!!
セバスさんがスッと控えに回ると、
次に、若い男女の一組が前に出て跪いた。
「護衛を兼ねた、リナ付きの侍従と侍女だ」
跪いている二人。
……シーン。
(え? まさか……)
チラッとルシアンを見る。またニコニコ笑顔だ。
私は腹を括り、二人へ視線を向けた。
「侍従は『ノア』。侍女は『ノエル』で、どうかな?」
「「我が名に誓い、身命を賭して奥様にお仕えいたします!!」」
「……なんだか、重い!!」
「普通だ」
「え! そうなの?」
「ああ、そうだ」
ルシアンが頷き、セバスさんたち三人も深く頷いている。
あ、そうなんだ。
この世界の常識なのね。
え? 本当に……?
ん、ということは。他の数十名にも名前を?
「……ルシアン。もしかして他の人たちも私が?」
「それは必要ない」
「えっ、なんで!?」
この世界のルール……難しすぎる!!
それからは、皆がそれぞれの職務――
護衛、家事、温室管理などにスムーズに従事していき、
あっという間にその日は暮れていった。
ふかふかのソファに座らされた私は、ピカピカに磨かれた室内を見回して呟いた。
「……私、これから毎日、何をすればいいのかな?」
「無理をせずに、女主人として堂々としていればいいんだ」
ルシアンが優しい声で私の髪を撫でる。
――つまり。
今、私は正真正銘の『無職』になったのである!!




