幸せと絶望。
チュンチュン。
ギャース、ギャース。
窓の外では、今日も今日とて小鳥のさえずりと魔物の咆哮が不協和音を奏でている。
「……ん」
朝日が差し込む寝室で、私はゆっくりと目を開けた。
(朝ごはん、作らなきゃ……)
そう思って身を起こそうとして、ふと、自分を拘束するはずの『重い腕』がないことに気づく。
あ……そうだ。ルシアンは買い出しに行っていて、今はいないんだった。
私はベッドの端に腰掛けたまま、寝ぼけた頭でボーッとした。
なんだか、凄く眠い。
あの湯たんぽみたいな温もりがないせいか、昨夜はあまり熟睡できなかった気がする。
「……あと少しだけ」
誘惑に負けて、私は再び枕に顔を埋めた。
二度寝から目覚めたのは、喉の渇きを感じた時だった。
(本当に起きなきゃ……。それにしても、今日はやけに暑いわね)
重い身体を引きずって顔を洗い、身支度を整える。
時計を見れば、もう朝食というより昼食に近い時間だった。
キッチンに立ち、簡単な食事を作って口に運ぶ。
けれど……なんだか、味がいつもと違う気がした。
「……っ!!」
唐突に、胃の底からせり上がるような不快感。激しい吐き気に襲われ、私は口元を押さえた。
「……うぅ、気持ち悪い」
風邪でも引いたのかしら。
無理をしてまた倒れたりしたら、ルシアンが発狂しかねない。今日は大人しく横になっていよう……。
私は逃げるように寝室のベッドへ戻り、横になった。
そのまま、うとうとと微睡の淵に落ちていく。
……。
「……え?」
次に瞬きをした時、視界は真っ暗だった。
(うそ、もう夜!? 私、どれだけ寝てたの!?)
その時だった。
タタタタタッ! と廊下を猛スピードで走る足音が聞こえ――。
バァーーーン!!
「リナ!! 無事か!?」
寝室の扉が、壊れんばかりの勢いで蹴破られた。
「きゃあッ!? ……ル、ルシアン!? どうしたの!?」
戻ってくるのは明日のはずではなかったのか。
荒い息をつくルシアンの様子に驚く。
「リナ、今日、君の『歩数』が……!」
「……歩数?」
「……いや。……なんでもない! とにかく、無事でよかった……っ!」
そう言って私を抱きしめる彼に、私はピンときた。
(……アンクレット。機能をダウングレードさせた時に、ちゃっかり歩数計の遠隔監視だけ残してたわね、この男!?)
「とりあえず、灯りをつけようか」
私がランプを点すと、葉っぱや小枝をあちこちにつけたまま、必死の形相で戻ってきたルシアンの姿が浮かび上がった。
「ふふ、おかえりなさい。頭に葉っぱがついてるよ」
「……すまない。リナ、ただいま」
「ごめんね、心配させて。私、なんだか風邪を引いちゃったみたいで」
ルシアンがベッドの側に跪き、私の手を取る。
彼の温かい魔力が、診断するように私の身体の中を優しく巡り始めた。
「……?」
ルシアンの手が止まる。
「どうしたの? やっぱり悪い風邪?」
「……いや、まさか。……これは」
「え!? また何かの呪い!? それとも命の危機!?」
魂はルシアンと繋いだから、この世界に定着している。魔力暴走も回避できているはずだ。
それ以外の危機ということは、不治の病とか!?
「だめよルシアン、私の道連れで死ぬなんて絶対にダメ……!」
そうなのだ。私が死ねば、魂が繋がっているルシアンも自動的に天に召される。
ちなみに、ルシアンが死んだ場合は、私が死なないように術式を書き換えたらしい。
その場合は彼の魂が私に憑き、一生『ニコイチ生活』だという。
どこまで行っても逃げ場のない運命共同体。
そんな私のパニックを、ルシアンが静かに制した。
「……リナ。落ち着いて聞いてくれ」
私はごくりと唾をのんだ。
「……その。もしかしたら」
「なによ、はやく言って!」
「……俺たちに、子どもができたみたいだ」
「……できた」
……。
……子ども?
「……へ?」
「リナ、その……つまり、肌を合わせて口付けを重ねた俺たちの愛が、結晶となって……」
「ストップ!」
私は手で制止をかけた。
ルシアンのオブラートに包みすぎた解説はいい。
こちとら前世で『保健体育』は履修済みである。
つまり。
「……私、妊娠したの?」
ルシアンと私の、赤ちゃん。
「……嬉しい」
「リナ! ああ……! 本当に、ありがとう……!!」
私たちは強く、強く抱き合った。
しかし、次の瞬間。
ルシアンがハッとした顔で立ち上がった。
「いけない、栄養のあるものが必要だ! リナ、そのまま動かないで待っていてくれ!」
嵐のように部屋を出ていった彼は、しばらくすると、部屋いっぱいに広がる香ばしい匂いと共に戻ってきた。
「買ってきた炙り肉に、温かいスープとサラダだ。さあ、食べてくれ」
「わぁ、炙り肉! 大好き……! んー、良いかお……」
――オェッ。
「っ!? リナ!!」
私は慌てて口を押さえ、肉を遠ざけた。
「……気持ち悪い」
嘘でしょ。
そんなに急に来るものなの?
昨日まで大好きだった肉の匂いが、今は生ゴミのような悪臭にしか感じられない。
そういえば、前世でも職場の同僚が「匂いが耐えられない」と言って休んでいたっけ。
「……これが、『悪阻』なのね……」
「大丈夫か、リナ!?」
顔を青白くして心配するルシアンと、目の前の美味しそうな炙り肉。
新しい命への『感動』と、つわりの始まりという『絶望』。
その両方が一度に押し寄せてきて、私は白目を剥きそうになった。
誤字脱字を修正しましたm(_ _)mまだ奴らは潜んでいるかもしれないっ!




