転移陣と少しばかりの犠牲。
ルシアン視点
数ヶ月前から、俺は我が家と隣国の砦街に近い魔の森を繋ぐ地点に、密かに『転移陣』を構築していた。
リナには明かしていないが、この陣を安定させるための「実験」には、相応のコストを払っている。転移の負荷に耐えきれず、肉塊と化した犯罪奴隷は数知れない。
我が家へと続く唯一の道に、安易な通行を許すわけにはいかないのだ。
最終的に俺が辿り着いたのは、奴隷の身体に魔術陣を刻んだ魔石を直接埋め込む手法だった。
俺の許可がある時のみ転移を可能とし、もし無断で起動しようものなら、強制的に魔の森の最深部へとランダム放逐される。……戻ってこられる確率は、万に一つもないだろう。
「……次。転移後、向こうにある札を回収して戻ってこい」
「……は、はい」
怯える奴隷を陣へ放り込む。
……。
……沈黙が続く。今回も失敗か?
そう思った矢先、四肢を激しく損傷し、ボロボロになった奴隷が転移陣から吐き出された。
「ま……魔物が……札、です……」
「よくやった。成功だ。――今、楽にしてやる」
一閃。
首を飛ばし、絶命させる。
「ククっ。転移先の魔物対策を失念していたな」
俺は、控えている他の犯罪奴隷たちを氷のように冷たい眼差しで見下ろした。
「さて、残りのゴミ共の使い道はどうするか……」
チュンチュン。バササ……。
のどかな風が、血の臭いを運んでいく。
「……もう昼か」
俺は転移陣の傍らに用意した椅子に腰掛け、リナが持たせてくれた弁当を広げた。
凄惨な死体の山を背景に、愛しい妻の手料理を口に運ぶ。至福の時間だ。
臨月までには、リナが望んだ「忌み子」たちを向こうへ転移させる。
リナはきっと喜ぶだろう。
隣国近くの浅い魔の森では、すでに彼女のために牙を研ぎ、鍛え上げられた奴隷たちが控えている。
楽しみだ。
***
数ヶ月後。
「魔力のチャージだけは、絶対に忘れないでくれよ」
出かける準備を整え、俺はいつものように念を押した。
「大丈夫。すぐに満タンにしておくわ。気をつけて向かってね?」
「……ああ」
玄関先で、愛しい妻へ、いつまでも離れ難い口付けを落とす。
正直に言えば、俺とリナだけの世界に邪魔者を入れるのは虫唾が走るほど嫌だ。
だが、リナが零した「ベビーシッターが欲しい」という切実な願いは叶えてやりたい。
俺の美しい妻に家事や畑仕事をさせるなど、本来あってはならないことだった。彼女が楽しそうにやるから我慢していたが、それも終わりだ。
「……行ってくる」
「行ってらっしゃい!」
背中にリナの笑顔を感じながら、重い足取りで前へ進んだ。
何度も振り返りそうになる自分を律し、俺は転移地点へと向かった。
キーン。
高周波の音と共に空間が歪み、俺は砦街側の拠点へ降り立つ。
「主様。お待ちしておりました」
そこには、礼儀正しく頭を下げる執事の姿があった。
「……例のものは?」
「滞りなく。砂糖、塩、苗や種に至るまで、全て揃えてございます」
「……新たに選出した者は?」
「忌み子が一人。手先の器用な者が一人。表に出る前に押さえ、既に『処理』を終えております」
「次も頼むぞ」
「御意」
執事がスッと、俺の不在中の報告書を差し出した。
魔の森の素材による収益、支出、そして『影部隊』の成長度合い……。
リナを守るために俺が課した、死よりも過酷な訓練を生き抜いてきた者たち。
「ようやく、使える駒が揃ってきたか」
短期間で仕上げたにしては、十分使い物になる。
俺が目配せすると、執事が手信号を飛ばした。
ザッ。
「主様へ拝謁いたします」
現れたのは、一組の侍従と侍女。その瞳には、自我を削ぎ落とした絶対の忠誠が宿っている。
「我が妻のために尽くし、そして死ね」
「「有り難き幸せにございます」」
執事が一礼し、静かに告げた。
「他の者たちも順次整っております。明日、移動を開始させます」
「……お前の引き継ぎは終わったのか?」
「無論にございます」
フン、と鼻で笑う。
こいつは数ヶ月前、魔の森で死にかけていたところを俺が拾った男だ。
「今のお前を見ると、毛むくじゃらで死にかけだったとは到底思えんな」
「お恥ずかしい限りです、主様」
その時、手元の魔導具が鳴り響いた。
リナだ!
「リナ!? どうした、何かあったのか!?」
焦って魔導具を取ると、のんきな声が聞こえてきた。
『あ、ルシアン? 歓迎会とかしたほうがいいよね? 食材とお酒、足りるかな?』
「……仕える者共に酒など出すんじゃない!!」
『えっ! でも、福利厚生とか大事だし、仲良くしたいじゃない!』
「リナの手料理は俺だけのものだ! 奴らに食べさせる必要はない!!」
ほら、すぐにこれだ。
絶対的な女主人としての振る舞いを、リナは全く分かっていない。
(……やはり、奴隷にして正解だったな)
リナに対して良からぬ思いを抱けば、
死よりも凄惨な激痛に苛まれる呪印を全員に施してある。
俺は愛しい妻の甘すぎる懸念を聞きながら、
彼女の慈悲深さに、密かに頭を悩ませた。




